前編
表現内容に変態的部分があります。苦手な方はご注意ください。
また、こちらは銘尾 友朗様主宰「夏の匂い」企画参加作品「あなたの体臭が嗅ぎたいです~とある変態高校生の話~」を大幅加筆修正した作品になります。
イラスト:秋の桜子様
僕にとって高校生活は退屈そのものだった。
入学して一ヶ月。
早くも嫌になった。
当初はどんなバラ色の高校生活が送れるのだろうと期待していたのだけれど、入学してみるとバラ色どころか黒色だった。
まず品がない。
クラスの誰もが自己主張の強い髪型をし、思い思いの色に染め、さらには禁止されてる短ラン&ダボダボズボンをはいてくる。中にはパーカーにトレーナーパンツというダサダサの格好で登校してくる生徒までいる。
ダラダラと歩き、あくびをしながら登校してくる姿を見ると、何しに学校に来てるのだろうと疑問に思う。
そう、僕の通う高校は端から見てもわかるほどの偏差値低めの最低高校だった。
もともと僕自身あまり頭がよくなかった。
家から徒歩で通えて、なおかつ僕が入れる高校といったらここだけだったのだ。
夢も希望もない選択肢だったけれど、ここまでひどい高校とわかっていたらもう少し頑張って勉強して、電車に乗って3駅くらいのちょっとはまともな高校に入学すべきだったなと思う。
まあ、あとの祭りなんだけど。
とにかく、僕にとって今の高校は最低最悪の場所だった。
そんな僕に変化が訪れたのは、晴れやかな青空が広がる五月のことだった。
いつものように憂鬱な気分で学校に向かっていると、十字路の角から一人の女子生徒がやってくるのが見えた。
制服からして、反対方向にある名門女学院の生徒だろうか。とても綺麗な子だった。
長い髪をさらりととなびかせ、両手で大事に通学鞄を持ちながらしずしずと優雅に歩く姿は、さすが名門お嬢様学校の生徒という感じがする。
黒くて艶のある髪の毛が朝日を反射させてキラキラと輝き、まるで天女のような美しさを放っていた。
少し憂いを帯びた表情が背中をゾクリとさせる。
彼女は僕にちらりと視線を向けると、何事もなかったかのように横を通り過ぎていった。
僕も黙って彼女の脇を通り過ぎる。
瞬間、ものすごく甘くて爽やかな香りが鼻を突いた。
フェロモンの匂いとでもいうのだろうか、いまだかつて嗅いだことのない蕩けるような匂いだった。
その匂いに、僕は思わず立ち止まってしまった。
なんて……なんて良い匂いなんだろう。
脳天を突き抜けるかのようなその芳しい匂いは、鬱屈とした僕の心を晴れやかにするほど強烈なものだった。
振り返ると彼女もまた振り返ってこちらを見ていた。
ほんの一瞬、目と目がかち合う。
けれども彼女はふいっと目をそらして、そのままスタスタと歩き去っていった。
僕はそれを黙って見送るしかなかった。
それからというもの、僕は毎朝彼女と顔を合わせるようになった。
入学以来いつも同じ時間帯に家を出ていたはずなのに、気づけば彼女は毎日僕の前に現れた。
単に今まで意識してなかっただけなのか。
はたまた彼女が家を出る時間が変わったのか。
いずれにせよ、僕は毎朝彼女とすれ違い、毎朝彼女の匂いを嗅いだ。
それが僕にとってはたまらなく幸せな時間だった。
きっと、すれ違い様に匂いを嗅いでるなんてバレたらとんでもないことになるだろう。
下手したら生きていけないかもしれない。
けれども、僕にはやめられなかった。
すれ違った際に彼女の匂いを嗅ぐ、たったそれだけのことが黒色の高校生活を送っていた僕にとってバラ色の光だったのだ。
そうこうするうちに、季節は夏を迎えた。
※
じりじりと蒸し暑い七月の上旬。
今年の夏は例年より暑くなると、どこかのアナウンサーが言っていた。
確かに暑い。
7月に入ったばかりだと言うのに、歩くだけで汗が出る。
きっと本格的な夏が始まればもっと暑くなるだろう。
うだうだとそんなことを思っていると、目の前から例の彼女が歩いてきた。
いつものように両手に鞄を持って、しずしずと歩いてくる。
どんなに暑くても、涼しそうな顔で歩く姿は本当に同じ人間だろうかと思えてくる。今日も光輝いて見えた。
けれども、今朝の彼女は違った。
すれ違い様に、ふんわりとシャンプーの匂いがしたのだ。
「あれ?」と思った。
いつもは彼女特有のフェロモンの香りが漂ってくるのに、今日はなぜかシャンプーの匂いがする。
それもとても香りの強いシャンプーだ。
不思議に思ったけれど、足を止めて残り香を嗅ぐわけにはいかない。
僕はそのまま通りすぎた。
きっと、このうだるような夏の暑さのせいだろう。
寝ていて汗をかきまくったから、朝シャンに切り替えたのだ。
いつもの彼女特有の匂いが嗅げないのは残念だったけれど、これはこれでクセになりそうな香りだった。
それから、何日も何日も彼女はシャンプーの匂いを振り撒いて僕とすれ違った。
何のシャンプーだろう、と近くのドラッグストアでパッケージを嗅いで探しまわったこともある。
けれども、当然パッケージから中のシャンプーの匂いなんてするわけもなく、銘柄や謳い文句から「これかな?」と想像するしかなかった。
そんなある日のこと。
初めて彼女は僕を目にすると歩みを止めた。
「……?」
どうしたんだろう、と思っていると僕と目線を合わせながらズリズリと少し距離をとっていく。そして、一定の距離を保ったまま通りすぎようとしていた。
「………」
その姿を見て、僕はかなりのショックを受けた。
まさかバレたのだろうか。
僕がすれ違い様に匂いを嗅いでいたというのがバレてしまったのだろうか。
まあ確かに、すれ違うたびに鼻で大きく息を吸っていたからバレててもおかしくはないけど……。
すると彼女は恥ずかしそうに言ってきた。
「あ、あの、ごめんなさい……」
「え……?」
「け、今朝は急いでて髪洗ってないの……」
「……?」
「……いつも私の臭い嗅いでたでしょ?」
「………」
はい、きたー!!!!
僕がすれ違う度に匂い嗅いでるの思いっきりバレてたー!!!!
「今日の私、きっと汗臭いと思うから……」
「そ、そんなことありません!」
思わず僕は声をあげていた。
「あなたから発せられる匂いだったら、どんな匂いでも僕にとっては宝です!」
「………」
ってー!
何を言ってるんだ、僕は!
完全に変態発言じゃないか!
お、終わった……。
僕の高校生活、終わった……。
明日から別のルートを通って学校に行こう。
そう思っていると、彼女はドン引きするわけでもなく顔を赤らめながら言ってきた。
「……ほ、ほんとに?」
なぜか嬉しそうだった。
綺麗な笑顔だな、と思った。
その笑顔につられて、僕の口からまたポロリと本音が出た。
「はい。大好きです、あなたの匂い」
すると、彼女は「私も」とつぶやいた。
「私も、好きです……」
「……へ?」
「あなたの体臭」
「………」
へ、変態だった!
彼女も変態だった!
まさかの展開に唖然とする。
こんなにも可愛くて清楚な感じの子なのに。
名門女学院の制服を着てるってことは、頭も相当いいはずなのに。
天才と変態は紙一重とはこのことか。
などと、どうでもいいことを考えていると彼女はモジモジしながら聞いてきた。
「あ、あのぅ……、お願いがあるんですけど……」
「なんですか?」
「少しの間、息を止めててくださいませんか?」
「は、はい?」
息を止める?
何言ってんの、この人。
「少しの間だけでいいんです。お願いできませんか?」
少しの間ならどうということはない。
よくわからないお願いだったけれど、僕は彼女の言うとおり鼻をおさえて息を止めてみた。
すると、距離を取っていた彼女がソソソッとやってきた。
「………?」
いつもすれ違う、絶妙な距離。
そこで何をするのかと思いきや、いきなり彼女は僕の胸元に顔をおしつけてきた。
「ぶほっ!」
「ちょ、息止めててください!」
「ななな、何してるんですか!?」
「匂いを嗅いでるんです!」
「に、匂い?」
「あなたの体臭」
なんだ、この人。
マックス変態じゃないか。
「やっぱり、あなたの匂いを嗅がないと一日が始まらないんです!」
「いや、僕の匂いなんて……」
普通に汗臭いだけだと思う。
「く、臭くない?」
「いいえ、あなたの体臭は完璧です! 濃密で、濃厚で、鼻の奥がツンととろけるような、素敵な匂いです!」
「それ、褒めてんの!?」
軽くショック受けるんですけど!
けれども彼女は嬉しそうに僕の胸に顏をうずめながらくんかくんかと鼻を鳴らしている。
「ああ、やっぱり最高。あなたの匂いは最高」
その言葉に頭の中の何かがプツンと切れた。
「あ、あの! 僕もお願いがあるんですけど!」
「はい?」
「あなたの匂いも嗅がせてください!」
「え?」
「失礼します!」
僕は彼女が逃げるより一歩早くその華奢な身体をがっしりと抱きしめ、首筋に顔を近づけた。
「ひうっ!?」
小さく悲鳴を上げる彼女の首筋から、その体臭を一気に鼻に吸い込む。
朝洗ってないと言うだけあって、彼女の首筋からはムワッと濃厚な汗の匂いがした。
けれどもそれは不快でもなんでもなく、爽やかな青春の香りだった。
「い、いや……ちょ……やめて、くだ……さい……」
嫌がる声がさらに心地いい。
「やっぱり……朝のシャンプーの香りもよかったですけど、あなた自身から発せられる匂いのほうが好きです」
「わかりました……わかりましたから……」
彼女は顔を赤らめながら僕の腕から逃れようとする。
そのたびに濃密なフェロモンの香りと芳醇な汗の匂いが鼻腔を刺激するものだから、たまらない。
「ああ、なんて香しいんだ。僕はいまだかつてこんなに素敵な匂いをこんな近距離で嗅いだことがない」
僕の言葉に、彼女の身体からふっと抵抗する力がなくなった。
「ほ、ほんと……に……?」
「はい。できれば一生、嗅いでいたい匂いです」
我ながら何を言ってるんだと思うけど、彼女は嫌がるふうでもなく「ふふ」と笑った。
「嬉しい。私も……一生、あなたの体臭を嗅いでいたいです」
そう言って、胸元に顔をうずめる。
僕はそんな彼女の髪の毛をそっと撫で、頭の匂いを嗅いだ。
まさかお互い臭いフェチだったとは。
真夏の早朝。
汗ばむ暑さの中、僕らはいつまでもお互いの匂いを嗅ぎあっていた。