ルームシェア
僕の父は、そこそこの金持ちで、就職が決まったときにすぐこのマンションを買ってくれた。世間の人からは、ぼーやと陰口をたたかれるだろうが、実家からでは、あまりにも遠いし、大手とは言え弁護士事務所のアシスタントの給料では、まともな生活はできないから、いつかは、この借りかえすと誓って甘えることにした。の、だが、まさか、事務所の先輩が転がり込んでくるとは、計算違いだった。そのうえ、先輩は、一応女なのだ。いちおう。
入社して半年ほどして、先輩のアシをやることになった。先輩は、のめりこむと時間を忘れてしまって、電車の最終を逃すことが多いのだ。朝、出社すると、事務所の仮眠室にいることがたびたびで、目の下のくまが日に日に、濃くなって、思わず、「うちに来ます?」なんて、言ってしまったのが運の尽き。一日だけのつもりだったのに。それなのに、それなのに、次の日スーツケースで出社してきたときには絶句した。
「この事務所の給料では、たよれる実家がないと、アパートの家賃を払ったら、ほしい本も買えないのよ。ほんと、助かった。」
「えっ、俺、男ですよ。」
「知ってるよ。どう見ても、女には見えないわよ。」
「で、先輩は、一応、女のひとでしょ。」
「一応、って、一応って、なによ。」
「出るとこ出て、引っ込んでるところは引っ込んでて、ナイスバディな女性でしょ。」
ほんとか、いつも事務所の事務服ばっかり来ていて、「悩まないから楽なのよねぇ」なんて言ってる人が、なにが、ナイスバディなんだよ。って、そこじゃないだろ!
「体形が問題なんじゃないでしょ。」
「あなたのところ、2LDKで、一部屋余っているんだし、すこしは、家賃も入れるから。」
「あの部屋は、いずれ書斎にと思っているんです。」
「新米さんに、まだまだ、書斎なんかいらないわよ。それに、司法試験、マンツーマンで、やさしく、手取り足取り、教えてあげるから。」
なんて、言葉に騙されて、はや、一年。思いもよらなかったことに、先輩が、僕の洗濯も料理もやってくれるようになっていた。料理もうまい、うますぎる!でも、このままでいいのか!事務所では、きびしく指導され、家では、やさしい。困るんだよな、このギャップ。
「私がいると、便利でしょ。私も、事務所に近くて、ほんと、助かる。もうちょっと、居させてね。あなたに、恋人ができるまで、で、良いから。」
「できないと、思っているから、そんなこと言うんでしょ。」
「あら、そんなことないわよ。事務所でも評判のイケメン君。」
この恋人ができるまでってのが、残酷なんだよな。事務所の女の子たちにも、注目されていて、告白されることも、何度かあったけど、僕は、先輩が好きになっている。7つも上の先輩が、好きになっている。でも、仕事で、大きく差を開けられていて、僕から告白なんて、間違ってもできない。だから、よけいに、今の関係が重荷になってきているのだ。
最初は、親のすねかじりな、ぼーやだと思っていた。「うちに来ます?」といわれ、少し、困らせてやろうなんて、いたずら心で、同居が始まった。まあ、あの子は仕事に、まじめだから、先輩の私を襲ってくるなんて、微塵も思わなかった。そう、その通り。この一年、なにも、変化は無い!最初は、7つも、年下のあの子が、弟のようにかわいくて、母性本能がくすぐられた。もともと、共働き家庭で育った私は、家事全般家族のことを、一人暮らしをするまではこなしてきたので、仕事をしながら、それをこなすことはたいして負担に思わないから、当然、あの子の分まで、やることに抵抗はなかった。それがいつの間にか弟としてではないことに気付いてしまった。7つも年下の後輩なのに。相手にされないことは判っている。だから、
「あなたに、恋人ができるまで、で、良いから。」
なんて、言っているけど、本当に、恋人を連れてきたらと想像すると、心臓がツキンと、痛む。
そんな関係のまま、時間だけが過ぎていった。その間、当然、司法試験は、鬼のような先輩に泣かされたおかげで、一発合格。研修期間も無事終えて、仕事も楽しくなってきていた5年目の春、僕に、新卒のアシがついた。かわいい女の子だ。事務所の独身男性からは、うらやましがられたが、たしかに、悪い気はしない。でも、それだけだ。僕には、先輩がいる。まだ、告白はできないけど、いつか、絶対、告白できるように、今、頑張っているんだから。僕が、入社して先輩に教えてもらったことを、今度は自分が先輩として、きちんと教えてあげたいと、一生懸命だったのだが、彼女と噂になった。
先輩にも、当然、噂は、伝わったのだろう。ある日、出張からマンションに戻ったら、きちんと片付けられたリビングのテーブルに、メモが残されて、消えていた。
「長い間、ありがとね。あなたも、お年ごろ。そろそろ考えないと、と、思っていたのに、ついつい、便利なもんだから、居座っちゃって。ごめん。彼女と仲良くね。」
先輩に電話しても、電源が切れてるとコールされるだけ。明日、出社したら、自分ではまだ、言えるような人間じゃないけど、先輩に、きちんと伝えよう。
早めに出社した僕は、先輩のデスクを気にしながら、自分の仕事をこなしていたが、昼になっても、先輩は来なかった。事務所の女の子たちが、給湯室で話をしているのが耳に入った。
「急でしたね。迷っていたけど、今しかないって、ニューヨークに行って勉強することにしたんですって」
僕は、あらゆる伝手を使って、やっと、先輩が乗る便を知ることができた。
「なんで、今日なんだよ。日本でやり残したこと、ないのかよ!」
私は、バカだ。彼に告白もできず、逃げるように、渡米することにした。もう会うこともないだろうか。渡米したいとずいぶん前から思っていたのに、彼がアシに入って、かわいくて、自分が持っているもの全部教えてあげたいと、ずるずるとして、もう、渡米しなくてもなんて、情けないこと、考えていたから、ばちが当たったんだ。あっちで、頑張ろう。人生修行だ。スキルを上げて、大きな仕事がしてみたい。良い機会だったんだ。
私は、搭乗手続きをしようと、歩き出すと、大きく肩で息をしている、彼が立っていた。
「乗せませんよ」
「何言ってんの。チケット、高いのよ。今まで、あなたのおかげで、お金もたまって、これからは、晴れのニューヨーク生活よ。」
「いろいろ、勉強したいのよ。」
「いつ、帰ってきます。」
「待っています。先輩が帰ってくるまで、待ってます。」
「当然よ、あなたが事務所やめない限り、日本へ戻るときは、今の事務所に戻る契約なんだから。」
「そういうことじゃなくて。」
「じゃあ、どういう意味よ。」
「どっちにしろ、あなたには、追いつけないことが、今日、わかって愕然としたんです。僕が考えている弁護士像のはるか上をいっている先輩には、追いつけないことを痛感したので、今、言います。」
「僕と結婚してください!」
空港の人すべてに聞こえたんじゃないかと言うほどの声で、彼がさけんだ。周りの人から一斉に見られている。
「ド、ドラマじゃないんだから。」
こう言う時って、うれしさよりも、恥ずかしさのほうが先になるのね。こちらも、叫んでしまう。
くるっと背を向けて歩き出す。周りにいた人が口々にささやいている。
「このさき、どうなるの。せっかく、面白くなってきたのに。」
「かわいそうに、おにいさん。」
「あんなイケメン、もったいないねぇ。」
搭乗手続きの女の子が、心配そうにしている。
「いいんですか、本当に、入っちゃうんですか。」
「いいんです。」
「本当に、良いんですか?」
「いいんです。あとで、LINEしますから。」
最後は、蚊の鳴くような声で答えた。情けない。
まったく、他人は、何を期待してるのよ。
離陸までには少し時間がある。座席について、彼にLINEした。
「あの部屋、私のために空けておかなくてもいいわよ」
「空けておきます。結婚が無理でも、前と同じように使ってください。」
「最初の予定通り、書斎として使って。」
「いえ、僕は、先輩と暮らしたいです。」
「日本に戻ったら、あなたの書斎であり私の書斎にすればいいでしょ。」
「えっ、先輩が近くに住んで、通ってくるんですか?」
「だって、もう一部屋、あるでしょ。」
「えっ? えーーー!」
「バカね。」
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第1回 ルームシェア と検索してください。
声優 岡部涼音が朗読しています。