03
『人間と恋人ごっこなんてやめときなよ』
紅螢は顔を強ばらせ、ぎゅっと手を握る。
『お前には関係ない…』
『関係あるよ〜。お隣さんだもん。………ねぇ紅螢ちゃん…ホント〜にやめときなよ、つらいだけだよ?』
『…』
『クゥルド君はあっという間に死んじゃうよ?一人になった後どうするの?今までの一人ぼっちとは違う…悲しくて寂しくて寒くて、心にぽっかり穴が空いてずぅっと冷たい風が通り抜けるんだ。紅螢ちゃんは耐えられるの?』
僕は耐えられなかったよ、とレドルは激情を抑えるように低く唸る。
事情を話でしか知らない紅螢はレドルの聞いたことのない声色に息をのみ、ゆっくりと生唾を嚥下する。
『…脅してごめんね…僕、紅螢ちゃんは妹みたいでつらい思いをさせたくないの…』
『…私の方が年上だ…』
『…そ〜だね』
レドルの忠告は理解できる。不老長寿の主とただの人間では寿命が天と地ほど違うため、主達にとっての一年は人間にとって百年の体感である。
人間と恋仲になったとしても主は人間の老いに置いていかれ、孤独の中また永い時を生きることとなる。
そんなことは分かっている
『もう遅い』
『ん?』
孤独に苛まれることなど紅螢にも十分分かっていた。理解した上でもクゥルドと離れることはできなかった。
魚介類が食べられないクゥルドに遠く離れた南の森の果実を与え、沼地から出ていかないように手を尽くした。
そんな手間をかけるほど紅螢は孤独を感じており、そして今はクゥルドと一日でも離れたくなかった。
『クゥルドが死んでも、クゥルドと離れても、私は悲しくて寂しくてきっと耐えられず泣く。もう遅い』
『…』
『千年だ』
『え?』
この世界に生まれて千年が経ち、レドルの倍は生きている。
『千年も生きたんだから、もういいではないか…死んだって』
『…ッそれって、』
『クゥルドが死んだら、私も』
『紅螢ちゃん!!!』
『レドルが私を心配しているのは分かってる。だが私はもう決めた…クゥルドが私を受け入れてくれたあの日から』
レドルが痛ましそうに咎めるも紅螢は頑なに譲らない。
『クゥルド君は知ってるの…紅螢ちゃんが後を追って死ぬつもりだって…』
『知るわけないだろう。言葉も通じないし伝えるつもりもない。どうせクゥルドは後を追うことを許さない』
『僕だって許さないよ』
『…私だって、後など追いたくない。人間は百にも満たない時を耐えれば愛しい者の隣で眠れる。私達の寿命はそれができない。人間は孤独を子や孫などの人同士で薄められるが私達に子は作れん』
目の見える人間には怖がられるしな、と悲しげに呟き俯く。
『なぁレドル、悪いことなのか?』
『なにが〜』
『人間のように、クゥルドと同じように生涯を終えるのは』
『──ッ』
『何故私は主なんだ…何故人間じゃないんだ…羨ましい…子に囲まれ好いた者と生涯を共にできるなんて…ずるい…』
『紅螢ちゃん…』
紅螢は泣きそうに顔を歪め、瞳は潤み、レドルはそんな紅螢を苦い顔で見つめる。
『私からクゥルドを取らないでくれ…これ以上は望まない。クゥルドがいてくれるだけで私は十分幸せなんだ』
『…紅螢ちゃんの頑固者』
『うるさい』
『紅螢ちゃんのくせに無欲』
『うるさい』
『…もっと我儘でもいいのに』
『十分だ』
紅螢の我儘が叶わないことは分かっている。
それならばできる範囲で幸福を感じるくらいは許されるだろう。
『私は、十分幸せだ』
*
『あ〜も〜知らな〜い!紅螢ちゃんのばかばかばか〜!』
そう言ってレドルはゴロゴロと地面を転がった。はたから見たら虎が遊んでいるようにしか見えない。
『僕は紅螢ちゃんのことを思って言ってるのに〜』
『お祝いと言いつつ忠告しにきたくせに…』
そうだけど〜!と転がりながら唸るレドルは、いいこと思いついたと顔を勢いよく上げる。
『クゥルド君の目を治してあげようよ〜!』
『な…ッ』
『今のままじゃクゥルド君も大変だし、逃げ出さなければ紅螢ちゃんへの愛が本物か確かめられるね〜』
『やめろ!!』
『…』
紅螢はつんざくような声で制止する。
肩で上下させた紅螢は、傷ついた顔でレドルを見つめる。
『れ、レドルは私が嫌いなのか…?どうしてイジワルするんだ…クゥルドの目が治ったら、クゥルドはきっと…』
『紅螢ちゃんのことは嫌いじゃないよ。イジワルするのはクゥルド君が嫌いだからだよ〜』
『な、なんで』
『ずるいから』
よく分からないと紅螢は首を傾ける。
不機嫌そうに三本の尻尾を揺らすレドルは、声色は優しく言葉を続ける。
『裕福な家庭に生まれ、のらりくらりと過ごし、目が見えなくなり俗世から逃げ出した。逃げ出した先では自分を慕う紅螢ちゃんがせっせと世話を焼く…ねぇ、ずるいよねぇ?』
『それのどこが悪いんだ』
『ん〜ん、悪くないよ〜…ただただずるいんだよ。僕が個人的に妬ましく思ってるだけ〜』
人間の生き方などレドルが口を出すことじゃない。逃げようが嘆こうが妬もうが人間の自由であり、不幸になろうが幸せになろうが主としてその様子を見守るだけだ。
しかし、主ではなくレドルとして、クゥルドのことを妬ましく思っている。
『人間達だって幸運が続く人間を影で妬ましく思うでしょ?僕もクゥルド君が妬ましい〜ずるい〜!せめて自分の愛する紅螢ちゃんの本当の姿を見て震えてほしいな〜!』
『レドル…ッ』
『紅螢ちゃんごめんねぇ…申し訳ないけど少しクゥルド君借りるね〜』
『やめろ!…ッやめて!お願い!!』
激しい水しぶきを上げて紅螢は、クゥルドの元へ駆けるレドルを捕まえようと迫る。
走りながら紅螢を振り返るレドルは、全身から凍てつくような冷気を発し、周囲を凍らせる。
地面を凍らせ、草花を凍らせ、水面を伝い紅螢のいる沼が徐々に凍っていく。
『しまっ、…たッ!』
パキパキと音を立て瞬く間に水が氷へと変わり、逃げ遅れた紅螢の身体を沼ごと凍らせることで拘束した。
紅螢の下肢は身動きできず、華奢な腕では割ることもできない。
『レドルッ!』
『紅螢ちゃん、少しの間いい子で待っててね〜』
『治さないでくれ!このまま平穏に過ごさせてくれ!私から、私からクゥルドを取らないでくれッ!』
『…』
泣き叫ぶ紅螢を一瞥したレドルは、簡素な山小屋の扉を蹴破った。
「!?え?え!?」
『やっほ〜クゥルド君!』
「?主様…のご友人様?──ッ!?」
『ちょっとごめんよ〜』
困惑するクゥルドを無視したレドルは、器用にクゥルドを服を咥えて移動する。
「冷た…ッ!?」
『十五分だけ我慢して〜』
うるさいなぁと悪態をつきながらレドルは地を蹴る。
「…え?」
突然の浮遊感にクゥルドは、状況が全く把握できずますます困惑する。
地を蹴ったレドルは、次に空を蹴る。クゥルドを咥えながら天高く駆け登り、レドルは東を目指し信じられない速さで移動する。
レドル達を残して背景だけが風のように通り過ぎる。
『朝霧が協力してくれるといいんだけどね〜』
レドルに咥えられたクゥルドは、顔を真っ青にさせ微動だにしなかった。