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「それは・・・・秘密」 (3)






戻ったテーブルには、誰もいなかった。


私と森宮さんの荷物はそのまま残された状態で、アイスコーヒーも残ったままで、森宮さんだけがいなかった。


「森宮さん……?」


辺りを見回すと、出入り口近くのカウンターに森宮さんの姿を見つけた。

その手が名刺入れと同じ色の財布を持っているのに気付いた私は、急いで森宮さんに駆け寄った。


「森宮さん、あの、自分の分は自分で払いますから」


そう言ったくせに、バッグは席に置いたままで、私が持っているのはハンカチだけだ。

支払いを終えた森宮さんはそんな私を見るなり、いいからいいから、という風に私を席に戻そうとした。

そのとき、ふいにカウンターに立っている店員と目が合った。

私達のやり取りを見ていた店員が、百点満点の笑顔で「どうぞごゆっくり」と言ってきたので、そのおおらかな笑顔になんだか恥ずかしくなってしまった私は、ひとまず、おとなしく席に戻ることにしたのだった。



「野田さんとオレ、いったいどれだけ歳が離れてると思ってるの。オレが払うのが当然でしょ」


席につくなりバッグから財布を取り出そうとした私に、森宮さんが本気で呆れたように笑った。


「でも前回もご馳走になってますから……」


そう。前回、デパートのカフェでも支払いは森宮さんがしてくれたのだ。

年上だし、当たり前と言われたらそうなのかもしれないけど、森宮さんは私の上司でも先輩でもない。ましてや、恋人でも友達でもないのだから、そんな人にご馳走になるのは気が引けてしまう。


「いいから、野田さんは素直に奢られてなさい」


森宮さんがとどめのようにそう言ってくると、私は、やっぱり森宮さんにとって私は子供扱いになるんだな……と、ちょっと落ち込んだ。

けれどそれを顔に出したりしたら、また森宮さんに ”まっすぐだね” とか言われそうな気もして、どんな顔を作ればいいのか悩んでしまう。

なのに森宮さんは、


「そんな難しい顔しないでよ」


とまた笑うのだ。

そして私がテーブルに置いたハンカチを指差した。


「それよりも、そのタオルハンカチ、やっぱりお気に入りなんだね」


「え?あ……はい」


話を逸らすように言ってきた森宮さんだったけど、私はそれに乗せられて返事をしていた。

こんな単純では、森宮さんに子供扱いされても仕方ないかもしれない。



「ただのオマケだったのに、そんなに愛用されてるのを知ったら、それ作った人も喜ぶだろうね」


そう言った森宮さんは、さっきの呆れ混じりやからかいを含んだものではなく、本当に嬉しそうに、笑ってみせたのだった。

私はそんな森宮さんを見て、



ああ、やっぱり私はこの人のことが好きなんだな………



そう実感した。


そしてぼんやりとタオルハンカチに視線を移した。

このハンカチのおかげで、私と森宮さんは知り合えたのだ。


「……でも、もうだいぶ傷んできてますけど」


ハンカチを眺めながら答えて、その視界の延長線に、森宮さんの財布があった。

名刺入れと同じネイビーの革製、二つ折りタイプで、ラウンドファスナーなどが付いてないオープンタイプのものだ。

ネクタイやビジネスバッグなど、持ち物もスタイリッシュでセンスがいい森宮さんだけど、この財布は少し年季が入ってるようだった。


「森宮さんだって、そのお財布……愛用されて長いんじゃないですか?」


「ああ、これ?そうだな、もう十年は越えてるかな」


「そんなに?それで少し傷んでるんですね。でもネイビーって、珍しいようにも思うんですけど……確か名刺入れもネイビーでしたよね?」


私の質問に、森宮さんは一瞬、お、と少しだけ驚いたような反応をした。


「よく見てるね。そうなんだ」


にこやかに答えて、財布を触る森宮さん。


「ネイビーがお好きなんですか?」


「というよりも、本当は青が好きなんだ。でもさすがに青の小物はちょっと浮きそうだからね」


そういえば、はじめて会ったときも青系のネクタイをしてたっけ。

私はあの夜のスーツ姿の森宮さんを思い出していた。


私服もおしゃれだけど、スーツ姿もかっこよかったな………

今、私がそんなことを考えてるなんて、きっと森宮さんは想像もしないだろう。

ちらりと森宮さんを盗み見ると、森宮さんはまだ財布を触っていた。

片手で器用に開いて、ネイビーのレザーを指の腹で撫でる。

その指の滑らかな動きに、あの夜の煽情的に感じたシーンまでもが思い浮かんできて、私は頬が熱くなってしまいそうになった。


だけど、一瞬、


ほんの一瞬だけ視界を過ったものに、頬の熱どころではなくなってしまった。



森宮さんは二つ折りの財布を慣れた手つきで弄っていたけれど、ときどき、その中が露になるのだ。


覗き見るつもりはなかったけど、たまたま目に入ったところに、免許証があった。


ちょうど、名前の欄が見えるようになっていたのだが、そこにあった名前は………



森宮 健では、なかった―――――




目に入ったのは一瞬だけ。


けれどもそれは絶対に ”森宮” ではなかった。



私が固まったまま財布を見つめていると、森宮さんも何かを察知したように、財布を触っていた手を急に止めた。


「……もしかして、何か見えた?」


その顔色は、今まで見た中で一番の焦りが滲んでいた。


「………」


私は黙って、頷いた。

すると彼からは盛大な溜め息が聞こえてきたのだ。


「そっか…」


そのたった一言の中に、後悔と諦めが混在しているようだった。


「野田さん相手だと、つい気が緩んじゃうんだよな……」


「あの、」


「待って」


さすがに今回は見て見ぬフリはできず、きちんと尋ねようとした私に、森宮さんは自分の胸の前で手のひらをこちらに向けた。

まるで ”ストップ” というジェスチャーのようだ。


「オレの想像が当たってるなら、野田さんが不審に思うのはよく分かる。でも、今はなにも訊かないでほしいんだ」


森宮さんは心底申し訳なさそうに言った。

その姿が芝居だなんて思えないし、森宮さんを信じたい気持ちもある。


だけど、森宮さんには秘密が多過ぎる………


私がなにも言えずにいると、森宮さんがまた嘆息した。


「………って、無理があるよな……」


自嘲するような森宮さんに、私は ”そんなことないですよ” とは言えなかった。



「考えてみればオレ、野田さんと会う度に何か秘密が増えてるもんな……。そりゃ、怪しく思われても仕方ないか。逆に怪しまない方がおかしいよ」


私に向けてなのか、それとも自分自身に対して言い聞かせてるのか、そのどちらもに聞こえた。


「でも、前にも言ったけど、何かこう……事件とかに関係してるわけじゃないから。……いつか、時期が来たら、野田さんにはちゃんと説明するから。いやむしろ説明させてほしい」


心なしか、森宮さんの話し方が前よりも砕けたように感じた。

もしかしたら、こっちの話し方が素の森宮さんなのだろうか。

そう思ったら、そんなところでも私の知らない森宮さんの片鱗が覗いた気がして、ドクン、と心臓が痛くなった。


森宮さんと出会ってから、何度も何度も胸が弾んだりキュッと詰まるようなことはあったけど、こんな痛みははじめてだった。



「私……秘密は、好きじゃありません」


胸の苦しみから逃れるように、そんな言葉を吐き出していた。

そう告げたところで、楽になれるはずはないけれど、ただ、ひたすらに森宮さんから贈られる ”秘密” を、もうこれ以上増やしたくなかった。


森宮さんは私の態度もある程度は予想できていたのか、


「そうだよね」


言い訳することなく、受け入れた。

けれど、まるで傷付いたように眉尻は下がっていた。


「きみには、秘密とか嘘とか、そういうのは似合わないよね」


そんな悲しそうに笑わないでほしい。

私まで、つられて泣き出しそうになってしまうから……


「きみのこと、まっすぐだとか、嘘が吐けないタイプだとか言ったくせに、そんなきみに秘密を押しつけてばかりで、申し訳ないはと思ってるんだ」


そんな苦しそうに謝らないでほしい。

あなたのことを好きな私は、すぐに許してしまいそうだから。


だけど、この恋心は、もうどこかに捨ててしまった方がいいのかもしれない。

本当の名前さえ教えてくれないような人とは、もう、会わない方がいいだろうから……


やっと気持ちを自覚したところだったのに。

好きだなんて告げられなくてもいい、

ただ好きでいるだけでいい――――――

そうまで思っていたのに。


秘密だって、最初は、ちょっとした共犯者気分にもなっていたくらいなのに。

けれど、さすがに名前まで秘密とされてしまったら、恋心よりも不信感の方が勝ってしまう。


森宮さんのことが、好きなのに。

まだたった3回しか会ってないけど、それでもこんなに好きになってるのに……



私は無言で財布から二千円を抜き、テーブルのコースターの横に置いた。


「……すみません、お先に失礼します」


そう言ってから、森宮さんの返事は待たずに立ち上がった。


彼の視線が私を追ってくるのは感じたけれど、もう返したりはしない。

けれど、座ったままの彼の横を通り過ぎるとき、一言だけ伝えた。



「森宮さんのことは口外しませんから。……さようなら」


もう会わないという意味でそう告げたけれど、

店を出るとき、森宮さんが呼び止めてくれたらいいのに…とか、そんな自分勝手な願望が過ってしまった。

でももちろん、森宮さんは追いかけてきたりはしなくて。


よくよく考えてみたら ”さようなら” なんて、日常生活であまり使わない言葉だったんだなと、そんなことを改めて思いながら、

だからこそ、その言葉の持つ切なさに、声を出して泣きたい気分になった。



帰り道、私は、テーブルウエア展のチケットの半券を駅のゴミ箱に捨てた。


今日の思い出と、短かった片想いとともに。









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