「それは・・・・秘密」 (2)
テーブルウエア展は、なかなか興味深くていろいろと勉強になった。
一緒に観賞すると言っても、それぞれに好みの作品も違ったので、自然と歩く速度はばらついていき、展示室を移動する際にどちらからともなく距離をつめる・・・というパターンが自然と出来上がっていった。
そしてすべてを観終えた後、森宮さんの「喉渇かない?」という一声で、近くのカフェに移動することになったのだった。
この近くには私もお気に入りのカフェがいくつかあったのだけど、この場は森宮さんに任せることにした。
だけど森宮さんが連れて来てくれたのは、私のお気に入りのひとつだったものだから、そんな些細なことだけど、あっけなく私を幸せな気持ちにさせた。
例えるなら、ふと無意識に見遣った先に四葉のクローバーを見つけたような、たまたまの偶然に訪れた、ちっちゃな幸福感。
そんな幸福感をひしひしと感じながら店の壁際の席に腰掛けて、向かいに座った森宮さんを見たとき、
・・・・・・ああ、私、この人のことが好きなんだな・・・・・・
唐突にそう思った。
ライバル会社の人だとか、
まだ会うのが3回目だとか、
もう会わない方がいいとか、
そんなブレーキがまったく役に立たないほど、あっけなく、私は自分の恋心を自覚したのだった。
森宮さん・・・・
出会ってから、もう一度会いたいとずっと探し続けていた人。
けれどその人は、ライバルとされる他社メーカーの人で・・・・
・・・・分かってる。そんな人を好きになっても、想いが叶うわけはない。
いわば、不毛な恋。
諦めた方がいい。
傷付く前に。
頭の中では臆病な私が引き止めようとしている。
ライバル会社とか関係なく、そもそも森宮さんみたいにハイレベルの大人の男の人を本気で好きになっても、自分とのあまりの違いに落ち込むばかりだと・・・・
けれどもう一方では、好きでいるくらいは問題ないじゃない・・・と、この想いを肯定したがる私もいるのだ。
打ち明けたりなんてしないから、それなら、好きでいることくらい誰にも迷惑かけないもの・・・・
自覚したばかりの恋心に対する言い訳をいくつも並べていると、ふいに、森宮さんから「どうする?」とメニューを見せられた。
「あ・・・森宮さんは、どうされますか?」
「オレはアイスコーヒーにしようかな」
「じゃあ、私はアイスティーをストレートで」
「なにか食べる?」
「いえ、ちょっと早めにお昼を食べてから出てきたので、私は大丈夫です。でも、もし森宮さんがなにか召し上がるなら、私も・・・ケーキセットをいただきます」
この店は、小ぶりなケーキが可愛らしくて美味しかったはず。
そして、そのケーキはエフ・レストの白いプレートに乗せられてサーブされるのだ。
ティーカップや他の食器はメーカーがバラバラなのに、ケーキだけは必ずエフ・レストを使うあたり、なにか特別なこだわりがあるのかもしれない。
そんなこともあって、私はこのカフェがお気に入りだったのだ。
白華堂に勤めている森宮さんの目にはどう映るのかは分からないけれど。
「じゃあ、オレもケーキセットにしようかな。ここのオペラが好きなんだ」
「森宮さん、甘いものがお好きなんですか?」
ちょっと意外に感じた私が尋ねると、森宮さんがふふっと目を細めた。
「好きだよ。アルコールも好きだけど」
ものすごくイケメンさんが、ものすごく甘く笑いかけてくれて、
それだけでもドキドキしてしまうのに、
さらにその人が自分の好きな人なんだなと認識したら、もう心の中は大騒動だ。
私はお冷やを一口飲んで少し落ち着くのを待ってから、
「そうなんですね・・・・。ちょっと意外でした」
と返事した。
「よく言われるよ。そんなに似合わないかな?」
森宮さんは笑いながら不服を訴えたけれど、ちょうど通りかかった店員に手をあげてオーダーの合図を送ったのだった。
森宮さんはオペラ、私はベイクドチーズケーキを注文して、しばらくは、たまにドキドキしながらも和やかな時間が流れていた。
けれど、オペラを食べ終えた森宮さんが、
「そういえば・・・」
と、思い出したように言ったのだ。
「エフ・レストに知り合いがいるんだけど、野田さん、オレのせいでおかしな噂を流されてるんだって?」
その問いかけに、私はストローに口を付けたまま森宮さんを見上げてしまった。
森宮さんはあまり深刻そうな雰囲気を出してはいなかったけれど、ぶつかった視線は、さっきまでより強い意思を持っているようにも感じた。
「それは・・・・」
認めたら、森宮さんは責任を感じてしまうだろうか?
でも、ここで否定したとしても、知り合いがエフ・レストにいるなら誤魔化しようもないだろう。
私が答えに窮していると、森宮さんの方から視線を外してくれた。
カラカラン・・とアイスコーヒーをストローでかき混ぜる森宮さんは、私が質問に答えられないこともお見通しだったように見えた。
やがて、静かな沈黙がテーブルに並ぶと、おもむろに森宮さんが頭を下げた。
「うちとエフ・レストはライバル関係らしいからね・・・・。迷惑かけて、申し訳ない」
「や、そんな、私は平気ですから、そんな風にしないでください」
私が慌ててそう言うと、森宮さんは下げたときと同じ速度で頭を上げて、本当に申し訳なさそうな表情を見せた。
「だけど、白華堂のスパイとか言われてるんだろう?」
具体的な内容を告げられて、森宮さんに嘘をついて誤魔化すのは難しそうだと思った。
でも、それでも私は、
「平気です」
と笑ってみせた。
だって、好きな人に心配かけたりなんてしたくないもの。
「平気?本当に?」
「はい」
「でもそのせいで新入社員の同期の間でもぎくしゃくしてるんじゃないの?」
「・・・そんな時期もありましたけど、一度ちゃんと否定しましたから。それでも信じてくれない人は、仕方ないです・・・・」
ぎくしゃくした空気がまだ残っているのは事実だけど、それだって何かの妨げになっているわけではない。
少なくとも、面と向かって何かされたり言われることはないのだから、森宮さんに謝ってもらう必要は全然ないのだ。
けれど、森宮さんはまだ納得いかないように掘り下げてくる。
「本当に?なにか嫌な思いしてない?」
「大丈夫です。本当に。もしかしたら私の知らないところでなにか言われてるのかもしれませんけど、そこまでいったら、どうしようもないですから・・・・」
再度そう答えても、それでもまだ心配げな顔を崩さない森宮さんに、私はだめ押しのようにキッパリと言った。
「本当にお気になさらないでください。エフ・レストの皆さんは優しい方が多いですから」
私がそう言うと、森宮さんは「そう・・・・」と、やっと納得してくれたようだった。
だけど、
「いい職場なんだね・・・・」
続けて言った森宮さんの声は、どこかさっきまでと違った響きがあった。
なんだか曇ったように聞こえてしまったのは、私の気のせいだろうか・・・・?
いや、もしかしたらあの夜エフ・レスト本社にいた森宮さんには、表情を曇らせるだけの理由があるのかもしれない。
「それは・・・もちろん、いい職場だと思ってますけど、でも、あの・・・」
森宮さんの曇りを晴らそうと口を開いた私だけど、いつかのエレベーターでのように、またもやうまく話題が拾えなかった。
けれど、ふっと、さっき鑑賞してきたばかりのテーブルウエア展のことが頭に浮かんだのだった。
「そういえば、森宮さんが熱心にご覧になってたのはシンプルなものが多かったですよね。白華堂にお勤めでしたら、もっと華やかなものがお好みかと思ってましたから、ちょっと意外でした」
一緒に観て回っているうちに、森宮さんが長く足を止める展示品に、なんとなく私も意識が向いてしまったのだ。
私は、なかなかいい話題転換だとこっそり自負した。
だけど森宮さんは私の指摘に、え?という風に微かな戸惑いを見せたのだ。
「そうかな・・・・?オレの好み、そんなに分かりやすかったかな?」
「あ、いえ、なんとなく・・・です」
まさか、美術館で森宮さんの視線を追っていたなんて告白できるはずもない。
私は両手を大きく振って否定した。
そんな私のややオーバーなジェスチャーに、森宮さんは戸惑いを消しておかしそうに笑ってくれた。
そしてアイスコーヒーで喉を湿らせると、グラスの外側に付いている水滴を指の腹でなぞるように拭いた。
それは何気ない、誰でもするような仕草だったけど、妙な色気を感じさせて、とたんに私は落ち着かなくなる。
私の好きな人は、男の人なのに色気があり過ぎて困る・・・・・・
ひとりでドキドキしていると、森宮さんがコトン、とグラスを置いた。
「・・・・確かに、どちらかと言うとオレの好みは白華堂よりもエフ・レスト寄りなのかもしれないね・・・」
「そう、なんですか?」
「うん。白華堂の明るい色づかいもいいと思うんだけど、シンプルなエフ・レストの方が、オレの性格には合ってるかもしれない」
「性格・・・?」
まだ会うのは三度目で、名前と勤め先くらいしか森宮さんのことを知らない私は、森宮さんの性格がどんなものか分からない。
何度か会話をする中で、優しい人柄や、その口調から穏やかな印象を覚えたけれど、いつも秘密が付いて回る彼には、なんだか掴めない部分もあったから・・・・
私はなんて返そうか逡巡したけれど、率直に思ったことを尋ねることにした。
「でもそれなら、どうしてエフ・レストではなく白華堂に入られたんですか?」
それは単純な質問のつもりだった。
ごくわずかの好奇心も含まれていたのは否定しないけれど、誰だって好きな人のことを知りたいという思いはあるだろう。
私は、てっきり、その答えはすぐに返ってくると思っていた。
なのに森宮さんは、ストローを弄ぶように触りながら、少しの間勿体ぶるように黙してしまったのだ。
たぶん、ほんの数秒のことだったと思う。
けれど私を焦らすには充分過ぎる時間だった。
そしてたった数秒で私の心を波立たせた森宮さんは、まるで何事もなかったように、
「それは・・・・秘密」
と言ったのだった。
大人のユーモラスな余裕を醸し出したようでもあり、ちょっとお茶目にも感じてしまうような言い方で。
これが外国の映画だったりしたら、きっとウインクのひとつでも付け加えられていたに違いない。
軽い感じに、冗談っぽく告げてきた森宮さんに、私が不快感を持つことはなかった。
けれど、結局、森宮さんの纏う秘密がまた一枚増えてしまったのだ。
私は表面上は「秘密、ですか・・・?」なんておとなしく振る舞ってみせたけれど、気持ちの上では結構なショックを受けていた。
だって、好きな人のことを知りたいと思っても、それを柔らかく、まるで真綿のような拒否をされてしまったわけだから・・・・
「・・・すみません、ちょっと化粧室に・・・」
私はそう断って、ハンカチだけを持って席を立った。
このまま森宮さんの前にいると、うまく表情が作れなさそうだったからだ。
最近腕をあげたと思っていたポーカーフェイスも、好きな人の前ではビギナーに逆戻りしてしまう・・・・
私は化粧室で汚れてもないのに手を洗い、鏡に映る自分を見つめた。
――――――――――森宮さんのことを好きだというのは、誰にも知られてはいけない。もちろん、森宮さん本人にも。
そのためにも、森宮さんの言葉や態度にいちいち敏感に反応しちゃいけないの。
いい?分かった?
無言のまま、自分に言い聞かせるように問いかける。
当然返事はないけれど、少しは気持ちがまとまったように感じた。
そして私は、森宮さんを待たせているテーブルに戻ったのだった。