「秘密を、君に・・・」(4)
私は無言のまま、けれど表情ではその先の詳細を求めた。
すると彼は、湿った前髪をかきあげて、フゥ……と長めの嘆息をした。
それはまるで、今から説明するから、という合図のようにも聞こえた。
「……オレがエフ・レスト創業一族の人間だという話をしただろう?現社長は伯父だけど、オレが子供の頃はまだ祖父が現役で、オレもよくエフ・レストに連れてこられてたんだ。当時の本社も今と同じ場所に建っててね。もちろん建物は今と全然違って古いものだったけど、今ほど大きくもなかったから、アットホームな雰囲気で、オレや従兄達がしょっちゅう遊び場にしてた。だから、オレがエフ・レストに興味を持つのは自然の流れだった」
彼の話に耳を傾けている私の髪を、風がまるで口答えするような勢いで乱していく。
まだ本格的な夏を迎える前の夜風は、ほんのりと体を冷やす気がした。雨上がりならなおさらだ。
私は視界を遮る髪を耳にかけながら、彼の続きを待った。
「オレの従兄はみんな男で、歳もそんなに離れてなかったから、みんな仲は良かった。その中でオレは一番年下で、ずいぶん可愛がってもらってたんだ。特に現社長……当時は取締役部長だった伯父夫婦には子供がいなかったから、本当の息子のように可愛がってもらってた。その頃から、祖父の第一子である伯母がエフ・レストを継ぐことは決まってたんだけど、最終的には、祖父に才能を見出だされた伯父が次期社長に就任した。その前後だよ、伯父の跡を継ぐのはオレだと噂されだしたのは……」
彼はそう言いながら、手摺りの上に乗っていた細かな雨の露を、指でシャッ、と払った。
反動で宙に散った露が、一瞬、夜景に混ざる。
けれどそれは本当に刹那の間で、まばたきすれば見失うほどの、儚い光景だった。
そしてそんな儚い瞬間に、彼の顔色はすっかり落ちていたのだった。
「当時オレはまだ高校生だったけど、伯父の次の後継者は伯父が可愛がっているオレだろう、周りはそんな噂で持ちきりだった。そんな環境で、従兄達はエフ・レストでなくそれぞれ別の道を進んで行ったよ。今は社外取締役としてエフ・レストにも関わってるけどね。……そういうわけで、消去法でいってもオレが伯父の跡を継ぐことがほぼ確定しつつあった。でもオレは嬉しかったんだ。オレの実家や、祖父母の家で使われるのは当然エフ・レストの食器ばかりでね。物心ついたときにはエフ・レストだらけだった。でも小学校に入る頃には、友達の家で食事をご馳走になる機会が出てくるだろう?そういうときに、オレも、きみとまったく同じことを感じたんだよ」
「私と同じ、ですか……?」
「そう。エフ・レストの食器を使ってる方が美味しく感じるなーって」
語尾をのばして少しカジュアルに言った森宮さんのセリフに、私は「あ」と小さく声を上げた。
確かに私も子供のときそう思った。
それが、まるで魔法のようにも感じたんだ。
だからすっかりエフ・レストのファンになって……
もしかしたら、私以外にも同じように感じた人がいるかもしれないとは思ってたけど、まさか森宮さんがそうだったなんて。
「ね。きみと同じだろ?」
彼は、さっきの沈んだ表情をにわかにゆるめて、少しだけ嬉しそうに言った。
「そうですね……」
私だって、好きな人との共通点を発見できて嬉しいに決まっている。
だけど些か心が弾まないのは、きっと、彼の様子がまた落ち込んでいったように見えたからだろう。
「オレも、いつかエフ・レストに入って、食事をより一層美味しく感じるような食器を作りたい……そう思ってた。高校卒業する頃にはエフ・レストで企画会議に特別に参加させてもらったり、実際に商品の簡単なデザインをさせてもらったりしてたんだ。そのデザインも良い評判をもらえて、自信も持てたし、だから、伯父の跡を継ぐことに異論はなかった。でも、”食器を作る” ということと ”跡を継ぐ” ということは違ったんだ」
私は、彼の言っていることが今ひとつピンとこなかった。
エフ・レストの後継者になれば、いくらでも好きなように食器を作られるるのでは……?
内心でそんな疑問を持っていると、彼は私の顔を見てフッと噴き出した。
「それ、どういう意味ですか?って顔に書いてるよ」
指摘されて、私は咄嗟に手を頬に当てた。
「ほら、やっぱりきみはまっすぐで嘘が吐けない性格なんだよ」
またそう言われるのは複雑な気分だけど、彼の表情が若干浮上したようにも感じたから、今回は甘んじて受け入れることにする。
すると彼は手摺をトン、と叩いて話しはじめた。
「跡を継ぐっていうのはね、エフ・レストという土台を動かしていくことなんだ。ただ食器を作っていればいいわけじゃない。むしろ、そういうテーブルウエアや他の商品を企画したりデザインしたり、いわゆる ”作る” 作業は、それ専門の人間がすべきで、オレに求められたのは土台の方だった。M&A、事業展開、マスコミ対応の方向性、時には外交的な意味でパーティー出席……そういう、大きなことから細かなことまで指揮をとる。一見華やかだけど、オレが好きな ”食器” からは遠い仕事だったんだ」
「でも……」
それだって、大きな枠で言えば、エフ・レストのテーブルウエアを作るという意味なんじゃ……
そう言いかけた私を、彼が「待って」と止めた。
「最後まで聞いて?……オレはね、後継者になったら、食器を作ることはできないと思ったんだ。でもどうしても食器作りに携わりたかった。だから悩んだ結果、父の親友でオレも幼いころから世話になってた白華堂の社長に相談した。それで、縁故採用に繋がったわけ。だけど……伯父も歳になって、そろそろ戻らないか、そう言われてた頃に、きみと出会ったんだ」
彼はそこで一旦話を区切り、短い沈黙が生まれたけれど、私は彼に言われた通り、話が終わるまでは口を挟まずにいようと思った。
「……きみがあのハンカチを懸命に探してるのを見て、それから、きみがエフ・レストの食器に感じたことを聞いて、どれだけエフ・レストで働きたいのかを知って、なんだか、昔のオレを思い出したんだ。そして、もしエフ・レストで働けなかったとしても、それまで頑張ってた自分はなくなったりしない…そう言ったきみに、オレにはない強さを見た気がしたよ。……オレは、自分の希望が叶わないとなって、逃げるように白華堂に入ったからね」
「でも、白華堂のデザイン部に入られて、食器を作るという夢を叶えられたじゃありませんか。いくら縁故入社だったとしても、努力なしで叶えられるとは思いません。その証拠に、お休みの日にわざわざ白華堂の売り場にいらっしゃるほど、仕事熱心だったじゃありませんか」
わざと自分を卑下するような彼の発言に耐えられず、私は後先考えずに反論していた。
けれど彼は、静かに首を振った。
「……テーブルウエアのデザインをやらせてやる、その言葉につられて、オレは簡単に白華堂に逃げたんだよ。いくらその後頑張ったって、逃げた事実は変わらない。だけど……あんなに食器を作る仕事をしたかったはずなのに、白華堂のデザイン部で仕事を任されるようになっていくと、どこか物足りなさを感じはじめたんだ。でもその理由が掴めず、ここ数年はモヤモヤしたものを抱えていた。そんな中で伯父から打診を受けて、ああそうか、オレはただ食器を作りたかったわけじゃなくて、エフ・レストの食器を作りたかったんだって、情けないけど、そこでやっと気が付いたんだよ」
間抜けだろ?
彼は自嘲して言った。
「そんなこと……」
否定したいところだけど、彼はその隙を与えてくれなかった。
「エフ・レストの食器を作りたい。そう思っても、伯父の打診は、後継者として経営に関われというものだった。結局、どう転んでも自分の希望は叶えられないんだなと沈んでたときに、きみと会った。そしてきみの話を聞いてるうちに、オレは昔の自分を思い出したんだ」
そう言った彼は、上着のポケットから何かを取り出した。
そしてそれを見つめたまま、
「まっすぐなきみに感化されたのかもしれない……とにかくオレは、きみを見習って、やれるだけのことをやってみよう、そう思った。エフ・レストに入って経営に携わることになっても、役員が社内コンペに参加しちゃいけないなんてルールはないからね。むしろ社内で実力を認められれば、いくらでもチャンスを生み出せるだろう。幸い、オレには白華堂での実績もある。……そんな風に前向きに考えるようになったんだ。本当、視野が狭まってたというか、稚拙だったというか。オレは、経営にまわるなら製品に直接携わることはないと勝手に決めてたんだよ。祖父も伯父もそういうスタンスだったからね。だけどあの夜、このハンカチを持ったきみが…野田さんが、”エフ・レストに入ることが叶わなくても、また違う方法で夢にアプローチする” みたいなことを言っただろ?それを聞いて、オレの固い頭も動いたんだよ」
彼が持っているのは、私が持っているのと同じ、あの、ノベルティの薄いブルーのタオルハンカチだった。
「それ……」
「実はオレも持ってたんだ」
四つ折りにされたそれは、私のものより青が濃いような気がした。
「きみがこのハンカチを大切に持ってるのを見て、嬉しかったな……」
彼は懐かしむような風情を見せてから、次の瞬間にはハンカチを握り締め、私にまっすぐ向いた。
「きみと出会った翌日、伯父と白華堂の社長、双方と話をして、オレのエフ・レスト入りがほぼ確定したんだ」
いつもの穏やかさでもなく、さっきの沈んだ様子でもなく。
怖いほどにまっすぐな瞳で、そう言い切ったのだった。




