黒い獣 スコール・ロロワ
字が読めないのは結構不便だ。すべての知識を人の口頭からしか得られないし、本が読めないとちょっと時間をつぶすということもできない(テレビもスマホもないからね)。ということで、マリコは現在読み書きを猛勉強中だ。城内に図書室があるので、ヘッダやイシュから教えてもらった子供向けの本を借りて、夕食後、談話室で読むのが日課になりつつある。
今日も絵本を何冊かと、侍女のお姉さんが夜食にと差し入れしてくれたビスケットを抱えて談話室の大きな扉を開く。
そして、慌てて閉じた。
(でっかい、犬?!猫?!2メートルくらいあった!!)
もう一度、数センチだけそっと開いて確認する。
ネコ科だ。全身真っ黒の毛皮で、暖炉の前で寝そべっている。・・・あの暖炉、火が点いていても温かくないのに。豹かな、ジャガーかな。
毛並つやつやだ。国王様のペットかな。国王様、住居は敷地内の別邸って言ってたけど。う~ん職場で飼われてるのかな。さすがに野生ってことはないよね。
「入らないのですか」
「ひゃっ、わわ、びっくりした。アルか」
マリコは入浴も済ませているので寝巻ではないがラフなワンピース一枚。対してアルフリードはかっちりしたシャツとパンツの仕事着姿だ。
「アル!丁度いいところに!ちょっと中覗いて!」
興奮気味の万里子が10センチほど開けた扉の隙間へとアルフリードの背中を押す。なんです?と訝りながらも請われるまま、万里子の頭の上から談話室を覗き込む。アルフリードの長い銀髪がマリコの頬をかすめる。
「ああスコールですか。塔に帰れといつも言っているんですが。マリコ、あいつは気にせず談話室を使ってください」
「スコールちゃん?くん?誰かのペットなの?」
「・・・くんですね。くくっ、ペットではありませんが、とても大人しいので放っておいても大丈夫ですよ」
「ふーん。ね、ね、触ったら怒るかな」
「ああ、あなた無類の動物好きでしたね。・・・っはは、噛みませんから撫でてもかまいませんよ。その紙包みは何か甘いものですか?でしたら彼の好物ですから、餌づけできますよ」
「アル、なんでさっきからそんなに笑ってるの?」
ふっと微笑むか、口の端だけを上げた意地悪そうな笑みしか見たことがなかったが、今は純粋に何かを面白がっている様子だ。
「え?いやいや、私のことはおかまいなく」
さあ行ってきなさい、と扉を開けて手のひらを差し向けられる。怪しいなあ、と思いつつもできるだけ静かに暖炉の前へと足を進める。驚かせないように、少し離れたところからまず呼びかけた。
「スコールくん」
後ろでアルがまた笑った気配がしたが、無視をする。呼ばれたスコールの方は眠そうな顔を持ち上げて万里子の方を振り返り、何度か目を瞬いた。万里子は傍まで寄って膝をつき、様子を見ながら艶めく毛皮に手を当てる。
(やっぱり猫より毛が固い。でもすっごいさらさら!)
内心の興奮を抑え、優美な弧を描く背中を控えめに数回撫でる。
スコールはじっと万里子を見つめ、相手の意図を探るように動かない。
「大人しいね。ビスケット食べる?」
アルの提案に従いビスケットの紙包みを開くと、甘いバターの香りが漂った。それを見て、大きな獣が寝そべっていた身体を半分だけ起こし、尻尾を一度ぱたりと揺らした。万里子が一枚指でつまんで差し出すと躊躇いを見せたが、好物への誘惑と、目を輝かせて期待する万里子の眼差しに負けて口を開いた。
しゃくしゃくと音をたてて頬張り、口の周りについたカスをぺろりと舌で舐めとる。
「アル、どうしようすっごく可愛い!」
万里子が後ろを振り返ってそう告げると、アルフリードは壁に寄りかかって俯きながら身体を震わせている。顔を手で隠しているが、笑いを堪えきれていない。
スコールは第三者の存在にこのとき初めて気づいた。暖炉の周りに並べられたソファに隠され、床に転がった態勢からは見えていなかったのだ。
ぐうっ唸りながら立ち上がる。
しゃがみこむ万里子を軽く飛び越え、速い動きでアルフリードに飛びかかる。
「きゃあ!アル!」
「アルフリード!人で遊ぶな!」
低い男の声が、牙を見せる獣から発せられた。
後ろ足で立ち上がり、アルフリードの肩を前足で勢いよく押さえつけている。立ち上がるとアルフリードより背丈が高い。
「いたた、爪が痛いですよ、スコール。ほら、せっかく可愛いって、くく、言ってくれたのに、怖がってますよ。ああ、おかしい」
「お前な」
「喋ってる!」
万里子は丸い瞳をそれが落ちそうなほど見開いて、両手で口を押えている。スコールがちらと万里子の方を見やり、アルフリードから手を放す。
「ちっ、ああ、もう・・・面倒くさい。俺は帰る」
「自己紹介はいいんですか?ぐっ」
最後にアルフリードの腹に頭突きをして、黒い獣は談話室を出て行った。