イシュ・クライスト2
中庭の芝生に敷布を広げて、お互い持ち寄った焼き菓子と、ポットに入った紅茶を並べる。少し離れたところには人口の池があって、淵に小鳥がとまっているのが見える。バラの垣根や背の低い木立もあって、絶好のピクニックスポットだ。お城の敷地でピクニックをして良いかどうかは考えないこととする。
「そうそうあのやったら背が高くて無表情の」
「あ、いっつもこう、真っ黒いパーカー?じゃなくてローブっていうのかな。を被ってて、気配消してますよ~風でいやめっちゃ目立ってるよっていう」
「それ~!それ!目立ちたくないんだろうなっていうの分かるけど全部逆効果だよね?」
二人でけらけら笑っているとあっという間に時間が過ぎていく。今はまだヘッダくらいしかいないが、友達みたいに話せる相手ができたことで日々の緊張感がずっと少なくなった。
お茶もお菓子も尽きて、日が傾いてきた頃、お開きとなった。ヘッダはこの後街に飲みに出るらしい。
「マリコと飲めるのは一年後くらいかな。そういえば誕生日っていつ?」
敷布の上を片付けながら、ヘッダが何気なく聞いてくる。この国の成人年齢は18なので、大体一年後で間違いはない。だが、誕生日は。
「う~ん、誕生日は・・・6月なんだけど」
「え?」
普段、万里子の話し言葉は脳に翻訳機が組み込まれたかのように、この国の大陸語をすらすら発することが出来る。ただしこの国にない概念や固有名詞はその限りではないらしい。
マーゼランダの暦は、日数のずれはあるが、一週間、一か月、一年で区切っている。しかし一年は十ヶ月周期だと、ちょうど今日の授業で習ったところだ。
万里子は自分が「ロクガツ」と日本語で発音したことに気づいて苦笑する。
私の誕生日、っていつなんだろう。
余り暗くならないよう、考えないようにしているのに。こうやって何気ない会話でざらりと心を逆なでされることがある。分かってる。ヘッダは悪くない。
だけど自分だって何も悪くないはずだ。
「マリコ様!」
突然呼ばれて振り返れば、城の回廊からイシュが小走りで向かってくる。どこまでも落ちていきそうな暗い思考は霧散して、代わりに何とも言えないむず痒さが湧いてくる。
先ほどバルコニーから訓練を勝手に見ていたこと。
ヘッダにせっつかれたせいもあるが、イシュの名前を叫んでしまったこと。
そして今はとにかく、友達の前で様呼びされるのは落ち着かない!
「お~?ちょっと、ちょっと彼氏迎えに来ちゃったね」
ヘッダが小声で言ってウインクをする。弁解したいことを増やさないでほしい。彼氏じゃないよ!と万里子が小声で返せば。
「まだ、だったわね。ではお邪魔虫は退散~」
と、おせっかいな母親のようなノリで、敷物をさっさと丸めて行ってしまう。
「すみません、お友達とご一緒のところを。俺、邪魔をしてしまいました?」
「もうお開きにするところだったので。イシュさんは、勤務あがりですか?」
「ええ、今日は一日外で訓練漬けだったんですよ。マリコ様、先ほどのお礼を言わせてください」
「あー・・・やっぱり聞こえてました?」
イシュがにこにこしながら頷く。練兵場の方も盛り上がっていたので、声が届いていなかったんじゃないかとも思っていた。目が合ったのも勘違いかもと。そう思っていないと、イシュが相手の剣を弾き飛ばしたことに自分が関係しているようで、何やら無性に照れくさい。
「見られていたなら、もっとかっこ良いところをお見せしたかった」
ぎりぎりだったでしょう?とイシュはきまり悪そうに笑っている。かっこよかった、とはなんとなく言いそびれた。
「隊長に揶揄われました。お前でも女の応援で身の入り方が変わるんだなって」
口説かれているわけではないと思う。なのにじわじわと顔が熱くなってくる。
「イシュさんにしか気づかれてないと思ったんですが、私そんな大声でした?」
「いえ、多分隊長くらいですよ。あのひとやたらと聡いので。そろそろ戻りましょうか、日も落ちてきた。部屋まで送りますよ」
芝生に置いたままだったティーセットの入ったバスケットは、気づけばイシュが手に提げている。
中庭を囲む回廊に入ると、壁に等間隔で埋め込まれている明かりがすでに灯っている。ぼんやりと照らされる石畳の長い廊下に、今はイシュと万里子以外人の往来は無い。
「あの、マリコ様」
しばらく黙って歩いていると、イシュが躊躇いがちに声をかけてくる。その先を言いよどむので、マリコが続きを促すように首を傾げて見上げると、翡翠色の綺麗な瞳と目が合った。それが狼狽えるようにちょっと彷徨って、またマリコの視線へと戻ってくる。その様子にくすりと笑みが漏れる。イシュは益々困ったような顔になってしまった。
「あの、ですね。さっき、訓練の時はイシュって呼んでくれましたよね。できれば今後もそういう風に気安く接していただけたらな、と」
「えっそれは・・・」
年上の、しかも騎士などというお堅い職業の(ヘッダも格が違うとか言っていたし)男性を気軽に呼び捨てにして良いものだろうか。
でもアルも愛称で呼べっていうし、私の地位がどうとか前に言っていたし、職業柄そういうものに倣わないとお咎めがあるとか?
でもでも、ヘッダもお城勤めだけど普通に友達だし。
「(だめだ、分からん)イシュさんもそうしてくれるなら!」
半ばやけっぱちになって答えると、イシュは慎重に尋ね返す。
「そう、とは?」
「イシュさんも、私のことは万里子って呼んでください。あと敬語もなしで」
「それは・・・良いんですか?」
「いいです、全然いいです」
「今から?」
「はい、今から」
「・・・じゃあ、マリコも俺のことちゃんとイシュって呼んでね?」
(順応早っ!)
「実は、城の内勤の人たちが君と仲良くしてるのが羨ましくって。意を決して言ってみてよかった」
「そ、そうだったんですか」
「うん。あ、敬語」
「いやあ、私は徐々に、でいいですか」
まごまごしながら話すと、イシュは口元に人差し指を当ててくすくす笑いをごまかしている。
「いいです。全然いいです」
先ほど使った言葉づかいを真似され、万里子はわざとむっとしてみせる。イシュが笑い声を混ぜながら謝るので、つられて万里子も笑ってしまった。
回廊から明るい屋内に入ったところで、部屋まで送ると言ったイシュの申し出を断った。彼の目の下の隈が濃くなっていることに気付いたので、悪いと思ったのだ。
一日訓練漬けだったと言っていたし、疲れているのかもしれない。顔色が悪いと言うほどではないが、前々から、会う度に増しているので気がかりではあった。
それじゃあと言ったものの背を向けられないでいると、イシュは万里子の視線の意味を察したらしく苦笑して目を細めた。
「隈、ひどい?ちょっとね、寝不足というか」
「騎士の仕事ってそんなに忙しいんですか?」
「いや、今はそんなに忙しくない。仕事じゃなくて・・・俺ちょっと不眠気味で。まあ前からなんだけど」
万里子は自分がこの世界で目を覚ました時のことを思い出す。そのとき、彼は穏やかに居眠りして
いたし、隈もこんなに心配するほどではなかったはずだ。
「・・・君の寝顔を見ているとよく寝れたんだけどね。そんな機会なくなっちゃたから」
冗談っぽく言っているが、本当かもしれない。どう受け取ればいいのだろう。
「なんてね。まあ最悪、いよいよ薬も効かなくなってきたら、魔術師殿に精神魔法で眠らせてもうから気にしないで。心配してくれてありがとう」
じゃあ行くねとあっさり踵を返すイシュの背中を、心配する気持ち1割、
(魔術師がいるの?!)という気持ち9割で見送った。