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騎士イシュ・クライスト


 万里子がこの国で初めて目覚めた時のことだ。

 見覚えのない豪奢な寝台の天蓋をしばしぼんやり眺めていた。あまり動かない首を微かに傾けると、傍の椅子に見覚えのない男が腰掛けている。マーゼランダ騎士団の制服をきっちり着込み、栗毛色の短髪を撫でつけた若い男だ。もちろん、万里子の目には(コスプレの人?)としか映っていないが。

 騎士の青年は隙のない出で立ちに反し、腕と足を組んでうつらうつら舟を漕いでいる。

 見知らぬ場所に、動かない身体。パニックになってしまいそうなのに、平和そうに寝こけている青年の顔を見ていると妙に落ち着いてくる。

 声をかけようと息を吸い込んだとき、青年の目がはっと見開かれた。やや下がり気味の優しそうなアーモンド形の瞳が、櫛の目のように揃った長いまつげに縁どられている。瞳の色は綺麗な翡翠色だ。端正な顔立ちに、凛々しい眉毛を広げて、呆けたように驚きの表情を浮かべている。


「あの……?」


 青年より冷静だったのは万里子のようで、先に口を開いた。


「はっ、す、すみません! ああ、俺は、えっと、人を呼んできます!」


 青年はわたわたと手ぶりをすると大股で部屋を横切り、扉へ向かう。そのまま出ていくのかと思いきや、扉の向こうにいた侍女になにやら説明すると、青年は扉を少し開けたままにして寝台の方へ戻ってくる。

 次女の掛ける足音と、壁の向こうから、やにわに騒がしくなる人の気配を感じる。


「すぐに医師が参ります」


 青年が寝台の傍で床に膝をつき説明してくれる。人が来るなら起きようと身じろぎするるが、体を持ち上げる力が出ない。イシュに手伝ってもらってなんとか半身を起こした。背もたれに枕をいくつも並べてくれたので、そこに背を沈ませる。どうしてこんなに体力がなくなっているのだろう、もともと大病などしたことが健康な質だったのに。

万里子が困惑していると、騎士服の青年があなたは一年近くも眠ったままだったと教えてくれた。


「俺はイシュ・クライストと言います。この国の騎士団に所属しています。あなたは……失礼でなければお名前を聞いても?」


 イシュの人好きのする笑みと穏やかな様子に、万里子は警戒心や混乱した気持ちが薄らいでいくのを感じる。


「矢野万里子です。矢野が姓で万里子が名前」


「マリコ様、ですね。かわいらしい響きですね」


 ぱっと万里子の頬に血がのぼる。こんな爽やか外国人のイケメンにうっとり微笑まれて、たじろがない日本人はいない!と万里子は思う。



「マリコ様、ここがどこだか分かりますか?」


 万里子は首を振る。


「この国はマーゼランダという国です。あなたはユエの湖というところで保護されました。何か覚えていることはありますか?」


「いえ、何も特別なことは……」


 自分は日本人で、普通の高校生であったことをイシュに告げる。年齢は16歳で(眠っている間に17になったかもしれないが)一般家庭の出身であるということも。

 記憶を辿ってみるが、平凡な日常のあれこれしか思い出せない。学校のこと、友達のこと、家族と、去年死んでしまった飼い犬のこと。

 一番新しい記憶を思い出そうとすると、ぞくっと酷い悪寒が走った。

 雨の降る通学路の風景が脳裏に浮かんだが、それと同時に体中を虫が這うような嫌悪感を覚えた。それ以上は動悸がして、考えが働かなくなってしまう。

 


「マリコ様? 大丈夫、大丈夫ですよ」


 浅い息を繰り返す万里子の肩を、大きな手が宥めてくれる。


「ここにはあなたを害するような者はいません。絶対に」


 尋常じゃない万里子の様子からイシュは大よそのことを察していた。万里子がこの国に現れる直前に何かひどい目にあったようだ。

 万里子が落ち着くのを見計らって、イシュが部屋の出入り口の方へ視線を巡らす。


「医師が来たようです。俺は下がりますが、何かあればいつでも呼びつけてください。どこにいても、かけつますから。……俺の名前覚えてくれました?」


 立ち上がったイシュが、万里子の顔を覗き込むよ言うに訪ねてくる。

 イシュさん。と万里子が躊躇いがちに答えると、微笑んで大きく頷いてくれた。


***


 イシュが部屋から出ると、続き部屋の応接室に医師と看護師、宰相のアルフリードが待機していた。イシュと入れ替わりに医師と看護師が万里子のいる部屋へ入っていく。

 診察の間、イシュがアルフリードへ万里子の名前や受け答えの様子を報告している。話ぶりは落ち着いていて、恐慌状態になったりこちらに危害を加える様子はないこと。しかし元いた世界で、何か恐ろしい目に逢ったようだということ。


「これは、彼女自身もはっきり記憶があるわけではないようですね。そのあたりの質問は慎重に行ったほうがよいでしょう」


「分かりました。イシュ君、さすがの洞察力ですね」


 イシュが恐れ入りますと言いながら胸に手を当てて頭を下げる。


「宰相殿はこの後神子様とお話しになられるので?」


「無論、そのために来ています」


「では侍女を呼んでおきましょう」


「何故? 私一人で事足りますよ」


「女性の寝室で二人きりになるのは、宰相殿といえまずいでしょう。それに、宰相殿は迫力がありますから、神子様が怯えないように」


「あ、あなたねえ」


「ああそれと、神子様にはなんなりと俺をお呼びつけいただくよう伝えてありますから。シフトを空けてもらえるよう団長に談判してまいります」


 イシュは軽やかに言ってのけると、戦慄く宰相が言葉を発する前にさっさと部屋を出ていってしまう。

残されたアルフリードのこめかみに青筋が浮かんでいるのを、一瞥もせずに。



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