帝国の平和のために
帝国宰相は、ここでどういうわけか、厳しい表情をフッと緩め、
「わが娘よ、廊下で立ち話もなんじゃな。ちょっとそこまで、ついてくるがいい」
と、クルリとわたしに背を向け、宮殿の長い廊下を歩き始めた。仕方がないので、わたしはプチドラを抱いて、帝国宰相の後に続く。
帝国宰相とともに徒歩で長い廊下を数分、その間、宰相は、ひと言も口をきかなかった。「壁に耳あり障子に(ファンタジーの世界という点はさておき)目あり」とも言うから、用心して黙っているのは不自然ではないが、なんとも息苦しい感じがする。
やがて、帝国宰相は宮殿の玄関から中庭に出て、中庭の石畳の上をやや早足で進んだ。宰相は、年寄りの割には、いや、年寄りの分際で、年に似合わぬ健脚家らしく、わたしとしては、ついて行くだけでも、少々辛いものがあったりもする。
帝国宰相は、中庭の左右に並んだ噴水の谷間まで来たところで歩みを止め、わたし(及びプチドラ)のいる後方を振り向いた。そして、油断なく周囲に目を遣りつつ、
「ここまで来れば、大丈夫じゃろう」
「大丈夫……ですか?」
わたしは「はて」と首をひねった。盗み聞きの可能性を考慮するなら、宮殿の建物内も中庭も、あまり変わらないのではないだろうか。帝国宰相が「これでいい」と思っているのなら、あえて異議を唱えることはないだろうが……
帝国宰相は、おもむろに口を開き、
「わが娘よ、わしとお前の間で、面倒な駆け引きは無用じゃろう。端的に言おう」
長らく待たされた……いや、早歩きさせられたけど、いよいよ本題のようだ。ちなみに、帝国宰相の表情からは、先ほどまでかすかに見られた笑みが完全に消えている。
「ドラゴニアから手を引け。お互いのため、いや、帝国の平和のために」
「えっ!?」
わたしは思わず声を上げた。帝国宰相にしては表現が直接的過ぎるような感じもするが、これは、「お互いに隠し事はなしにしよう」という黙示の意思表示だろうか。
「わが娘よ、おまえがドラゴニアに出向き、マーチャント商会の使者と悶着を起こしたことは既に分かっておる。帝都のおまえの屋敷で、それとは別の使者を追い返したこともな」
「確かにそのとおりですが……」
帝国宰相にも、この間からの(わたしがドラゴニアに招かれて以降の)一連の流れに関する情報は伝わっているようだ。秘密情報というわけではないから驚きはしないが、ただ一つ、よく分からないことと言えば……
「確かに、ドラゴニアでは、マーチャント商会への債務の返済をめぐり、悶着……有り体に言えば殺害事件が持ち上がったことは事実です。行きがかり上、わたしがドラゴニア騎士団に協力を約束したことも事実ですが、そのことと帝国宰相に、どのような関係が?」
今回の悶着・騒動の当事者は、基本的にドラゴニアとマーチャント商会であり、帝国宰相は無関係のはず。関係があるとすれば、わたしがドラゴニアに肩入れしているのと同様に、帝国宰相もマーチャント商会と利害共同体的な関係にある場合だけど……
 




