第一幕 スラムでの暮らし
「おい、準備は済んだか?」
僕を壇上に押し上げ、エルは静かに問う。
長かった。
けれど、誰一人欠けることなく、この地に戻ってこれた。
行こう、僕たちの街を、親友を取り戻しに!
「あぁ………皆行くぞ、生きてここに!!」
「「「生きてここに!!」」」
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第一部 逃亡者ノア
第一幕 スラムでの暮らし
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「さて、と、ノア、準備終わったか?」
片刃の剣を片手にクレイが聞いてくる。
朝食もまだだと言うのに、その格好は今にも戦場の最前線に向かい奮闘せん、と言った様子だ。
「もちろ、んって言いたいんだけど…まだ母さんのご飯が腹に入ってねーなー」
対して、聞かれたノアは、ぐー、と情けない音を出すお腹を擦りつつにへっと笑うのであった。
帝都アスタリア……の、スラム街に住む少年たち。
スラム街に住む者だけではなく帝都の貧民街、商人には少しばかし名の知れた存在である二人。けして悪評等ではなく、スラム街の手グセの悪い子供どもを律する腕の立つ冒険者として。
その二人の母、エリサもまた、その頭のよさと美貌で名の知れた女性であった。
「ほらほら、二人とも、エアラビットを狩りにいく時間じゃないのかい?」
「まずいノア!!急げ!」
今日の獲物である魔物ーエアラビットーは、空を飛ぶ魔物だ。その肉は柔らかく草のよい香りがする日々の食卓の彩りである。また、その皮と骨は冒険者ギルドで常時納品依頼されている、討伐依頼でもあった。子供でも狩れるエアラビットだが本質は魔物、美味しい依頼なのだ。
時計を見ると、今でなければ間もなく狩場に人が溢れるであろう時刻を示していた。
「だーいじょーぶだって、それよりメシメシ。」
ヒラヒラと手を上にあげ、急ぐ様子など少しも見せないノア。
「なにバカ言ってんだ!!もう少ししたら魔物も溢れてエアラビットが飛んじまうだろ!」
その言葉を聞くと、ノアはフッと笑い、足元のカバンからエアラビットの死体を3つ取り出した。
「昨日の晩、飛んでるのを打ち落としてきた……だから、とりあえずメシだ」
空の加護を得たエアラビットを飛んでいる状態で打ち落とす、これは狩人であるなら当たり前の技術だが、冒険者として片手間で狩りを行っている者としては些かハードルが高いのだ。
しかし、本来早い者勝ちであるエアラビットを地を歩く昼間に狩らない、それは危険な魔物も多く活動する夜の森に入ったことも示し…
「……ノア?まさかアンタ、宵の森に入ったのかい?今度からはやめておくれよ、ノアがナナシに拐われた、なんて聞きたくないからね…」
案の定、泣きそうになりながら心配するエリサに、あぁ、やっちまったとノアは少し後悔するのであった。
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朝食を食べ終え、ノアはクレイと狩場に向かった。
「なぁ」
少しためらったようにクレイがノアに言葉をかけてくる。
その表情は憂いているようでもあり、期待しているようでもあった。
ーどうやって狩ったのか?
ー使えたのか?
おそらくはその辺だろうと、ノアは言葉の先を予測し
「ああ!発動できたぜ!」
一言そう告げると、クレイの表情は喜色満面になった。
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少し前の話になる。
いつも通り朝からエアラビットを狩りに出掛けた二人は、フラフラと森を歩いていた。
エアラビットは確かに狩れれば二つや三つの意味で美味しいが、そもそも二人には過ぎた獲物なのだ。
エアラビットの肉、それは確かに美味しい。……高級店の食材として扱われるほどに。
単なるスラムの一市民、そもそもスラムの住民には市民権と呼ばれるものは無いのだが、の少年二人が狩るには、夜中の上質なエアラビットを狙う狩人と、昼間の狩りやすい冒険者達の間の時間だけなのだ。もちろん、狙うのは二人だけではないが。
そういった意味で、エアラビットは子供でも狩れる魔物だが、子供では狩れない、過ぎた獲物なのだ。
それでもノアとクレイの二人は、ほぼ毎日エアラビットを納品するスラムの子供として、冒険者のうちでは低くない評価を得る要因となっていた。
しかし、あくまでも"ほぼ"なのだ。
その日は、その"ほぼ"から外れた日であった。
『だからよー!俺は言ったんだぜ!急げって!』
『悪かったって、クレイ!昨日の狩人達の様子じゃ殆どの奴がいつもより少なかったからいけっかなって思ったんだよ!』
『あーあ、これで今日は団子汁だけだぜ。あーあ、今日は肉でつみれ汁にしてもらおうと思ってたのになー』
『クーレーイーーー!泣くぞ!!?』
そんな他愛もなくじゃれあいながら残ったエアラビットを求めて、宛もなくとりあえず森を歩いていた。
そんなときだった、クレイが見つけたのは。
『おい、あんなところに、建物なんかあったか?』
指差す方を見ると、木々に隠れるように建物、正確には遺跡があった。
『あんなところに、というか、ここ、どこだ?』
『え?ノアが知ってる範囲の森じゃないのか?』
『は?クレイが知ってる範囲の森だろ?』
………間違いなく二人は森のなかで歩きすぎて見知った場所から離れていた。俗にいう、迷子であった。
お互いに冒険者として縄張りのようなものを持つ二人は朝の狩りはともかく、それ以外の活動は分かれて行っていた。
はぐれものとして流れのパーティに一時加入するか、ソロで細々とけれど報酬を独り占めするか、まぁ、その時折だが、二人は森のなかでは不可侵な関係を暗黙のうちに作っていた。冒険者としては当たり前の配慮である。
そう、二人はいつもの調子で自分の知らない場所を勝手に相手の知っている場所と捉えていた。
そして、迷子になったのだ。
『……どうやって帰る?』
『……とりあえず、まだ夜には程遠いから、あの建物見てみね?こんな森の奥なら、もしかしたら建物の形したダンジョンかもしんねーだろ?』
『行く、か…まぁ、住んでる奴が居たら素直に謝っときゃ許してくれんだろ』
迷子になりつつも二人は遺跡に向かったのだった。
『……おじゃましまーす』
小声で言いつつひっそりと入る二人。
もちろん、遥か昔に人の立ち去った遺跡の中からは返事が帰ってくるはずもない。
明らかにホッとした調子のクレイは、人が居ないことがわかるとふとなにかに思い当たった。
『もしかして、これ、ダンジョンじゃなくて……遺跡か?』
ダンジョンとは、周知の通り魔物が蔓延り、宝箱が不思議なまでに置いてある、自然発生の洞窟や建物の総称だ。
では、遺跡とはなにか?簡単な問いである。
人がかつて住んでいた建物の総称、だ。
言うまでもなく、そこにモンスターが住み着いてしまえばダンジョンと呼ばれ、不思議なまでに地下空間が出来上がっていくのだが、帝都アスタリアの周辺には魔物の絶対に住み着かない、遺跡が幾つか見られていた。
クレイはそんなことを冒険者達から魔物の出ないダンジョン、という形で聞いていたのだ。
『いせきぃ~??俺、もっとカッコいいの想像してた』
『んな事いうなよ、俺だってそうなんだから』
確かに遺跡と呼ぶよりは、捨てられた民家そのものであるこの建物は、まず二人の好みには沿っていなかった。
『ま、いいや、とりあえず入ってみようぜ』
不満な様子を一変し、軽いいつものノリでノアは入っていく。
『お、おい!置いてくなよ!』
そして後を仕方なく着いていくクレイ、といういつもの光景であった。
一階には応接室、寝室、調理場……かつてはそれなりの豪邸だったのだろうか、それなりの数の客間が用意されていたが、部屋の壁全てに蔦が這い、所々床には亀裂が走り、一部の部屋はかつての様相を面影も残していない。
『あーあ、金持ちの家もこうなっちゃおしまいだな』
『や、よく見てみろよクレイ、このナイフなんか苔むしちゃいるが、丸洗いすれば売れそうじゃね?』
クレイが地面を確かめつつ前に進む、ノアはそのあとを追いつつ金目のもの……あえて言うなら宝物を吟味していた。
ダンジョンでやるにしろ、遺跡でやるにしろ、宝物はたしかにこのようにして手に入れていく。
だが、まだ部屋の面影を残す部屋では軽い嫌悪感を抱くが、あくまでも二人はスラム街の住人。暮らしが他の住人に比べてマシではあっても、生きていくにも骨が浮き出るほどの食事しか喉を通っていないのだ。盗みや殺しはしなくとも、こういった場所での冷酷さというのは少なからずスラムの恩恵と言えるものであった。
そんな二人が一階を見終わり、崩れた階段を諦め蔦を伝って二階に登っていたときだった。
『なぁ、何か聞こえないか?』
『え?』
ノアが何かの音を聞いた。
クレイには何も聞こえなかったが、ノアの耳は格別にいい。ノアが聞いたというのならばたしかに何かの音がしたのであろうと、クレイはノアに先導を譲った。
『こっち、だ…多分』
『お?珍しいな?何か聞こえたんだろ?』
『や、そうなんだけど、近づいてるはずなのに、音の大きさがかわんねーんだ』
不審に思いつつも、音を便りに進む二人。
二階の一番奥、扉の並ぶ廊下、その廊下の先に大きな木があった。森の中の一つの木が、侵食してしまったのだろうか。
『ノア、これじゃ進めねーよ、引き返そうぜ』
『や、違う?この廊下の、ここ、か?』
ノアは扉と扉の間、拳ひとつほどの少ない隙間を指差すと、思いっきり蹴り崩した。
『おまっ!いきな……ん?なんだそれ?』
『さぁ?ガラス珠じゃね?ほら……ってうわっ!』
蹴り崩した先、すぐに落ちていた二つの珠を拾い、その一つをクレイに投げ渡すとひとつ残った珠がノアの手の中に吸い込まれた。ノアは呆然としつつクレイを見ると、受け取った瞬間、同じく手の中に吸い込まれたようであった。
『どう、すんだ、これ……』
吸い込まれた珠の痕が出来ており、ノアは更に呆然とした。
しかし、クレイは違った様子で何か思い当たる節があるようである。
『この痕……もしかして……さっきの珠……うん、多分、そうだ』
しきりに手を振ってみたり、翳してみたり、何かをしようとしているようだ。
『……っと、いけねぇ、ノア!帰ろうぜ!そろそろ夕方になる!』
『おう!って、結局これ、なんだ?』
多分だが、そう前置きをして勿体ぶったようにクレイは言った。
ーー紋章だと。
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それから数日後の昨夜、ノアは紋章の発動に漕ぎ着けていた。
手を払い打ち出す単なる風の刃、風を圧縮し自然現象のかまいたちを模倣しただけの簡単な紋章術だった。
だが、その簡単な紋章術でも、手には痛みが走り、その痕を濃くしたように錯覚した。
ノアは、その力で夜の森を駆けるエアラビットを難なく狩ることに成功したのだった。
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「そっか、ノアのは風だったか!俺のはさー、土だったんだよなー」
ノアより数日早く発動することに成功していたクレイは、その指先を軽く地に着けると目の前の土を鋭く隆起させた。
「エアラビット、狩るには丁度いいんだが、これだと皮は汚れて質が落ちるし、中身は土まみれで肉はともかく内蔵は薬なんぞには使えやしねーよな」
クレイは隆起させた土を八つ当たり気味に蹴る。
「まぁ、紋章術がタダで手に入ってラッキーなんじゃねーの?」
街の紋章屋に行けば、それなりの紋章は簡単に付けてもらえる……その価格はもちろん安くはないが。
街の平均収入より更に下がるスラム街では、付けている人は一人として居ないので、実物を見たことがなかったノアは最初、うっかり呪いを受けたと信じた。
呪いを受ければ五感は鈍り、得物を扱う感覚も普段の何倍も疲労が募る……早急にギルドで治してもらうしかない、そう、懐の痛手を目の前に感じた。
一方、クレイは冒険者仲間に実物を付けている人を見ていた。
と、いうよりも、冒険者で数年のキャリアのある人は皆付けていた。
しかし、やはり二人のように遺跡で付けたという人は聞いたことがなかった……ゆえに、実際に発動をするまでは確信を持てずにいたのだった。
「紋章、か……これで、やっと冒険者っぽくなったな」
「あぁ、魔物狩りが出来るな!」
遠距離での攻撃方法を得られた二人は昼間の森、その奥にある洞窟で数日の間、魔物狩りを勤しむのであった。