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異世界の落としもの、返却いたします  作者:
プロローグ『邂逅』

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八話

 

「君は不思議だねぇ。これまで辛いことばかりだっただろうに、びっくりするくらい真っ直ぐだ。育った環境的にもっとひねくれててもおかしくないのに」


 葵は頭に添えたままだった手を、もう一度ポンポンと軽く撫でつけると、青年から身を引いて隣の椅子に腰かけた。


「……心まであの男のようにはなりたくなかったから、かもしれませんね」


「王様のこと?」


 その問いに青年はコクリと頷くと、憂いに沈む瞳を自身の手に向けた。


「数々の武勲をたて、かつては英雄とまで呼ばれていた男だそうですが、私が物心ついた頃には既に手におえないほど狂っていました。何よりも争いを好み、それを諌める忠臣を処刑し、世界に悪意をばらまくだけの存在に成り果てていた」


 青年は様々な感情が入り混じった心の内を抑えつけるように握り締めた拳をゆっくりと開く。そこには古傷の上に塗り重ねられたような爪痕が深く刻み込まれていた。理不尽な痛みに耐え、境遇を呪いながらも生きてきた証。その傷に指先を這わせながら、思いつめたように深くため息を吐いた。


「私はその男の血を継いでいるのです。いつああなってしまってもおかしくはない。だから……せめて心だけは、あの男の思う通りにはならないと、ずっと抗い続けていました。そうしなければ、私が私でなくなってしまうと思ったから」


 王は何故あれほど狂ってしまったのか。それを知る術さえなかった青年は、自身に流れる血に恐怖し、何かの拍子にあの男と同じようになるのではないかと怯えた。誰よりもあの男の傍にいたからこそわかる純粋な狂気。それが自分の中にもあるかもしれないなどとは考えたくもなかったが、それを心に留めておかねばあっという間に狂気に呑みこまれてしまいそうで、どんなに辛くとも必死になって耐えた。あの男に心まで渡したくはないという意地が、彼自身を繋ぎ止めていたと言ってもいい。


「私が私でなくなる、か。……ねぇ、青年」


「……?」


「君はさぁ、これからどうしたい?」


「えっ……」


 葵は椅子の背凭れに抱き着くようにして身体を預け、青年にそう問いかける。首を傾げた拍子に濡烏色をした髪が肩から流れ落ちる様子は、化粧っ気のない幼げな容姿に合わない艶やかさを湛えていて、青年は思わずグッと身構えた。

 そんな青年の態度を知ってか知らずか、彼女の長い睫毛に縁取られた瞳に宿るのは純粋な興味。そこに玩具を見つけたような輝きが見え隠れしているのは気のせいではないだろう。

 突然の問いに、彼はさも当たり前のように返そうとしたが、いざ口に出そうとすると何の言葉も浮かばず、湧き上がってくるのは言いようのない虚無感ばかりだった。


「君を縛っていたものはもう無い。首輪も、その男も、何もかもすべて離れた……じゃあ残った君は? どうしたいの? 生きていく以外に何がしたいの?」


「……私は」


「君はずっといろんなものに囚われてきた。首輪だけじゃなくて、自分って檻に閉じ込められて見たくもないものばかり見せられてきた。だからこそ、いざ自由になったら何も思い浮かばない。だって初めから自由を知らないんだもの」


 歪な環境で育った所為か、まるでチグハグな印象を与える青年。ひどく達観した思考をしていると思いきや、言葉の端々には大人になりきれていない幼さを感じて、つい手を貸してしまいそうになる。

 葵の言葉にひどく動揺した様子の彼は、まだあどけなさの残る美しい顔に困惑を滲ませている。それはまるで迷子の子供のようで、不安に揺れた目で見つめられてしまえば、多少なりとも絆されるのは仕方のないことだろう。


「ほら、そんな不安そうな顔しないの。迷える青年に、お姉さんがひとつ道を示してあげるから」


「道?」


 葵はそう言って懐に手を入れると、彼の前に一本の鍵を置いた。鈍く輝いた鍵は一見質素なものに見えるが、よくよく目を向けてみると細かい意匠が施されていて実に美しい。

 鍵にしては些か大きいそれを手にしてみると、ヒヤリとした冷たさと同時に、どことなく懐かしさを感じて思わず首を傾げる。


「これはいったい……?」


「これは[異界の合鍵]。――――異世界に繋がる扉を開く為の鍵だよ」


「異世界……」


「君だってとっくに気が付いてるんでしょ? ここはもう君が居た世界じゃないって。じゃなきゃあんな心細そうに『信じてはいただけませんか?』なんて言わないだろうし」


 青年の世界は争いに満ちていた。狂気に落ちた王があらゆる場所に火種を振り撒き、血で血を洗う戦乱の世。草木は戦によって容赦なくなぎ倒され、戦禍に晒された人々の悲嘆と怨嗟が木霊するような、そんな殺伐とした所だ。

 そのような世界に、こんな平和ボケしてしまいそうなほど長閑な所など当然あるはずもなく、家主だと言った彼女は日々死ぬことに怯えて暮らしているような素振りもない。見知らぬ男を容易に家にあげ、甲斐甲斐しく介抱する余裕さえある。あの世界であれば、身ぐるみを剥いで見捨てられてもおかしくないというのに。


 葵は青年の頭をワシワシと乱暴に撫でながら、悪戯っぽくニヤリと笑う。その笑みは酸いも甘いも知った大人特有の微笑みで、目の前の彼女がただ生きてきただけの女ではないと暗に示しているようでもあった。


「さてと、まずは君に選択の自由をあげる。この鍵を使うか否か……まずはそこから」

 

 本当に、彼女はいったい何者なのだろうと青年は心の中でごちる。

 死ぬまで取れないと思っていた首輪をいともたやすく外し、手慣れているとばかりに取り乱すことなく話を進めていく。たくさんの人を殺めたと口にしても飄々とした態度を崩さず、それなのにこちらが涙を流すと途端にオロオロする。

今もそうだ。警戒心を抱くなど無駄だとばかりに無遠慮に人を撫で倒し、悪びれることなく楽しげに笑う。手のかかる子供扱いをしているのは、おそらく気のせいではないのだろう。


 彼女は青年に不思議だなんだと言っていたが、それはこちらの台詞だと思わずにはいられない。

 そんなジトリとした視線をなんとはなしに感じ取ったのか、葵は笑みを苦笑に変えて、青年の頭に乗せていた手を名残惜しそうに離した。

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