十六話
「それは……」
薄々感じていたことを指摘され、リオンはバツが悪そうな顔をしながらモゴモゴと言い淀む。
その言葉通り、何をしていいのかわからなかった。いったい何をしてみたいのか、どういう人生を歩んでいきたいのか、考えようとしても毛のほども思いつかない自分に、リオンは端整な顔に憂いを滲ませながら俯く。
幼少の頃から首に嵌まっていた首輪。リオンを長く縛り付けた元凶であったそれは、リオンの人生そのものでもあった。
それが外れた時は言い表せぬほどの解放感と安堵に涙した。これで自由なのだと、何物にも縛られず、自身の足で歩いていけるのだと心の底から歓喜した。
しかしそれから時間が経つにつれ、どんどんと湧き上がる不安と虚無感。足元がぐらつくような感覚。薄氷の上を歩かされているような不安定さが心を占めていき、次第に自分が生きていることさえ不思議に思えてくるくらいに精神が揺らいだ。
本当は、いつだって忌々しいと思っていたそれが、いつしか心の支えになっていたなどと認めたくはなかった。けれども外した途端に心の安定さを欠いた、それが答えなのだ。
「リオンはついこの間、選択の自由を知ったよね。でもいつまでも人から提示されたものを選択していくだけの人生は自由とは呼ばない。それはわかるよね?」
「……はい」
思考を止めること、それは人として死んでいるのと同義なのだと葵は言った。
ここに来るまで、リオンはまさに死んだも同然だった。生きる屍のような毎日から、人として成り上がれる機会をくれた目の前の女性は、幼い子供に言い聞かせるように、幾度も根気強くリオンを諭す。
「悩んで出した答えで一喜一憂し、時には拾ったり捨てたりもする……それが思考できる生き物の生き方だと私は思ってる。まずは芯まで根付いた諦め癖を直して、いろんなことに興味を持つことから始めようか。最初の内はわからないままでいいの。ただ視野を広げて、より多くの選択肢を見つけられるようになりな」
「……俺にできるでしょうか?」
しゅんとうなだれたリオンを優しく撫でた葵は、かすかに震える声に気付かないフリをしながら努めて優しい声色で彼を元気づける。
「初めから上手くやっていこうだなんて考えなくていい。とにかく飛び込め。失敗を怖がるな。君はまだまだ若いし、これからの人生気が遠くなるくらい長くなっちゃったんだから、これから少しずつ学んでいけばいーの!」
そう言ってリオンの背中をバンバンと容赦なく叩く葵は、先ほどまでの聖母のような優しさから一転して実に男らしい気風の良さで笑う。
「儂からすれば、どんな生き物も殻を被った雛鳥同然だがのう」
「いや、さすがにロウ様と比べられるとちょっと……ねぇ」
「そりゃロウ爺と比べれば誰でも雛鳥だよなぁ……ってか、生きた化石ってまさにロウ爺の為にある言葉……」
「ん?」
「なんでもないです……はい」
さも当然のことをペロリと口にするロウに、葵とノヴォはしらっとした視線を浴びせながらもコソコソと囁き合う。しかしノヴォの不用意なひと言を耳聡く聞きとったロウは、普段の菩薩のような笑顔を阿修羅に変えて一瞬だけ威圧し、ノヴォの肩が飛び上がるくらい震え上がらせた。
生涯現役をうたうロウにとって、自分がネタにすることは良しとしても、他人からからかわれるのは気に食わないらしい。
「とりあえずやることもやったし難しい話はこれで終わり。今日は新しい仲間の歓迎会なんだからガンガン食べよ! クリスマスなんだし無礼講ってことでー、ここはロウ様の驕りでよろです」
「相変わらず儂を財布のように扱いおって……」
「ロウおじいちゃん大好き!」
「ノヴォ、さっさと追加注文せい」
「ロウ爺……あんたさすがにそれはチョロすぎだろ」
「あっ、牛鍋の出汁もお願いねぇ。あとワインもいただけるかしら?」
「はいはい! ったく揃いも揃って人使い荒すぎだってぇの……あぁ、俺も酒飲みてぇっ!」
廊下に近い位置に座るノヴォを容赦なくこき使う面々を呆気にとられるように眺めながら、リオンは心の奥がむず痒いような、そんな不思議な感覚を覚えて自身の胸に手を当てる。
種族も歳も性別も位も関係なく食卓を囲み、賑やかに酒を酌み交わす光景。飾らない笑顔を浮かべながら、今この瞬間に生きることを心の底から楽しんでいる。
暗い過去を背負っているなどと到底思えない姿に、悩みに悩みを積み重ねているのが次第に馬鹿らしくなり、リオンは牛鍋をよそった小皿を片手に苦笑交じりに息を吐いた。
「どうしたの? 美味しくない?」
「いえ、今まで食べたことがないくらい……美味しいですよ」
「うんうん、特に他人の金で食べるご飯は格別だよねー」
「いや、そういうことではなく……」
「リオンは骨格の割にまだまだ痩せすぎなんだから、どんどん食べなよ?」
「はは、いただきます……」
箸を握り締め、いかにして人の金で食べる飯が美味しいかを声高に力説する葵の表情はここ数日の中で一番明るい。おそらくこれが彼女の持つ本来の笑顔なのだろうが、話の内容が内容だけに素直に見惚れることもできず、リオンはお茶を濁すように曖昧に微笑みながら箸を進めた。
しかしウジウジとしたリオンの心境など知ったこっちゃないとばかりに輝く笑みが、大変不本意ながらもリオンの心を軽くしたのは事実で、いつの間にか見知らぬ面々に囲まれた緊張やら警戒やらが解けていることにも内心驚く。
まったく、本当に面白い人に拾われたものだ。
リオンは自分というちっぽけな存在を『仲間』だと言い歓迎してくれた人たちの会話を聴きながら、初めて感じる気恥ずかしさと嬉しさに、形のいい唇を柔らかな笑みで染めた。




