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異世界の落としもの、返却いたします  作者:
一章『遺愛の指輪』

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五話

「……なっなによ! 私は悪くないっ! あんなの、やれる人がやればいいじゃないっ」


 我慢できず、化けの皮がはがれたように騒ぎ出した岡崎に、葵はどうしようもない脱力感を覚える。まさに子供かと突っ込みたくなる言葉。同じ歳の社会人にしてはあまりにもひどいそれに、怒りよりも憐みを感じてしまうのは仕方がない。


「あなたの仕事はあなたのもんでしょ。それを私が肩代わりする理由がない。ったく子供じゃないんだから給料分はきっちり働きなさいよ」


 葵は強く掴まれていた手をグイと動かし、強引に振り払う。その際に手入れされた彼女の爪がガリッと手の甲の皮膚を抉り、赤い線が数本走った。そこからプツリと血が滲むと、岡崎が小さな悲鳴を上げて後ずさる。


「ひっ……」


「へぇ、人を傷つけて怖がるんだ? 不思議だね、目に見えない傷なら平気でいくらでも負わせるくせに」


 葵はあーあと呟きながら手の傷に視線を落とすと、それにそっと口づけして滲んだ血を舐めとる。その仕草がやけに扇情的で、岡崎はいいようのない恐怖と共に、それ以外の感情がゾクリと背筋を這うのを感じて、なすすべもなくその場に棒立ちになる。


「ちっ、ちがっ……」


「私は元々あなたに興味なんて無いから、その子供じみた我儘で傲慢で残虐な性格にも耐えられたけど、他の人はそうじゃない。あなたが面白おかしくいじめた所為で辞めていった子たちは、今頃人生を狂わされて怒りや悔しさを感じてるだろうねぇ」


「そんな、そんなこと……」


「『仕返しがしたい』『復讐したい』って考えるのは当然でしょ。それをするかしないかは相手の良心次第。……まぁ気を付けなよ。実家が金持ちだからっていっても万能なんかじゃない。仕返しなんてそれこそ隙をついていくらでもできるんだから。それだけのことをしてきたんだよ、あなたは」


 葵はひと際蠱惑的な微笑を浮かべると、葵の言葉を理解できずに呆然と立ち尽くす彼女の耳元に唇を寄せてそっと呟く。


「さよなら、我儘で傲慢なお嬢さん」


 そしてそのまま興味を失ったとばかりに視線を外すと、車の後部座席へと乗り込みその場を離れた。


 バックミラー越しに見えた岡崎の顔はじわじわと訪れる屈辱と恐怖に彩られ、実に人間らしい感情を表に曝け出していた。そこに後悔や罪悪感などというものは一切なく、今まで見下してきた相手にいいようにあしらわれ、自分の思い通りにならないと癇癪を起して地団太を踏んでいる姿だけ。まるで道化のような彼女にクククと囀るような笑みが口から零れた。


「いやぁ、強烈だね、あの子」


 車のハンドルを握りながら、ノヴォがため息交じりにそう言った。


「そうでしょー? 見てる分には面白いんだけどねぇ」


 葵が座席に深々と腰かけながら吞気に言うと、ノヴォがお嬢も大概だけどねと乾いた笑いを漏らした。


「さっきのあの女の顔が相当怖かったみたいでさ、リオンが車の中でビクビクしてた」


「ノヴォ!」


「なんていうか、リオンらしいわ」


 育った環境が環境だけに、もはや潔癖というほど女慣れしていないリオンにとって、彼女の般若面はさぞきつかったことだろう。車内でのリオンの様子を簡単に想像できてしまい、思わず生温かい視線を送ってしまう。


「それってどういう意味でしょう……。って、それよりも葵さん、手、大丈夫ですか? 血が……」


 助手席に座っていたリオンが振り向き、心配そうな顔をして葵を見つめる。


「ん? あぁ、これくらいなんともないよ」


 葵はあっけらかんとそう言うと引っ掻き傷に手を当て、撫でるようにスライドさせた。すると先ほどまで痛々しかった傷が跡形もなく消え、残るのは滲んでいた血痕だけとなる。


「傷が……!」


「ふふん、どうよ」


「確か屋敷の敷地外で魔法は使えないのでは? これは、いったい……」


 得意げに無傷となった手をひらひらとさせた葵に呆れつつも、リオンは驚きに目を見開きながら彼女の手を取り不思議そうに首を傾げる。

 あれだけ女性に囲まれてカチコチになっていた彼が、なぜか葵にはなんの躊躇いもなく触れることができている。それは恐らく回廊崩壊時のお姫様抱っこがあまりに衝撃的すぎて、葵を女として認識できないのだろう。それはそれでなんとも複雑な気分になるが、どちらにしろ葵自身も彼を異性として見れていないのだからお互い様である。


「君がいた世界と違って、この地球には魔力が漂っていない。それは魔力が湧き出る【龍脈の源泉】、つまりうちの敷地にあるあの池を結界で覆っているからだってことは、この間話したでしょ?」


「はい」


「でも、実際はほとんど外に漏れてないってだけで、完全に遮断されているわけじゃないの。世界の根底を支える為に必要な魔力は地脈を通して常に流れてる」


「わた……俺には何も感じられませんけど」


 一人称を『私』から『俺』に変え、なるべく言葉を崩して新しい自分を作ろうとしているリオンは、いまだ慣れないのか気恥ずかしそうにコホンと咳払いをする。そんな様子を微笑ましく思いながら、葵は話を続ける為に口を開いた。


「日本では魔力じゃなくて『霊力』なんて呼んでるみたいね。ただ、多くの魔力があることが普通の私たちからすれば、感じるのも苦労するくらい濃度の薄いものなの。その威力も魔力が潤沢な場所と違って断然劣るし、魔法を使い慣れた者には無いも同然なんだけど、使い方次第ではこれくらいの傷は治せるってわけ」


「へぇ……」


 こんなこともできるよと言いながら、葵は立てた指先に小指の爪程の水球を作ってハンカチを濡らし、傷のあった箇所を拭う。


「霊力を使ってできることと言えばこれくらいのものだけど、リオンはやっちゃ駄目だからね。戦略級の高等魔法ばっかり使ってた君は、多くの魔力を一気に使うことに慣れてる分、細々した魔力操作が拙い。霊力は技術頼りな部分がほとんどだから、きちんとこの世界に慣れるまでは我慢して」


「……わかりました」


 リオンは明らかに渋々といったようにコクリと頷いた。


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