四話
彼らの待ち人である葵が来たことによって早々に散ったのかと思っていたのだが、どうやらまだ何か用があるらしい。数人いる中で、秘書課で見かけた覚えのあるきつめの美人が葵をじろじろと不躾に見ながら形の良い唇を開いて声をかけてくる。
「ちょっと、私たちが先に話してたんだけど、あなた誰なの? この方たちと知り合い?」
「えぇ、そりゃまぁ私の迎えですから。……それが何か?」
気安く喋り、荷物をポンと任せているのだから当たり前だろうと口に出したくなる質問に、正直面倒だなと思いながらも手短に言葉を返す。
「ふぅん……。あなた、今会社から出てきたけれど……見かけない顔よね。どこに配属された子? 新しい子が来るなんて聞いてないけど」
「いえ、私は……」
胸元で腕を組みながら訝しげにこちらを窺う女に、今日で辞めるんですと返しかけたところで玄関ホールから飛び出すように現れた岡崎に言葉を遮られる。
「葵ちゃんっ!」
「うわぁ……」
更に面倒くさいことになりそうな予感に、思わず本心を曝け出すようにポロリと零す。真取の説教から逃げてきたのかなんなのかは知らないが、彼女が来た以上ここに居ても良いことはないだろう。
すぐさまリオンとノヴォに目配せをし、車の中に入るように促す。そして自身も早々に話を切り上げて車に乗り込もうとすると、岡崎は何を思ったのか凄い勢いでこちらへと突っ込んできた。
「待ってってば!」
「えっ、ちょっと、なに?」
ドアに手をかけたところで岡崎に手を掴まれ無理やり制止されられた葵は、眉間に皺をを寄せながらハァと深いため息を吐くと、諦めたように岡崎を見据える。
うるうると涙を溜めた眦に潜んだ仄暗い想い。自分が呼び止めたのだから立ち止まるのが当然だろうと言わんばかりに高圧的なそれは、言葉を発する口よりも正直だ。むしろなぜ自分の言葉を拒否するのだろうとさえ思っていそうで怖い。
人や親の権力を使い散々いびっておいて、辞めるとなった途端にここまで執着するなんて、なんて身勝手なのだろうと、葵は心の中で悪態を吐く。ちやほやされる環境から邪魔な人間が一人居なくなるのだからむしろ万々歳だろうに。
やはり今まで肩代わりしていた仕事を今さら戻されてもということなのだろうか。だとしたら、目の前で縋るように手を握る彼女はどうしようもない愚か者だということである。
「私を置いていくの……? なんで? 骨董商なんて寂れた仕事、葵ちゃんには似合わないよ。ねぇ、ずっとここに居ればいいじゃない!」
「はぁ? なに勝手なこと言ってんの。なんで私を置いていくの? って言われても当たり前じゃん。辞める時まであなたの意志に沿わなきゃいけない理由なんてないっつーの。ってか人んちの仕事サラッと馬鹿にするのやめてくれる?」
「だってぇ、友達なのに……私のこと、心配じゃないの?」
「ヤバい、人の話全然聞いてないとか……なんなのホント。そもそも友達とか心配とか、そういう問題じゃないでしょ……はぁ」
グズグズと泣きながら駄々を捏ねる岡崎を見て、立ち去る機会を逃していた女たちが同情するような視線を葵にに向けてくる。
岡崎は社内、特に女性社員からは問題児として疎まれている。どうやら彼女らもその口なのだろう。同情するならどうにかしてほしいと目で訴えるが、彼女らは関わりたくないとばかりに二ヘラと愛想笑いを浮かべると、先ほどまでの勢いはどこへやら、サーッと波が引くように離れていってしまった。イケメンと知り合うことよりも問題児から離れる方が優先されるのか。もう少し根性がある人たちだと思っていたのに、事実というものは実に薄情だ。
「……あのさぁ、確かに仕事の同期ってのもあったから他の人と比べて話す機会は多かったと思うよ。でもね、それだけであって友達じゃないし。友達ってもんは片方が楽をしてもう片方ばかり苦労するようなもんじゃない。互いに認め合い対等になって初めて友達になれんの。私たちはそうじゃないでしょ? あなたは私を見下して楽しんでたじゃない。仕事を押し付けて楽してたじゃない。あなたの言う友達って随分と都合がいいんだねぇ」
ここを去れば二度と会わないだろうからと、葵はやけくそとばかりに今まで溜めてきたものを晴らすように言葉にしていく。振り払おうとすればすぐにできる細腕をそのままに、底冷えするような目をして岡崎の驕りを削いでいく。
「そんな言い方しなくても……っ! そんなに嫌ならもっと早く言ってくれれば……」
「いやいや、言うも何も、人が席外してる間に元々ある書類と混ぜるように置かれたら、気づくのが遅れて言えるもんも言えなくなるでしょうよ。それに人が苦労してやったもんを勝手に持ってって報告したりしてさぁ……本当に好き勝手やってくれちゃって、ねぇ? 私に辞められたらどうしていいかわからないって? そんなん知るか。引き継ぎはしてるんだから、あとは自分でなんとかしな」
葵がほとんど息継ぎなしでそこまで言いきると、岡崎がわなわなと震え、百年の恋も冷めそうな恐ろしい形相で葵を睨みつけてくる。
本当ならこうなる前にもっと上手いこと対処できたはずだ。押し付けられた仕事はやるべき人に返せばいいし、上司に相談して対処してもらうこともできただろう。それもこれも相手が自分と同じただの平社員であればの話だ。
彼女の実家の力はこの会社にとって非常に重要だった。いち平社員として過ごす葵が変に刺激して会社に損害がいくなんてことになっては目覚めが悪い。それに役職付きの男たちが数人、彼女によって骨抜き状態にさせられているというのもあり、表立って事を構えれば面倒くさいことになるのは目に見えていた。
けれども、それもこれも今日で終わりだ。




