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故に其は禁忌とさるる  作者: のっぺらぼう
黒き鱗の王
9/14

#09

ヴィシゲル辺境伯グィス・ルは新公爵と別れたその足で、真っ直ぐセニュイアの自室に向かった。途中、何度か立ち番や巡回の衛兵に出会ったが、夜中に王宮内を歩き回るグィス・ルを不審者として扱うものはいない。エト・ドレザク王国内で唯一、竜種(ドレザク)ではなく爵位と領地を拝領(はいりょう)している貴族の顔はよく知られていたし、当の衛兵たちの中にグィス・ルと同じ種族がかなりいて、同族の貴族を敬愛している。グィス・ルは白の地の同胞種(ロ・ルセ)と呼ばれる種族だった。

東の大陸には、固有種として発生種(フェ・イゴ・ア)と呼ばれる種族群がある。もともと、『大地を父とする』という意味の古語で、竜種(ドレザク)無角童人種(プミクス)など婚姻により種族を(ふや)姻種ゼレップと異なる方法で、数を(ふや)す。白の地の同胞種(ロ・ルセ)を含む地の同胞種(ルセ)はそちらに属していて、性別を持たず、殻虚(チ・ガ)もしくは単にガ、と呼ばれ、種族により聖地とされている大地に空いた穴から嬰児(えいじ)が発生してくることによって、繁殖している種族だった。

発生種(フェ・イゴ・ア)の共通項として、発生後十年ほどで成人と同じ体格になり、死の直前まで若年の姿のままで生きる、という点がある。圭介はグィス・ルが二十歳くらいに見えていたが、実際はセニュイアより年長、ネン老人と同い年で、四十七歳だった。地の同胞種(ルセ)の共通項としては、魔法が()けていること、耳が尖っているという特徴がある。白の地の同胞種(ロ・ルセ)はその他に、肌や髪の色素が薄く、そのため太陽の光を浴びることが出来ず、地下や洞窟、夜限定で活動せざるを得ないという特異点があった。もっともその点は夜番の衛兵として重宝がられていて、それなりの人数が王宮内に配備されていた。

王宮の最奥にあるセニュイアの執務室へはそれなりに歩が必要だった。たどり着くと、扉の前の警護の騎士が最敬礼してグィス・ルを迎えた。

「陛下へのお目通りを願いたい」

ただ、グィス・ルがそう告げると、騎士たちの間に緊張が走った。

「しばし、お待ちを」

一人がそう応え、さっと扉の内部に入り込む。残った騎士は職業的な無表情を崩さずにはいたが、グィス・ルに対しての警戒心を隠す気はないようで、グィス・ルをじっと見据えている。面倒になったな、と内心グィス・ルは苦笑した。以前は己の執務室とセニュイアの執務室が内扉でつながっていたので、いちいち誰かに許可を取る必要はなかった。今、その部屋は、ビンオン公のために空けられている。予定通りに新公爵が到着していれば、その意見を取り入れて、内装を(ほどこ)すつもりだったので、がらんどうのままである。そのため現在圭介が滞在しているのは、フエ連合王国からビンオン公の客人が来た際の宿泊用にと新調された部屋だった。

程なくして、黒髪に浅黒い肌、首回りに黒曜石のような鱗を持った女性が姿を見せた。セニュイアではなく、セニュイアの執務官、つまり秘書である。執務官は黒曜翅族の女性の平均くらいの身長で、グィス・ルよりやや低いのだが、背を反らせ、挑むような視線を向けて来た。

「陛下は既にお休みです」

「休んでいるのなら、貴殿は辞去しているだろう」

間髪入れずに応じたグィス・ルに、執務官は黙った。

「王宮の、警備の不備の報告だ。早い方が良い。不審に思うなら、貴殿も同座して構わない」

執務官はほんの少しだけ逡巡したが、無言でグィス・ルを通した。もともと、辺境伯の地位は、王族にのみ与えられる公爵位に次ぐ高さだ。一介の執務官が本来、その行動を制限出来るものではない。ただ今回騎士たちと執務官が警戒したのは道理で、グィス・ルはセニュイアの二十年以上に渡る愛妾(、、)だった。


「何用だ?」

浅黒い肌。彫りの深い顔。紫掛かった黒の大粒の瞳。長い睫毛。腰に届くほどの長い黒髪を下ろしている。対照的に身に着けているのは、白のシャツに白のズボンで、一見するとグィス・ルと似た格好である。その上に羊の毛で編んだ柔らかい上着を引っ掛けて、セニュイアは執務机に向かっていた。

圭介と、ネン老人を含む侯爵家の全員、特に本物のケイが勘違いしていたことがある。無角童人種(プミクス)は平均寿命が五十歳ほどで、十台前半には一人前、四十を越えれば老人、という勘定のため、四十過ぎのセニュイアも老婆と思い込んでいたのだ。だが平均寿命が無角童人種(プミクス)の二倍、百歳ほどもある竜種(ドレザク)は、十代半ばの成人年齢までの成長速度はそれほど違いがないが、その後の老化速度にはかなりの差がある。セニュイアは、もともとの顔立ちに加え、王位について以降は常に厳しい表情を崩さないため、きつい印象を与えるが、充分美人で、まだぎりぎり『おねえさん』扱いが通じる外見であった。もっともそれにしても十五歳の圭介とは一回り違って見えるが。

「今、そこで、(ぬし)の伴侶に遭遇した」

「は?」

セニュイアは手元の書類から顔を上げた。露骨に(いぶか)しげである。

「『月光の間』の前の廊下だ。騎士が一人、慌てて後から着いて来ていたが」

セニュイアは眉をひそめた。

「この寒さの中出歩いたのか?具合が悪いのだろう?何故また?」

「知らぬよ」

グィス・ルは素っ気なく答えた。

「…騎士は着いて来ていた、と言ったな。部屋から出したということか。何が起こるか分からぬというのに」

書類を横にやると、紙片とペンを取り、何事か書き込む。明日朝一番で宮廷総務官長は呼びつけられ、叱咤を受けるだろう。

「まったく、次から次へと面倒を増やしてくれる。寒さと疲労で随分(こた)えているようだし、市民へのお披露目は次の例祭まで延期して、一旦ビンオン領に入って頂くか。あそこはノヴィより余程暖かいし、静養するにはちょうどよかろう」半ば独り言をつぶやくと、投げやりに言った。「跡継ぎ、跡継ぎとうるさいかと思えば、無角童人種(プミクス)ではどうのと、またうるさい。暇な貴族どもだ」

グィス・ルは嘆息した。

「言ってやるな。皆、(ぬし)に万一のことがあった場合を恐れている。また争乱の日々に逆戻りになる、と」

今、エト・ドレザク王国にはセニュイア以外に王の直系が存在していない、どころか傍系の王族ですら数が少ない上、血統という意味においては、セニュイアから酷く遠かった。そのせいで王位継承者が定められていない。この状態でセニュイアが死去すれば、間違いなくまた内乱状態に戻るとグィス・ルは確信していた。


なぜ、王族が少ないのか。事の起こりは四十二年前、セニュイアが生まれた年にまで(さかのぼ)る。

その年、セニュイアの父、第十二代エト・ドレザク王トイヤボドゥ二世の八番目の男児である

ギアインが突如フエ連合王国に亡命した。それと日時を前後して、王太子であった一番目の男児、テリュードゥが逝去した。この死について、亡命したギアインは他の兄弟たちが共謀し、王太子の謀殺を謀った、自分はその計画を持ちかけられたが断り、王太子に危機を伝えたのちに、自らへの危険を回避するため亡命したと主張し、その他の王族は一様に、王太子を殺害したのはギアインで、他の兄弟に罪をなすり付けようとして裏切りに遭い、逃亡したと主張した。事実がどちらか、あるいはそれ以外にあるのかは今もって不明である。とにかくこの一件で後継者問題が白紙に返り、王子・王女の間で不信感が蔓延したことは事実である。危険なものを感じたトイヤボドゥ二世は、身ごもっていたセニュイアの母を、エト・ドレザク王国の東の果て、ヴィシゲル辺境領に送った。ここは地の同胞種(ルセ)のいわば自治領で、エト・ドレザクに組み込まれていたが、王家や竜種(ドレザク)の貴族たちとの関わりが浅かったので、逆に安全と判断したのであった。

その判断は正しかった。セニュイアが生まれた翌年、トイヤボドゥ二世は後継者が定まらないまま逝去し、赤子のセニュイアを残して兄弟たちはそれぞれの領地を本拠としそれぞれ王を自称して争い始め、フエ連合王国はギアインこそ正統な王だとし、反逆者を討つという名目で、進軍を開始した。十年ほど内乱とフエ連合王国の進軍が続いた後、エト・ドレザクの西半分と首都を制圧したフエ連合王国軍の下、ギアインはエト・ドレザク王を宣言した。この時点で、ギアインとセニュイアを除くトイヤボドゥ二世の遺児と遺児の直系たちは全滅していたのだ。


(けい)は、明後日発つのだな」

不意にセニュイアは話しと、言葉を変えた。地の同胞種(ルセ)の使う言葉で、ノヴィでは殆ど聞くことがない。グィス・ルはうなずいた。

「ああ、明日の任命式は頼むぞ。ヘ・リチェのやつ、相当に緊張しておるから」

グィス・ルが、同じ言葉で、明日ヴィシゲル辺境伯を譲る後進の名を挙げると、セニュイアはうなずいた。しばらく、爵位継承の任命式が続く。セニュイアの婚姻に伴って、代替わりをする貴族が多かったのだ。圭介が魅了されたエミュザもそうだが、エミュザの場合はそもそも母親が娘が成人するまでに一時的に爵位と領地を預かっていただけなので、たまたまエミュザの成人とセニュイアの結婚が重なっただけである。他の貴族はというと、やはり古い世代の方が今回の婚姻に否定的であったため、鬱積(うっせき)を抱えて宮仕えするよりは隠居してしまおうと考えたものが大半で、中には辞表を突き付けることで、無角童人種(プミクス)の婿か自分を選べと判断を迫ったつもりの者もいたかもしれない。セニュイアはそう思われる場合も含めて、すべて引退をあっさりと認めてしまったので、(あて)が外れて(わめ)いている連中も少なからずいた。

「今、ヴィシゲルは水の季節だな」

セニュイアは懐かしそうに、幼少期を過ごした地を思い描いた。

後に僭称(せんしょう)王と称されるギアインが王を宣言してから数年、ギアインを傀儡(かいらい)として、エト・ドレザクの西半分はフエ連合王国の統治下にあった。豊かな西部の穀倉地帯と、港湾都市ニュクヴォールを占拠したこと、東の領主たちが徹底的に守りに入ったのとで、フエ連合王国は東への進軍を止めた。そのためセニュイアはヴィシゲル辺境領で先代のヴィシゲル辺境伯の庇護を受け、同じく辺境伯の元で勉学に(いそ)しんでいたグィス・ルと共に、立派に育ち、成人した。

そして、セニュイアの成人を待っていたかのように、王都で再び騒乱が起こった。年月を()るにして段々と好き勝手に振る舞うようになったギアインを、フエ連合王国軍部が持て余し、ギアインを監禁すると、セニュイアへの譲位を打診して来たのだった。無論、新たな傀儡(かいらい)としてである。セニュイアは有り難く頂戴すると、王都に入った。既に辺境伯の爵位を継いでいた…といっても東の領主たちはギアインを王と認めていなかったので、王が不在のまま勝手に継いだわけだが…グィス・ルを初めとする、東の領主たちと、その軍とともに。

その後、油断の(きわ)みにあったフエ連合王国軍はあっさりと本国まで押し戻された。むしろ西の、フエと組んで甘い汁を吸って来た貴族たちの抵抗の方が激しく、トイヤボドゥ二世の落胤(らくいん)とする子供まで持ち出して来たが、数年で鎮圧され、エト・ドレザクは再統一された。

それが二十年ほど前のことである。それ以来、セニュイアはヴィシゲル辺境領の地を踏んでいない。

「ああ、そうだ」

グィス・ルも故郷を思い描いた。この時期、雪解け水が、河川と森の様相を一時に変えるのだ。

「生きているうちに、帰りたいものだ」

「わたしへの皮肉か、それは」

グィス・ルは笑った。白の地の同胞種(ロ・ルセ)地の同胞種(ルセ)の中で一番寿命が短い。無角童人種(プミクス)と同じ、五十歳ほどである。発生種(フェ・イゴ・ア)は寿命が来ると一気に老け込む。老化とは別に()化とか立ち枯れなどと言われるほどで、数十日で老衰で死ぬ。グィス・ルは既にその『立ち枯れ』がいつ起こってもおかしくない年齢にかかっており、ノヴィから、隠居のためにヴィシゲル辺境領に戻る一月近い旅の間に、死去することもありえたのだ。

地の同胞種(ルセ)に生まれたかった」

ぽつりとセニュイアがつぶやいた。グィス・ルは無言で、普段と異なり、威厳もなにもない、セニュイアの顔を見つめた。

「ヴィシゲルにいたかった。わたしは、あの地が好きだ」

「知っている。だからこそ、(ぬし)はここに、ここで玉座に、いなければならない。そうでなければ、ヴィシゲルの安寧も保たれまい。(ぬし)が内乱の際にヴィシゲルにいて、(ぬし)を王に(いただ)こうという者が集まり、(ぬし)と共に戦ったからこそ、ヴィシゲルの地も、地の同胞種(ルセ)も残った。それがなければ、夜の同胞種(アズラ)のような目に遭っていた」

夜の同胞種(アズラ)は内乱の際に族滅寸前まで追い込まれた種族である。

「『父』は、我らの大地は、それほど無情ではないさ。(ぬし)の骸を、竜種(ドレザク)だからといって、拒みはしない」

「そう、願う」

セニュイアは視線を下に落とした。

「では、これで。余り無理をするな」

グィス・ルの辞去の言葉に、セニュイアは軽くうなずいた。グィス・ルは退室した。

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