#03
ビンオン領領主、ヌト侯爵の館から着飾った馬車が数両滑り出て来た。全てが四頭立ての立派なもので、引く馬も馬を操る御者も馬車と同じく着飾っている。館から続く、ビンオン領の中心部の町への道の両端には幾人もの領民が集まり、馬車を見送っている。領民たちの顔は喜びに溢れているようでいて哀れむような、複雑な表情である。馬車に乗っているのはヌト侯爵の末息子とその従者たちで、本日このフエ連合王国の南端から、北のエト・ドレザク王国の王に婿入りするのである。
ビンオン領民のエト・ドレザク王国に対する知識は少ない。北にある王国であること。何年か前までフエ連合王国の支配下にあった国であること。自分たち無角童人種でも、村で時々見かける、自分たち以外の国の主要構成種である豹爪種や狼牙種、蹄種でもない、竜種の王国であることくらいしか知らない。ある者は領主の子息が一国の王の伴侶になる事を喜び、ある者は元属国に赴かざるを得ない境遇を哀れに感じていた。
「腰が痛い…」
豪勢な馬車の中、数日前『ビンオン領主の末息子、ケイ・ヌト』になった圭介は、舗装されていない道と緩衝材のない馬車による揺れに早くも音を上げていた。
さかのぼること、数日前。
「で、これから俺はどうなるの?」
結局のところ自分がこの世界に来たのは偶然の産物でしかない、と聞かされた圭介は木の箱に腰掛ける長身の男に尋ねた。圭介が異界からやってきた、ということに納得しているのかいないのは分からないが、モトスはしばし沈黙してから答えた。
「…今、あなたがここにいる、ということはどうしようもない事実ですので、取り敢えず、一時的に村で暮らしてもらって、その間に他の『惑いの森からの客人』について調べてはみます。彼のひとたちが、あなたと同じように異界からのやって来たのであれば、何か分かるかもしれません。ただ、異界への干渉や、生体転送など、恐らくケトーレのドレザク王国やユイでも成功していない魔法だと思うので…正直…その…何か分かるとかは、期待はしないで下さい」
しりすぼみになってしまったモトスに替わり、ネン老人が『ケトーレのドレザク王国』が、この東の大陸とは海を挟んだ別の大陸、中央大陸にある非常に発展した大国のこと、『ユイ』がフエ連合王国の東にある魔法王国を自称する国だと補足してくれた。
「他の『惑いの森からの客人』ってどうしてるんだろう?」
「見つかった村で暮らしているんじゃあないかな」
ネン老人が余り自信がない様子で返答した。
圭介は自分が腰掛けている椅子、テーブル、棚の順で部屋を見回した。固定されていない棚は、地震が起きたら倒れそうで、ついでに粗末なテーブルは倒れた棚にぶつかったら壊れてしまうだろう。いやそれ以前にこの家というより小屋という名称が似合う建物ごと倒壊するか、と脈絡なく考える。テーブルの上の土瓶は口が欠けており、肉厚の陶器の湯呑みに注がれた『お茶』には、圭介が現れた際には閉め切られていて、今は開け放たれている扉と窓から入り込んだ羽虫が浮いていた。羽虫の他にも草木の濃い匂いと鳥の鳴き声が入り込んで来ている。圭介は半袖の夏用制服姿だったが、それでも蒸し暑い。
ここでの暮らしはかなり原始的なものになるだろうと思い至り、圭介は暗澹たる気持ちになった。
「ところで、モトス、ケイ様の捜索はまだ可能かね?」
ひとしきり沈黙が下りた後、ネン老人がのんびりと声をかけた。はっとした様子でモトスが顔を上げる。
「いや…それが…多分無理です。その、今、その絵姿をもとに捜索すると、間違いなくこのひとが捜索対象として認識されます」
モトスはそう言って圭介を見やった。モトスの使った魔法はあくまで『術者が探し出そうとしているものに一番似ているもの』の位置しか判明しない。次点で似ているものなどという高度な検索は出来ない。目の前に絵姿そっくりの人物がいる以上、どうしてもそちらが優先されてしまう。
ネン老人は深く息を吐いた。申し訳ない、とモトスがその大きな体を縮めて謝る。
「仕様がない。世の中にはどうしようもないことがいくらでもあるものだ」
そうネン老人が嘆息すると、モトスが再び心底申し訳なさそうに謝った。
「それより、さしあたってまずこの少年の身をどうするかだ」
「はい、あの、ここではあれなので、出来れば村長のお宅にでも滞在出来るように取り計らって頂けませんか?」
おずおずと申し出たモトスに、ネン老人は首を振った。
「駄目だよ。いくらなんでも、ケイ様に似過ぎている。良く似た別人といっても納得してくれないと思う」
「しかし…」
「ちょっと待っておくれ。少年、見たところ、良いところのひとだよねえ」
モトスを手で制すると、ネン老人は圭介に声を掛けた。職業柄、さまざまな種族、身分、職業の人々と会うネン老人である。圭介のしっかりした仕立ての服と革靴、手入れされた髪と荒れていない手はどう見ても上流階級に所属する者のそれだった。突然話しを振られ、対応出来ず、ただネン老人の顔を見つめる圭介に、ネン老人は続けた。
「カガ村で暮らしていけるかなあ」
しわくちゃな顔をさらにしわくちゃにして微笑みながらネン老人は問い掛けた。
そして圭介に出奔した領主の子息、ケイの身代わりになることを提案して来たのであった。