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故に其は禁忌とさるる  作者: のっぺらぼう
黒き鱗の王
12/14

#12

圭介が部屋を出てから、さほど時間は立っていなかったのだが、黄昏は思いのほか一時(いちどき)に訪れていたようだ。王宮内の建物内は、ある一定以上暗くなると魔法のランプが自動的に(とも)る仕様になっていたため気付かなかったが、屋根付き回廊に出ると、辺り一帯がかなり暗くなっていることが分かった。圭介は、わずかに差す太陽の光と、回廊の柱に取り付けられた魔法のランプの灯火と、二種類の光から作り出されたピエレテの影を踏みつつ、その後を着いて歩いていた。影に注意がいっていたので、ピエレテが足を止めたことに気付くまでに一瞬の間があった。ピエレテが鼻を鳴らす音が聞こえて、何事かと顔を上げた圭介の目に、騎士の正装を着崩した、だらしない格好の黒曜翅族の男が、回廊の外側からこちらに向かってくる姿が入った。酔っぱらいです、と、全身で主張したがっているとしか思えない、混濁した瞳、赤黒く火照った顔、覚束ない足許、ご丁寧に抱えた酒瓶。もともと余り良くない人相の上に、今は下卑た笑いを浮かべているため、一層酷いご面相だった。

「ハヴァン」酒焼けと思しき(かす)れた声が、歪んだ口元から漏れた。「あんたの従弟、外回りに追いやられたってえ?」

「だから何だ」

ピエレテは不快そうに応えた。

「かわいそお」

ピエレテの言葉が聞こえているのかいないのか、間延びした声でそう言うと、げらげらと笑い出した。そこまで近距離ではないのに、酒臭い息が漂ってくるようだった。ピエレテが回廊の端からでも聞こえそうなほど大きく、舌打ちをした。

「行くぞ」

ピエレテは圭介に声を掛けると、再び歩み出した。

「おいおいぃ、あれえ、これ、あのちび(、、)のところの?」

圭介が歩き出すより早く、意外に素早い動きで、酔っぱらいの騎士はピエレテに寄って来た。そこで初めて圭介に気が付いたらしく、素っ頓狂な声を上げる。騎士の言った『ちび』が、圭介のことを指すのか、ルラ刀自のことを指すのかははっきりしていなかったが、どちらにせよ、その言い方に圭介はむかっ腹を立てた。圭介は腹を立てただけだったが、ピエレテは一歩踏み込んだ態度を取った。物理的に一歩踏み込むと、騎士の顔を平手で打った。小気味よい音が響き、足許の怪しかった騎士は見事に吹っ飛んだ。

「せいぜい、団長殿から良い知らせを聞くんだな。酒浸りの果て、ビンオン公を侮辱するとは。愚か者が」

ピエレテは冷たく言うと、起き上がろうともがいている騎士をそのままに歩き出した。圭介は何分(なにぶん)、腹を立てていたので、地面に転がり無様な姿を(さら)している騎士を見て、溜飲が下がる気持ちだった。間が悪かった。騎士が顔を上げ、まともに圭介と視線があった。圭介の、明らかに自分の醜態を喜んでいるその表情に、騎士の顔がどす黒く染まった。侮辱された、と感じた騎士は、怒号と共に立ち上がると、剣を抜いた。

「よせ!馬鹿!」

ピエレテの反応は迅速だった。圭介が事態の急激な進行に着いて行けず固まっている間に自身も抜刀し、何事か(わめ)きながら突進して来た酔っぱらいの剣を、己の剣で(から)めとるように弾いた。騎士は、あくまで酔っぱらいで手許も怪しかった。しっかりと握られていなかった剣は、ピエレテの一撃を受けると簡単に手を離れ、あさってのほうに飛んで行った。ただ、ピエレテも、予想より軽く、容易(たやす)く騎士の剣が手放されたせいで、勢い余って剣を振り抜いてしまい、次の対処が遅れた。空手になった騎士は、突進の勢いそのまま、倒れ掛かるように固まったままの圭介に詰め寄ると、剣を掴んでいたのとは逆の手で首を掴んだ。

「ひっ」

それほど強く掴まれたわけではなかったが、圭介の喉から反射的に悲鳴が漏れた。次の瞬間、視界が赤く染まった。圭介が悲鳴以外の反応をするより早かった。騎士の体がもんどりうって地に倒れた。騎士は先程の(わめ)き声とは比較にならない絶叫を上げて、その辺りを転がった。その動きに会わせて、地面が赤く染まった。圭介の首は、まだ騎士の手に掴まれていた。ピエレテに切り落とされた腕が、断末魔を上げるがごとく、断面から血を噴き出しつつ、びくんびくんと跳ねた。何度かの筋肉の痙攣の後、騎士の手は圭介の首から離れて、落ちた。圭介は失神した。


酷い振動で、目が覚めた。圭介はまぶたは開いたものの、それ以外は何もせず、ぼんやりと、手を伸ばせば触れられそうな位置にある天井を見つめた。がたん、とまた大きな振動が来て、全身が弾んだ。

「気付かれましたか」

「ん…」

何か言おうとして喉が乾燥しきっていることに気付く。ルラ刀自が竹の水筒を取り出し、圭介の口に含ませた。ぬるい上に微妙に植物の味が混ざっている水だが、今の圭介には、体中に染み渡る養分のようだった。喉だけでなく、全身が水分を欲していたらしい。水が行き渡るに連れて、少しずつ頭が冴え始め、自分がいる場所についての推測が付いた。馬車の客車である。圭介たちがフエから乗って来たものも立派な造りだったが、より大きく、頑丈そうな造りになっていて、ひと一人がゆうに横になれるだけの空間がある。

「ビンオン領へ向かう途上です」

圭介の瞳に、知性が戻るのを見たルラ刀自が説明した。

「…え?ええ?今日、何日!?」

ルラ刀自の言葉を聞いて、思わず圭介は可能な限りの大声を上げた。道中の護衛をする兵の編成や、屋敷の管理をさせている者に支度をさせたりしなければならない、そのため出立は数日後、との説明を受けていたのだ。それらの準備が全て整った後だと思い、まさか数日間寝たままだったのか、と圭介は驚いた。

「ビンオン領で静養することを受け入れられた、その日の夜半です」

圭介の内心を、ルラ刀自は正確に読み取っていた。酔っぱらいに絡まれた後、すぐに出立したわけである。その答えを得て圭介は安堵の表情を浮かべたが、対照的にルラ刀自の表情が曇った。

「ケイ様が、ハヴァン騎士…フドミトク・ハヴァン騎士が配置換えになったことを気に掛けられて、自ら会いに行かれたことは存じております。ただ、その方法が、少し、なんというか、普通ではありませんでした。更に女性と一緒だったことで、よからぬ噂をたてる不届きものもおりまして、出立が早まりました」

温情措置だ、とルラ刀自は思う。圭介の行動とその理由にについては、リドチア官長から受けた説明そのままであるが、セニュイア王にしろリドチア官長にしろ、本気でそうなど思っていないことは明らかだった。間違いなく、結婚式を挙げたその翌日に、他の相手との逢瀬を愉しんでいた、と思われている。その点を考慮すれば、醜聞を押さえ込むために、当事者をひとまず王宮から遠ざけるというのは、まだ寛大なやりかただった。

圭介は二三度、頭の中でルラ刀自の言葉を繰り返した。そこで、ようやく回廊での出来事、切り落とされた腕を思い出し、青ざめるとともに気が遠くなった。

「ケイ様!」

ルラ刀自が慌てた様子で、圭介の額を布で(ぬぐ)った。圭介は気が付いていなかったが、客車にはもう一人乗り込んでいた。それまで圭介の足元で控えていた橙色の鱗を持つ竜種(ドレザク)の年配の男は、ルラ刀自の叫びを聞くや、天井が低い動きにくい空間をものともせず素早く圭介の傍に寄り、腕を取り、脈をとった。

「分かりますか?」

男はそう尋ねるとともに、目の前に指を三本差し出して来た。圭介は弱々しいながらうなずくと本数を答えた。一瞬気が遠くなっただけで、失神にまでは行っていなかった。リドチア官長によって強制的に一行に同行させられた医師は、圭介の受け答えを確認すると、満足そうにうなずいた。

圭介は、もう一度ルラ刀自の話しの内容について考えを(めぐ)らした。当たり前だが、騎士が王宮内で仲間の騎士の腕を切り落として、騒ぎにならない筈がない。圭介はケナだと思われていたので、ルラ刀自にも、新公爵にも連絡が行く。そこで『ケナ』がビンオン公だと発覚したのだろう。王の結婚相手が女装して王宮内をうろつき女性騎士と会っていた、よからぬ噂が立たないほうがおかしかった。

「ご心配には及びませぬぞ。ビンオン領までは公爵様への誹謗中傷など届きませぬ。我ら一同、公爵様のお耳を汚すような言葉は一切遮断致します」

(かたわ)ら医師は、後悔の表情が圭介の顔に浮かんだのを見のがさなかった。そう言って笑った。実際には単なるご機嫌伺いの言葉だったのかもしれない。しかし圭介には、監禁するという宣言に聞こえて、背筋に冷たいものが流れた。

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