act.06
ACT.06
ヤケ酒決定、と心に決めたら、後はやることをやるだけだ。
出来るだけ早く仕事を終わらせ、居酒屋に駆け込むべし。
その日の仕事を最速で終わらせ、夏になって長くなった日に照らされながら退勤の挨拶をする。
(オレンジカクテル、ソーダ割り、シークヮーサー酒……)
ブツブツと呟きながら、片手で飲みたいお酒をリストアップしていく。
元々アルコールに弱い体質の七海なので、3杯も飲めば潰れてしまう。明日は木曜日。潰れてしまうわけにはいかない。
「ちょっとそこの、物騒な顔つきをした美人さん」
職員玄関で靴を履き替えたとき、ドアの向こうから楽しげな声が聞こえてきた。
「あ。あたし、忘れ物しちゃったかも。」
「ちょっと、何その棒読み!?明らかに無視したわねっ!?」
何も聞かないフリをして上履きに履き替えようとする七海を止めるように、ドアが開いて透が顔を出す。
鞄が肩に引っかかっているのを見ると、すでに退勤済みのようだ。
七海が一生懸命にやって、この時間なのに、透はいつもこの時間なのだと考えると羨ましすぎる。
デキる才能を分けて欲しい。
じとり、と透を見つめる七海に、何故か上機嫌の透はニコニコと笑っている。そして、一瞬のスキをついて七海の手からトートバックを奪い取る。
「あっ、ちょ!?何するんですか、川並先生」
「デートしましょ、ね?」
トートバックを七海の手の届かないように手を高く上げて、語尾にハートマークが付きそうなほど楽しげに言った。
「嫌です。お断りです。ノーサンキューです」
「うわっ、いつもながら鮮やかな断り方。
でもね、今日はどーしても付き合ってほしいの。美味しいご飯奢るから、ね?お願いっ!」
「今日はイヤですよ。用事があるんで」
「もしかして、ヤケ酒?」
「……違います」
「嘘ね。はい、荷物ちょーだい」
「っえ!?」
素早く七海の持っていたトートバックを取ると、透はニンマリと笑う。
「ヤケ酒飲んでも、気分が晴れるなんてことないのよ?
それに、七海ちゃんの場合ヤケ酒で解決出来るようなことじゃないでしょ?」
「でもっ」
「聞いてあげるから」
トートバックを七海から届かないように肩の後ろに回しながら、静かに笑う。
何だか、色々悔しい。
「大丈夫、七海ちゃんだったら自分の答えにたどり着くから」
自分より、年下の透に。
何もかも見透かされたような気持ちになるなんて。
「だから、行こう」
そう言って背を向けて歩き出す透の背中について行く。
(悔しい)
唇をかんで、俯きながら歩く七海を待って横に並んで上機嫌で歩く透。
もう、限界だったのかもしれない。独りで考えること。自分の気持ちを確かめること。
「七海ちゃん、何か食べたいもんある?」
「……パスタ」
「了解。どっか美味しい店知ってる?」
「シャルロッテ」
「近いし、そこにしようか」
頷くと嬉しそうに笑う透の笑顔を見たら、何故だか泣きたくなって。七海は空を見上げた。
――春の星座から夏の星座へと変わりゆく夜空。
何かが変わるかもしれない予感に、ただ黙って透の横を歩いた。
「……迷ってるんです」
「うん」
気が付けば、そんな言葉を呟いていて。
夏の夕焼けは、どこか切なく感じる。幼い頃、夏休みで友達とたくさん遊んでいたのに、夕焼けを見て帰ることが寂しかったことを思い出してしまうから。
だから、だ。
夕暮れの、微かに暗くなり始めた空。
歩幅が狭くなって透より僅かに遅れて歩く七海の目に、透の背中が大きく見えたこと。
その背中が、少し寂しげに見えたこと。
すべて、センチメンタルになっているせいだ。
「付き合っている彼氏がいるんです。6年間。少し離れたところに住んでいて、なかなか会えないけど。好きなんです、本当に」
「………」
透は何も答えない。しかし、その手で七海の手を掴み歩き出す。
ゆっくりと話したらいい、と無言で言われているようで。七海は透の手の暖かさに導かれるように、ポツリポツリと話し出す。
「彼氏は夢を、追いかけていて。そういう一生懸命なところが好きで告白したんです。今、その夢が叶おうとしているんです。でも、東京に行っちゃうから……あたしにも、ついてきてほしいって」
「………そう」
繋いだ手が、暖かい。
俯き、ただ歩く。
彼氏がいるのに。とか。
この手を離さなきゃ。とか。
透に話しても、何も変わらないのに。とか。
思うことは沢山あったが、それでも離せなかった。
思っていたよりも、弱っていたことを、思い知らされた。
あれから鳴らない淳専用の着信音。返事のないメール。
――どうしたらいいか分からない。
「……その彼氏さんには、夢があるのね。大切だし、そばにいたいものね、好きな人とは」
少したって、透が口を開く。
オネェ口調だったが、不思議と鳥肌がたつことも嫌悪感もなくて。
「七海には?」
呼び捨てにされたことよりも。
それよりも、七海を見つめる瞳や、逆に問い返されたことに驚いて。
真剣で、凪いだ海のように静かな瞳で。
「七海には、ないの?彼氏みたいに、一生懸命になれる夢」
真剣な声で。
「……あるから、迷うんでしょ?」
だからこそ。
何も言えなかった。
アドバイスもなにもない。
ただ、現実を自分の口に出しただけ。
でも、その現実の口に出していない心の奥底を見られたようで。
だから、何も言えなかった。