ACT.16
ACT.16
明子は、七海に何も言わなかった。ただ、七海の説明を聞いてどうしたいか聞いただけ。
明子はいつもそうだ。だからこそ、短大時代から煮詰まった時は最終的に明子にすがりついてしまう。
ただ、じっと相談を聞いてくれるだけ。そして、どうしたいか聞いてくれる。
答えになることは、言わない。
昔、何でアドバイスしないのか聞いたことがある。
『だって、七海が相談してくる頃は、自分でどうしたいか決めている時だから。それを私がどうこう言えないし。だから、私に話すことで自分の心を見つめられるでしょう?』
あぁ、完敗だ、と思った。
だからこそ、明子を頼ってしまう。
自分だけで、自分の心の奥底まで見つめる勇気がないから。
――パタン。
先程から携帯を開けたり閉めたりしている七海。今日から書庫確認のため、生徒たちは図書室の利用禁止期間になる。
その間に紛失本がないか確認したりするのだが、整理に夢中になっていたら透とのお弁当の時間になっていた。
が、透が現れる気配はない。
さっきメールを送ったが、返事もない。
「……先に食べちゃうぞー」
一向に鳴らない携帯を見ながら、机に出したままのお弁当をつつく。
透が来たら来たで、昨日のことをどう言うか、正直分からなくて来て欲しくないとも思う。
でも、透が来ないこの現状は、七海にとっては落ち着かない。
どうしてだろう。
ほんの少し前までは、ひとりでお弁当を食べることなんか当たり前だったのに。
カッキーン!と金属バッドがボールを打つ音が開け放たれた窓から聞こえてくる。
椅子から立ち上がって、窓から覗くと野球部の部員がチーム内で試合をしていた。
一球一球、ひたむきにボールに向き合う高校生。
(あたしは)
ギュッと唇を噛むと、七海は身を翻す。
淳を傷つける。
それでも、あの時答えは出ていた。
図書室を出て歩いていた足は、次第に早足になり、そして走り出していた。
まだ、自分の中でも戸惑う感情。本当なら、もっとじっくり時間をかけて気が付いていくはずだった感情。
それでも。
まだ確定でなくても、確実に芽生えているこの感情を。
昨日、キスという形で透が伝えてくれた感情。
返事を、しなきゃ。
そう広くない校舎。そう遠くない保健室と図書室の距離。
それなのにどうしてこんなに遠く感じるのだろう?
(会いたい)
息が、弾む。
(会いたい)
角を曲がって。
「……川並先生!」
勢いよく保健室のドアを開ければ、目を丸くした透がパソコンの前で固まっていた。
「……七海ちゃん」
「川並先生」
上がった息を整えるために、肩で息をしながら、それでも七海は透から視線を離さない。
「お昼、食べましょう……一緒に」
視線を逸らした透に、七海は保健室に入って透の前に立つ。
「……ごめん」
「何でですか?」
いつもは見下ろされるのに、今日は透が椅子に座っているため、七海が見下ろす立場になる。
「今日から書庫整理で、図書室には誰も来ない。そんななかで、自分をセーブ出来る自信はない」
七海の腕を掴み、透は七海を見上げる。その視線をしっかり受け止め、七海は逸らさない。
「分かったら、すぐに保健室から出ていってくれ。……後ろにベッドがあることくらい、分かってるだろ」
一瞬、身体を硬くした七海の反応に、自嘲気味に笑いながら透は掴んでいた腕を放してパソコンに向かう。
「…………っ」
くるり、と透の座っていた椅子を回転させる。
「なっ」
胸元を掴みあげ。
唇を、透のに重ねた。
「……川並先生の」
唇を離された透の瞳に映るのは、溢れ出す涙を拭おうとせずに顔を歪める七海。
そして、その七海が大きく振り上げた右手が。
「――バカッ!!」
パァンッ!
綺麗に透の左頬に痕を残す。呆然と七海を見る透。
次々と頬を伝う涙が、綺麗で。状況も忘れて、透はそっと七海の頬の涙に手を伸ばす。
「本気じゃないなら、触らないでください!
人の気持ちをかき乱して、楽しいんですか!?」
「な、七海ちゃん……?」
触らないでと言いながら、透の手を拒否しない七海に、透は七海の顔を覗き込む。
「さり気なく人の心に入り込んできて、それで突き放して。
そんなの、突き放されるくらいならいらない!そんな中途半端な優しさなんていらない」
ポロポロとこぼれ落ちる涙。
本当に好きだったら、淳にもこうすれば良かったんだ。
通勤時間が有り得ないことになっても。
それでも、一緒に『いられない』じゃなくて、『いない』ことを選択したのは自分。
メールの返事が来なくて、涙を流しても、泣いたことを悲しい気持ちを伝えないと『イイ子』になったのは自分。
もう、嫌だ。自分の気持ちをごまかすことも、素直になれないことも。
透の前では、驚く程本音がこぼれ落ちて。
だから、今まで悩んでいた答えが、すんなりと胸の中でも浮かぶ。
どこが好きになったのだろう?
そんな大切なことがハッキリ分からないままだけど。
「……好き」
今、一番の本当の気持ち。
伝えたい。
「好き、です。川並先生」