ACT.14
ACT.14
グルグルと同じ疑問が頭の中を回っている。
淳にキスをされそうになったとき。
なんで。
………なんで。
「……ねー。川並先生」
「んー?」
今年の夏、透のなかで大ブームとなったレモンヨーグルトのパックジュースをお弁当の後に飲んでいた透に、どこか気の抜けたような七海の声がかかる。
視線を七海に向ければ、減っていないお弁当の中身。窓の外を見つめる瞳の焦点はあっていない。
「好きな人とチューしたい?」
「ぶはっ」
「ちょ、汚いっ!ジュース吹き出さないでよっ」
「無茶言うなっ、そんなの!何なんだよ、いきなり!」
慌てて台布巾で吹き出したジュースを拭いたが、まだ心臓の動機は治まらない。
「……チューしたいよねぇ」
「七海ちゃん……え、なに?俺とチューしたくなった?」
「好きな人となら、したいよね」
「え、まさかの完全無視?」
んー、とタコ唇にして七海に近寄ると、はーとため息をつかれ、完全に透の姿は七海に映ってない。否定されるより傷つく扱いに、本気で凹む。
「…………」
いーんだ、いーんだ、といじけるフリをしていた透が、考え込む七海に気が付く。
「……七海ちゃん?」
様子がおかしい。
最近、特に様子がおかしい時間が増えてきた。
「何か、あった?いや、まぁ。色々あっただろうけど……今日は特におかしいぜ?」
「……うん……」
透を見ながら、昨夜のことを思い出す。
淳とは、別れるかどうか答えを出せないまま。とにかく、すぐに東京に行く気はないということだけを伝えたくて、会うことにした。
実際に会って、淳の言い分に今まで我慢してきた感情が言葉になったときでも、淳と本気で別れる気持ちはなかった。
今は、保留にしてほしかっただけだ。感情的になってしまっただけで、サヨナラをするつもりはなかった。
淳を好きなことは変わりないし、自分が納得するところまで仕事をして、その上で淳のことを追いかけるつもり……だったはず。
それなのに。
あのキスを求められたとき、頭に浮かんだのは透の顔だった。
七海ちゃん、と優しく呼ぶ声だった。
好きなのは、淳だ。
それなのに。なぜ、透のことを思い出したのだろう?
自分は、透のことが気になっているのだろうか?
「七海ちゃん?」
あまりにぼんやり透を見ている七海の様子に、透は眉を寄せる。
「風邪、ぶり返してないか?」
パイプ椅子から立ち上がって、そっとおでこに手を当てる透。
暖かい手に、何故か安心して瞳を閉じた。
「……」
透は、黙って額に当てていた手で、頬を包み込むように撫でた。
「川並先生?」
そっと七海は瞳を開ける。
まるで壊れ物に触れるような、そんな恐々とした触れ方。しかし、その手を離すことはせずに、じっと七海を見つめる。
夏を感じさせる、熱された風が二人の間を通る。
「……七海ちゃん」
いつもの優しい雰囲気でない、真剣な表情の透。
(だめ、だ)
いくら、その手のことに疎い七海でも、本能的に分かる雰囲気。
頭の中で、微かに響く警報。
「さっきの、答え」
ダメだと思っている、のに。
何やってるの、と笑ってしまえばいいのに。
身体が、動かない。
もう片手が、反対の頬を包むのを期待する自分。
淳が、いるのに。
「好きな人には、触れたい。
キスしたい。
いつだって」
この一線を越えてしまったら。
もう、今まで通りにはいられない。
「七海のそばに、いたい」
ゆっくり、重なる唇。
(………もう、今まで通りにはいられない)
運命の歯車は、動き出す。
触れるだけのキス。
少し触れて、そっと離す。
「……ごめん、止められない」
「――んっ……」
ぎし、と七海の座るパイプ椅子が軋む。
透が七海の身体を抱きしめ、片膝をパイプ椅子にのせて、再び唇を深く重ねた。
もう、戻れない。
曖昧な関係は、もう終わらせなければいけない。
きっかけは単純。
運命なんてそんなもの。
透の白衣をギュッと握りしめながら、七海は一筋涙を流した。