ACT.11
ACT.11
(今、星村先生、って)
学校では生徒の前でも『七海ちゃん』と呼ぶ透。先生と呼ばれることを望んでいたのに、どこか胸が痛むのは何故だろう?
その小さな痛みを押し込めるように、透に視線を合わせて七海は笑った。
「さっき、汗がいっぱい出たので、もう大丈夫だと思いますけど」
「でも顔色が悪くないか?病み上がりなんだから、無理はするなよ」
そっと手のひらを七海の額に当てようとした瞬間。
グイッ!
淳が七海の手を引いて引き寄せると腕を回し、七海の身体を抱きしめる。
「同僚の先生でしょうか?いつも七海がお世話になっています。婚約者の、坂田淳です」
その声の冷たさに、思わず非難の眼差しを向ける。
が、その瞳が真剣に透を睨んでいるのを見て、言葉を失う。
「……初めまして。川並透です。
普段、星村先生とは仲良くさせていただいています」
ギュッと七海を抱く腕に力が込められる。
その腕が、何故だか怖くなって。七海は押し黙る。
「ところで婚約者、とは?」
「近いうちに、俺は転勤になります。七海も、連れて行きます。色々とお世話になりました」
「ちょ……!!」
「お言葉ですが」
静かに、透は口を開く。
感情は感じさせないまま。ただ、事実を淡々と語るように。
「ご事情は、星村先生から少しだけご相談を受けています。なので、察するところも多少はあります。
……しかし」
透は、まっすぐに淳を見つめる。
3つ年上の、淳を。
心の奥底まで見透かすような、瞳で。
「貴方は、星村先生の『夢』を知っていますか?」
「……それが?」
「貴方の夢を、星村先生は知っている。だが、貴方は?
もし、貴方が星村先生の夢や願いを知っているのなら。そのように、強引に結婚へと突き進めないはずです。
少なくとも、話し合おうとするはずだ」
淳の身体が強張る。
どうしたらいいか分からない七海は、ただ俯いた。
「……七海ちゃん。俺が口を挟んじゃってごめんな?」
「あ……いえ……」
七海ちゃん。
そう呼ばれただけで、安心してやっと息がつけたように思う。そして、自分が思ったより緊張していることにも気が付く。
「とりあえず、顔色最悪だから安静にしておきな。熱が下がっても、体調が悪いなら夏休みだし無理をしないこと。わかった?」
「……はい」
微笑むと、透は淳を見る。
「部外者が口を出すことではないかもしれませんが、仮にも自称、星村先生の婚約者なら、彼女の体調を考慮してあげてください。塀にもたれかかっている人に、人生の決断を求めるときじゃない。
連絡をしなかったということは、悩んでいたということくらい分かるでしょう?それを体調の悪い時に推し進めようとするのはどうでしょうか?」
「……確かにそうですね」
感情の読み取れない、平坦な声で淳は応える。
「ご迷惑をおかけしました。これからのことは、2人で話し合って決めるので。赤の他人である貴方にご心配をおかけして申し訳ありません」
赤の他人。
そう強調する淳に、七海は眉を寄せる。
どうして、淳は。こんなにも透に対して敵対心を抱いているのだろう?
どうして、こんなに自分を痛いくらいに抱きしめているの だろう?
「いいえ、星村先生は俺にとって大切な人ですから、心配するのは当たり前ですよ」
場違いな程にこやかな笑顔で言われた言葉に、何かを言おうとして踏みとどまる淳。
「星村先生、これ、出張のお土産。今日、渡すの忘れてたから。賞味期間近いから、早めに食べて」
「あ、うん……わざわざありがとうございます」
少し離れた位置に立っている透が差し出した紙袋。
淳の手をどけて、七海は紙袋を受け取るために手を伸ばす。
七海の伸ばした手を掴み、あっと思う間もなく、透の唇が七海のおでこに触れる。
「……え」
「ちょっと熱いな、また熱上がってきたんじゃないか?ほら、早く家に入って」
「――川並さん」
「自分のことを一番に考えろ。まずは体調を治して、それからだ。
そうしたら、その時は」
もう、セーブしないから。
耳元で囁かれた言葉。意味が分からなくて目を丸くする七海に、今にも掴みかかりそうな淳を牽制するように視線を送る。
「これ以上は星村先生の身体に悪い。日を改めてください、彼女の体調を思うなら」
「……七海。また連絡をくれ。今度は、絶対に」
低い低い声に、七海が一瞬身を強ばらせる。それが伝わったのか、繋いでいた手に、そっと力がこめられた。
無性に安心してしまって、ただ黙って頷くしか出来ない七海に、透は手を離して玄関に向かって七海の背中を押した。
「お大事に、七海ちゃん」
それは、今日のこの話は、一旦終了だということを暗に告げた言葉だった。
淳が、何かを堪えるようにジッと2人を見て押し黙っているのを見て、透を見る。
黙って頷かれ、一礼して玄関に入った。
身体も限界だったが、答えが出てない今、淳の言葉は何よりもつらかった。
透の配慮に心の中で礼を言いつつも、今後を考えて熱がまた出そうに感じた。