ACT.10
ACT.10
これは、『恋情』?
それとも。
……――『母性』?
夢を語る淳に惹かれていた時には感じていた胸の高鳴り。
いつから感じなくなっただろう?
淳が自分ではワガママと思っていないワガママを言っても、それを子どもが言っていることと同じように思って受け入れていったのは、いつからだろう?
いつから、七海のワガママを聞いてくれていないのだろう?
してほしいと思うことを言っても、基本は自分主体に考えている淳に、しょうがないなと呆れつつも見守っていた。
たまにくるメールは嬉しい。
けれども、それが恋愛感情からだと感じられなくなったのは、いつからだろう?
それでも、たまに連絡をもらって『七海といたい』と言われれば、嬉しくて別れるなんて思いも消えてしまって。
そうやってズルズルと付き合ってきたように思う。
(……そうやって、付き合ってきたツケがきてるんだ)
熱にうなされて浅い眠りを繰り返し、意識が覚醒している僅かな時間にぼんやり考えるのは淳のことで。
そうやって、恋愛感情もないのに別れればいいと思うのに、別れない一因は『淳の夢を追う姿が好きだから』ということ。
夢にむかって突き進む淳の話を聞いていると、自分も頑張らなければいけないという気になってくる。
そして、そうやって夢を実現するために突き進む淳は、七海の理想だ。
支えたい、と思う自分もいる。
そばで見たい、と思う自分もいる。
色々な感情がぐちゃぐちゃに入り混じり、結局答えが出ない。
バカだな、とも思う。
けれども、すべての物事を物差しみたいに単純に計ることは出来なくて。
結局、また睡魔の波に捕らわれて、悪夢を見るのだった。
(…………暗い)
ゆっくり目を開けると、いつの間にかあたりは夕闇に包まれ始めていた。
熱のせいか汗をよくかいた身体にパジャマが張り付いて気持ち悪い。のろのろと起き上がり、パジャマを脱ぎ捨てタンスから部屋着を出してきて着替える。身体はいつもの体温に戻っているようで、ダルいものの熱が下がったことにほっとした。ベッドにもう一度寝転がると、一瞬何かが光る。
「……?」
ベッドに起きっぱなしの携帯のお知らせランプが、ピカッ、ピカッと光る。
『不在着信3件、Eメール10件』
携帯を開けると、飛び込んでくる着信とメールのお知らせ。
いつまでも、逃げられないことは分かっている。離れているからこそ、薄らいでしまった恋愛感情を、そばにいることで甦ることにかけるか、別々の道を歩むことにするか。
せめて、嫌いになれたなら。
こんなに、着信履歴やメールを見ることに怖がらなくてもいいのに。
なかなかメールを開くことの出来ない七海の目に、メールを受信中のアイコンが飛び込んでくる。
『From 坂田淳
Title 今、家の前に来てる』
受信完了画面に現れた文字に、思わずベッド横の窓から玄関先を見る。
窓が開いた音に気が付いたのか、玄関先にいた男性が顔を上げる。
(……ああ)
やっぱり、恋愛感情がないなんてウソだ。
久しぶりに見る、いつもは自信に満ちた瞳はどこか困ったように力がないのに、その姿を見れば愛しさがこみ上げてくる。
嬉しい。
ただ、その感情が七海の胸を支配する。
「……七海」
「淳、待ってて、今行くから」
慌てて玄関先まで降りていくと、淳はスーツ姿でクールビスなのかネクタイはしめずにカッターシャツだけで鞄を持って立っていた。
少し離れた家の曲がり角まできて、塀にもたれかかる。
熱は下がったが、まだ本調子じゃないらしい。少し動いただけで、身体がだるかった。
「……淳、会社は?」
「定時で退社してきた。
七海から全然返事こないし、今から家に行くってメールしても返事ないし、どうしようかと思った」
「ごめん……あたし、今日熱で早退してからずっと寝てて……」
「大丈夫か?」
「うん」
そっか、と淳は呟くと、視線を一旦下げて、何かを決意したように視線を七海に合わせた。
「俺、本社勤務になったの知ってる?」
「……うん」
「七海、一生に来てくれないか?結婚、してほしいんだ」
「……でも、仕事が……」
目を見て言われた言葉に、即座にイエスと言ってしまいたくなる自分がいる。大切な人からのプロポーズ。女の子だったら、みんな夢見る瞬間だから。
「子育てが落ち着いたら、また向こうで探せばいいだろ?
俺、七海がそばにいなくて毎日どんなに寂しいか分かるか?家に帰っても誰もいねぇし、自分の作った不味い飯ばっかだし。
そばにいて、俺のこと支えてほしいんだ」
そっと淳は七海の両手を握る。キスするように、顔を近づけて吐息とともに思いを呟く。
「……でも」
「愛してる、七海。だから、俺と……」
パン!
「――!?」
静かな周囲に、柏手が一つ響く。
「……そこでストップ、ここは外ですよ?」
すらりとしたスタイル。長めのショートカットは中性的な雰囲気を醸し出している。
しかし、その落ち着いた声は確かに男性のもので。
「……川並先生?」
どうして、というように、目を丸くする七海に、いつも持っている通勤用の鞄に小さな紙袋をもった透が笑う。
(違う)
いつもの透じゃない。
いつものような微笑み。それでも、短い間でも毎日のように一緒にお昼を食べて離れていた距離を縮めていった七海には分かる。
いつもの笑顔じゃない。
何かを押し込めたような、そんな笑顔に、七海は淳の手を放して、透に向かって手を伸ばそうとする。
「熱はどう?……星村先生」
ずき、ん。
七海の胸が、小さく痛む。
出そうになった言葉を閉じ込めて、七海は視線を逸らした。