prologue
――今日は厄日だ。
「ねぇ、星村せんせ?
あたしのこと、キライでしょ?」
「………へ?」
背中に投げかけられた言葉に星村七海は、首を傾げた。
が、その身体が硬くなるのは隠すことが出来なかった。
「いきなり何を言うんですか?
別に、川並先生を……」
「ウソね」
七海の前まで微かに白衣をなびかせ歩いてきて、にっこりと微笑む川並透。
長めのショートカット。切れ長の瞳とスッと通った鼻筋。スレンダーな体型は中性的な雰囲気を作りながら、キャリアウーマンのように『デキる』雰囲気を漂わせている。
現に、何かと忙しい保健医でもほとんど残業することなく退勤しているのを見ると、デキるのも間違いないだろう。
何よりも、この保健医がこの高校に勤務するようになってから、保健室の利用者数が増えたのは その容姿だけではないだろう。仕事が忙しい時にも真摯に耳を傾け、相談を聞いてくれると評判だ。
年齢も24歳という若い保健医は、高校生からすれば年齢も近くて相談しやすいのだろうが。
とっさに嘘をついて作り笑顔を顔に張り付けたが、感情がそのまま出ると初対面の人でも言われるくらいの七海だ。
にっこり微笑まれて自分より背の高い透に見下ろされれば、冷や汗が流れ出す。
「残念だわ……、あたしは星村先生が好きなのに」
「いや、あの」
目の前で、腕を頬に当てて悩ましげにため息をつく透は、女の目から見ても美しい。
が、そんなのは今の七海にとっては、ますます追い詰められる要因でしかなかった。
じりじりと後退していく七海を追い詰めるかのように前進していく透に、本気で七海は涙目になる。
「そんな風に怯えても無駄よ?
あたし、Sだから」
スッと伸ばされた手を避けきれることなく、その手は七海の頬をするりと撫でる。
「……逃げる子は、追いかけたくなるのよね」
ゾクゾクゾクッ!
七海の全身に悪寒が走り、同時に鳥肌がたつ。
あぁ、もうだめだ。
「あぁあああの!
失礼しますっ、絆創膏ありがとうございました」
真っ青になった七海は踵を返して保健室の出口に向かう。
……はずだった。
掴まれた腕。その腕を引かれて、透の胸の中に閉じ込められる。
「……――!?」
爽やかなシトラスの香水の匂い。堅い胸板の感触。
透に抱きしめられたことを理解して、真っ白になった七海に、小さく笑う透。
透は七海の柔らかな腹部と肩に手を回し、耳元で呟く。
「言ったでしょ?あたしは七海ちゃんのことが、だーい好きなの。
だから、キライなままでいさせないわ」
あぁ。神様。
今日は厄日でしょうか?
「じっくり、話し合いましょうね?
な・な・み・ちゃ・ん?」
仕上げとばかりに耳元で息を吹きかけられ、くらり、と半分意識を飛ばしてしまう。
半ば力の入らなくなった七海の身体を軽々と抱きかかえ、机のよこにあるパイプ椅子に座らせると、透はご機嫌でインスタントコーヒーを淹れる。
内心がっくりと。内心だけじゃなく、表情にもこぼれ落ちながら。
七海はめまいを止めることが出来なかった。
――今日は厄日だ。