理想
牢は、理想に近かった。
狭い。
硬い。
冷たい。
それだけだった。
レディアナは、まず床に触れた。
石だった。
不変の物質。
努力を嘲笑わない物質。
「……いい」
彼女は呟いた。
湿った声だった。
鉄格子の向こうで、衛兵が見ていた。
罪人を見る目だった。
レディアナは、
その視線を、
重量として認識した。
軽い、と判断した。
腕立て伏せを始めた。
一回。
石は硬かった。
だが、
逃げなかった。
二回。
冷たさが、
皮膚を削った。
三回。
血が、
滲んだ。
レディアナは笑った。
湿っていた。
血はいい、と彼女は思った。
血は、
内側が、
外側に、
触れることだ。
存在の、
証明だ。
十回。
止まった。
弱い、と彼女は思った。
だが、
ゼロではなかった。
それだけで、
十分だった。
夜が来た。
暗闇は、
平等だった。
美しさも、
身分も、
断罪も、
すべてを奪った。
残ったのは、
重さだけだった。
レディアナは、
自分の腕に触れた。
硬かった。
まだ、
理想ではない。
だが、
嘘ではない。
「……坂田」
彼女は、
自分の名前を呼んだ。
返事はなかった。
当然だった。
坂田健太郎は、
もう、
存在しない。
存在しているのは、
レディアナだった。
だが、
筋肉は、
知っていた。
この収縮を、
この痛みを、
この祈りを、
知っていた。
「……はは」
湿った笑いが、
闇の中で、
形を持った。
数日後、
変化が起きた。
食事が、
増えた。
パンが二つ。
スープが多い。
レディアナは理解した。
身体が、
要求している。
世界が、
供給している。
因果は、
成立していた。
食べた。
すべて。
噛んだ。
祈るように。
さらに数日後、
衛兵が話しかけてきた。
「……なぜ、鍛えている」
レディアナは、
少し考えた。
なぜ。
難しい質問だった。
「戻るためです」
彼女は言った。
「どこへ」
レディアナは、
自分の手を見た。
黒い。
硬い。
だが、
まだ、
遠い。
「まだ、存在していない場所へ」
衛兵は、
理解できなかった。
だが、
それでよかった。
理解は、
重量ではない。
季節が、
少しだけ、
動いた。
ある朝、
レディアナは、
腕を曲げた。
隆起した。
はっきりと。
以前より、
明確に。
そこに、
山があった。
小さな、
だが、
否定できない、
山。
レディアナは、
しばらく、
それを見ていた。
触れた。
現実だった。
「……はは」
湿った笑いは、
もう、
少しだけ、
乾いていた。
その日、
王子が、
再び、
牢を訪れた。
彼は、
言葉を失った。
鉄格子の向こうにいたのは、
断罪された令嬢ではなかった。
何かを、
作っている存在だった。
物語の外で、
物語を無視して、
ただ、
収縮を繰り返している存在だった。
「……お前は」
王子は言った。
レディアナは、
振り返った。
笑った。
湿っていた。
だが、
以前より、
強かった。
「はい」
彼女は答えた。
「成長しています」




