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ある集まり

作者: 雉白書屋

「でさ、今度――おっと……」

「ふふっ」

「じゃあ、また……」


 ――まただ……。みんな、いったい何を話しているんだ……?


 会社勤めのとある男。彼は最近、同僚たちの様子が妙に変わったことに気づいていた。何やら楽しげに笑いながら、しかしこちらを避けるようにコソコソと囁き合うのだ。

 最初は三人ほどだった。昼休みになると休憩室の隅に集まり、周囲の視線を気にしながら小声で談笑を始める。少し気になった彼は、軽い調子で「何の話?」と声をかけたが、返ってきたのは曖昧な笑みと、はぐらかし。

 もともと興味も薄く、そのときは「まあ、いいか」と気に留めなかった。しかし日が経つにつれ、その輪はじわじわと広がっていった。業務中でも彼らは互いに目くばせをし、どこか含みのある笑みを交わす。その表情には、明らかに何かを共有している者同士だけが持つ親密さと優越感が滲んでいた。


 ――何かを企んでいるに違いない。


 自分が除け者にされているからか、彼の胸にはそんな疑念がじわりと湧き上がった。しかし、そのやっかみめいた思いは次第に確信へ、さらに得体の知れない恐怖へと変わっていった。

 街を歩けば、見知らぬ人々も同じように小さな円を作り、頭を寄せて囁き合うような光景を目にするようになったのだ。あの笑み、あの目配せ。職場で見たものとまるで同じだった。

 これは偶然か? 単なる気のせい? 一種の被害妄想かもしれない――そう言い聞かせようとしても、胸の奥ではざわざわと不安が蠢いていた。

 そしてある日、ついに彼は行動した。

 昼休み前、誰もいない静まり返った休憩室。テーブルの裏に小さなボイスレコーダーをガムテープで貼りつけたのだ。そう、盗聴である。


 ――いや、これはさすがにやりすぎか……?


 仕掛けた直後は妙な高揚感に包まれていたが、席に戻る頃には手のひらが汗ばみ、背筋は冷えていた。

 だが結局、彼はその不安を押し殺した。数時間後、休憩室が空いた瞬間を見計らい、そっとレコーダーを回収してポケットに押し込んだ。

 念のため、再生は帰宅してからにした。


『――で、今夜なんだけど』

『かなり集まったな。この調子なら――』

『順調だな。それで――』

『――ああ』


 ノイズ混じりではあったものの、会話の内容はおおむね理解できた。そしてその上で、彼は困惑した。

 どうやら、連中は何らかの計画を着々と進めているらしい。メンバーは会社の外にもいるらしく、日ごとに増えている。ただ――


『じゃ、続きはまた今夜。夢の中でな』


「……夢?」


 彼は首をひねり、呆然と呟いた。

 すべて、夢の話だったのか……? いや、そんなはずがない。中高生じゃあるまいし、いい大人が夢の話で盛り上がるだなんて……。

 きっと、何かの隠語に違いない。作戦名や合言葉、秘密結社の名前とか……。

 彼はそう考え、翌日も盗聴を続けた。

 しかし、録音を重ねた結果、認めざるを得なかった。連中が言う『夢』とは隠語ではない。本当に、寝て見る夢のことなのだ。だが同時に、また奇妙な話が浮かび上がった。どうやら連中は夢の中で会っているようなのだ。


「他人と夢を共有……? そんな馬鹿な……」


 そう吐き捨てるように言いながらも、胸の奥では奇妙な期待が芽生え始めていた。

 その夜から、彼は毎晩、同僚たちと夢の中で会えるよう、強く念じて眠るようになった。

 名前を呪文のように繰り返し唱え、くすねた相手の私物を握りしめ、自分でもそっちの気があるのではないかと思うほど、姿形を頭の中で綿密に思い描いた。

 しかし、何度試みても何も起こらない。

 その間にも、例の集まりは着実に勢力を増していった。通勤電車、公園、駅前広場――至るところで、顔を寄せて囁き合う人々を目にするようになり、そして時に嘲笑的な視線を向けられた。『知らないんだ』『まだやってないんだ』とでも言いたげな視線を。

 彼は一度、何食わぬ顔でそのグループに紛れ込もうと試みたこともあった。だが、近づくだけで警戒され、彼らはまるで魚の群れのようにすばやく離れていった。

 いったい何をやっているのか。知りたいのにわからず、悶々とした日々だけが続いていき、そしてついには――。


「おはようござい――えっ?」


「ああ、おはよう」

「おはよー」

「おはようございます……ふふっ」


 ある朝。オフィスに足を踏み入れた瞬間、全員の会話がぴたりと止んだ。そして、視線が一斉にこちらへ向いたかと思えば、互いに目配せを交わし、ほくそ笑む。つい先ほどまで楽しく会話していたであろうことは、容易に察しがついた。


 ――もう無理だ。知りたい……知りたい……!


「なあ……なあって。教えてくれよ。お前ら、夢で会ってるんだろ? おれにもそのやり方を教えてくれよ!」


 昼休み、ついに耐えきれなくなった彼は声を震わせて懇願した。


「夢……?」

「何言ってんだ?」

「なあ、招待しても――」


「しっ! ふふっ」

「なんの話かわからないな。ははは」

「あ、ああ、ははは」


「ごまかすなよ……なあ、頼むよ。なあ!」


「ふふっ」

「ははっ」


 だが、誰も教えてはくれなかった。疎外感は募る一方だった。それどころか、テレビでもあの含みのある笑みを見かけるようになった。タレント、ニュースキャスター、スポーツ選手。それから――


『会見は以上です。最後に一つ、大切なお知らせを……いや、やっぱりこれは次の機会にしましょうか』


 総理大臣までもが、あの意味深な笑みを浮かべたのだ。


「あああああああっ!」


 その瞬間、彼はとうとう叫び声を上げた。


「なんだよ! なんなんだよ! マクシィ? ハウスクラブ? レッドスカイ? 招待制っていうなら、誰が最初に始めたんだよ! 誰が広めたんだ! なんでおれには誰も声をかけてくれないんだ……!」


 叫び、髪を掻きむしり、部屋中をめちゃくちゃにひっくり返した。何かが起きる。始まる。いや、もうとっくに始まっているのだ。だが自分がそれが何かを知るのはいつなのか。終わりか。終わりのときなのか。そのとき、仲間外れの自分はどうなるのか。


「あがっ、かっ、かっ……」


 果てに、もがき、喉を掻きむしり、彼は目を閉じた。そして――。


「ここは……ここはまさか……」


 気がつくと、彼は見知らぬ都市に立っていた。白磁の塔が立ち並ぶ広大な街。空には鮮やかな虹色の帯が広がっている。現実では見たことのない鮮烈な色彩を放つ花々が咲き誇り、風が甘い香りを運ぶ。宇宙生物のような奇妙で愛らしいペットを連れ歩く人々。露店はまるで宝石箱をひっくり返したように所狭しと軒を連ね、匂いだけで思わず涎が出るほど。

 遠くには、まだ建設途中の巨大な建物が見える。おそらく、クラフトゲームのように皆で理想の世界を創っているに違いない。人々は誰もが微笑み、自由で幸福そうに暮らしている。まさにここは――






「自殺……ですかね」

「そのようだな。電源コードで首吊り。侵入の痕跡はなし」


 昼下がり。彼の部屋で現場検証を進める刑事たちは、低い声でそう言った。


「隣の部屋の住人の話では、昨夜、怒鳴り声が聞こえたそうです」

「ゲームでもやってたのかねえ」


「ですかねえ。それらしい機器は見当たりませんが……」

「スマホだよ。なんか流行ってんだろ。知らねえけどな」


「かもしれませんね。それにしても……」

「ああ、初めて見るな。こんな穏やかな顔は」


「ええ。まるでいい夢でも見ているような」

「それか、天国にでも行ったのかもな。はは、なんてな」


「天国、ね……ふふっ」

「どうした?」


「いや、なんでもないです」

「なんだよ、気になるじゃねえか。……そういや、最近よく見るな。今のみたいな含みのある顔……」

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