第61話 リリィのスキル
「お前たちはもう朝日を拝む事はないだろう。覚悟しろ!」
俺の静かな宣告は、死刑執行の合図だった。床を蹴った俺の姿は、常人の動体視力では捉えられない。強化されたSPDは101から303へと跳ね上がり、もはやそれは移動ではなく消失だった。
「どこへ消え――ぐふっ!?」
最初に動いたのは、毒の短剣を持つリーダー格の男の右隣にいた鎖鎌使いだった。変幻自在の間合いを持つ武器は、集団戦において厄介極まりない。だから最初に潰す。
男が俺の姿を見失い狼狽したその瞬間、俺は既に彼の背後にいた。肘、膝、そして首の付け根。人体の急所三点を流れるような動きで的確に打つ。骨が軋む鈍い音と共に、男は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。ピクリとも動かない。
「なっ……! キースが!?」
「馬鹿な! いつの間に後ろへ!?」
動揺が走る。その隙を見逃すほど今の俺は甘くない。
二人目、双剣使いの男が仲間を庇うように前に出る。その動きに合わせて、俺は床に転がっていた鎖鎌の分銅を蹴り上げた。
「しまっ――」
分銅は正確に男の顔面を捉え視界を奪う。ほんの一瞬の硬直。だが、俺にとっては永遠にも等しい時間だ。踏み込みと同時に男の双腕を掴み、十字に交差させる。そのまま全体重を乗せて圧し折った。
「ぎゃああああああ!」
アジトの地下に、初めてまともな悲鳴が響き渡る。武器を持つことすらできなくなった男を壁際に蹴り飛ばし、俺は残る二人へと視線を移した。
リーダー格の男と、幻術か精神攻撃を得意とするのであろう、印を結ぶような独特の構えをした男。わずか数秒で仲間二人が戦闘不能になった光景を目の当たりにし、彼らの顔からは完全に余裕が消え失せていた。
「て、てめぇ……! 一体何者だ……!」
リーダー格の男が恐怖を押し殺した声で叫ぶ。
その震える短剣の切っ先は、もはや俺ではなく縛られたリリィの方へわずかに向き始めていた。人質を取ろうという浅はかな思考。
「それをやれば、お前はもっと苦しんで死ぬことになる」
俺の凍てつくような声に男の動きが止まる。その隙に、もう一人の幻術使い攻撃を仕掛けた。
「我らがギルドに仇なす愚か者め! 悪夢の中で悔いるがいい! 幻惑の牢獄!」
男の手から放たれた紫色の靄が、俺を包み込もうと迫ってくる。視覚や精神に作用するタイプの厄介なスキルだ。だが。
「無駄だ」
俺にはスキル状態異常無効がある。精神干渉系のデバフも、このスキルが完全にシャットアウトする。靄は俺の体に触れることなく霧散し、術者の男は信じられないといった表情で目を見開いた。
「な、なぜ効かん!? 俺の幻術が……!」
「お前たちの物差しで、俺を測るな」
俺は幻術使いへと歩を進める。男は恐怖からか、腰を抜かして後ずさった。
「ひ、来るな! 来るなぁ!」
「リリィを攫ったのはお前たちか?」
「そ、そうだ! だが、俺たちは命令に従っただけで……!」
「言い訳は聞きたくない」
俺は男の目の前でしゃがみ込むと、その顔を掴んで壁に叩きつけた。
ゴッ!
鈍い音と共に男は意識を失い、ずるずると壁を伝って崩れ落ちる。これで残るは一人。リーダー格の男だけだ。男は短剣を握りしめ、脂汗を流しながら絶望的な表情で俺と、倒れた仲間たちを見比べていた。
「化け物め……! たかが子供一人のために、なぜ……!」
「子供一人だと?」
俺の声のトーンが、さらに一段階低くなる。
「お前たちにとって、この子はただの“子供一人”かもしれないな。だが、俺にとっては……あの子たちにとっては、かけがえのない家族だ。お前たちのようなクズに、その価値が分かるはずもない」
「ふ、ふざけるな! こいつはただの子供じゃない! 聖なる源泉(MPドナー)のスキルを持つ、我らギルドの至宝だ! 金を生む打ち出の小槌なんだよ!」
追い詰められた男が、ついにリリィが攫われた理由を口にした。
聖なる源泉……MPドナー。おそらく、他者にMPを譲渡できる、極めて稀有なスキルなのだろう。暗殺者ギルドは、その力を利用するためにリリィを狙った。魔法やスキルを多用する彼らにとって、無限のMP供給源は喉から手が出るほど欲しい存在だったに違いない。
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で静かに燃えていた怒りの炎が、再び激しく燃え上がった。
子供の優しさや、その特異な能力を、自分たちの欲望のために搾取する。その外道な考えに、吐き気すら覚えた。
「……なるほどな。それで、この子をどうするつもりだったんだ? 一生、暗い地下室でMPを吸い上げられ続けるだけの道具にするつもりだったのか?」
「そ、それがどうした! 才能を持つ者は、持たざる者のために奉仕するのが当然だろうが! こいつの力があれば、我々の組織はさらに大きくなる! そのためなら、多少の犠牲は……」
男が言い終わる前に、俺は動いていた。
転移スキルを発動。男の目の前から俺の姿が消え、次の瞬間には彼の真後ろに立っていた。
「……え?」
男が振り返るよりも早く、俺は彼が握る短剣の手首を掴み捻り上げる。
「ぐあああああっ!」
骨が砕ける音と共に短剣が床に落ちる。続けざまに、もう片方の腕も同じように破壊した。男は両腕をだらりとさせ、痛みと恐怖で顔を歪ませる。
「お前の言う“多少の犠牲”とやらを、今からお前自身が味わうことになる」
「ま、待ってくれ! たのむ! 命だけは……! 金ならいくらでもやる! ギルドの情報も……!」
「いらない」
俺は命乞いをする男の鳩尾に、容赦なく鉄槌を叩き込んだ。男の体が「く」の字に折れ曲がり、胃液を吐き出しながら床に倒れ伏す。意識はあるが、もはや身動き一つ取れないだろう。
部屋は静まり返った。四人の幹部クラスは、誰一人として死んではいない。
だが、全員が二度と暗殺者として活動できないほどのダメージを負っている。それが、俺なりの落とし前だった。
俺は男たちに一瞥もくれず、静かにリリィの元へと歩み寄った。彼女はぐったりとしているが、幸い目立った外傷はないようだ。おそらく薬か何かで眠らされているのだろう。俺は懐からナイフを取り出し、彼女を縛り付けていた縄を手早く切断した。
自由になった体を支え、そっと抱き上げる。子供特有の温かさが腕に伝わってきた。その小さな体は、恐怖からか小刻みに震えている。
「……ん……」
俺の腕の中で、リリィが小さく身じろぎし、ゆっくりと目を開けた。焦点の合わない瞳が、俺の顔を捉える。
「……おにい……ちゃん……?」
か細く、掠れた声。状況が理解できず、まだ夢の中にいるかのような表情だ。
「ああ、そうだ。迎えに来たぞ、リリィ。もう大丈夫だ」
俺は、自分でも驚くほど優しい声が出たことに気づいた。さっきまでの殺意に満ちた自分が嘘のようだ。
俺の言葉を認識した瞬間、リリィの瞳から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
「お兄ちゃん! お兄ちゃんだぁ……! うわあああああん!」
小さな腕が必死に俺の首に回される。恐怖と、孤独と、そして再会できた安堵。全ての感情がごちゃ混ぜになった泣き声が、静かな地下室に響き渡った。
「怖かった……! 怖かったよぉ……!」
「うん、怖かったな。よく頑張った。もう大丈夫。俺がここにいる」
俺はリリィの背中を優しく撫でながら、何度も何度も言い聞かせた。冷え切っていた俺の心が、リリィの涙で少しずつ温かさを取り戻していくのを感じる。俺が守りたかったのは、この笑顔と、この温もりだ。そのために俺は悪鬼にでもなれる。
リリィをしっかりと抱きかかえ、俺は部屋を後にした。
扉の外では、ブランクとプリンが心配そうな顔で待ち構えていた。俺の腕の中で泣きじゃくるリリィの姿を見て、二人の顔に安堵の色が浮かぶ。
「ムクノキ殿……! 無事だったか!」
「リリィちゃん!」
プリンが駆け寄ってきて、涙目でリリィの頭を撫でる。
「よくやった。詳細は後で聞く。今はここから脱出するぞ」
ブランクが頷き、先導して階段を上がっていく。
地上に出ると、空が白み始めていた。夜の闇は終わりを告げ、新しい一日が始まろうとしている。アジトの一階は、ヴァイスによって完全に沈黙していた。彼は壁に寄りかかり、腕を組んで俺たちを待っていた。
「終わったようじゃのぅ。思ったより早かったな、主よ」
その表情はいつも通り不敵だったが、その瞳の奥に安堵の色が浮かんでいるのを、俺は見逃さなかった。
「ああ、終わった。帰ろう、みんなの所へ」
帰る頃には朝日がヴェントの街を照らし始める。俺は腕の中でようやく泣き疲れて眠ってしまったリリィの寝顔を見つめながら、固く誓った。
おまたせしました。リアルが多忙でしたが少し落ち着いたので続きをようやく書く事ができました。記憶が曖昧な部分がありますが、頑張ります。




