第七十九話:決着
――これが、「強さ」か。
打ち倒された凛夜とカガリは、地を這い、ようやく立ち上がろうとする。
だが、指先一つ動かせない。力は尽き、意識すら朧だ。
冥道――芦屋の血にして、修羅へと堕ちた男。
その歩みは、静かで、恐ろしいほどに揺るぎなかった。
「……ここまでか」
冥道は、呟いた。
その声音に、憎しみも怒りもなかった。
あるのは、ただ空虚。長き因縁、復讐、絶望の果てに立つ者の、終わりの声。
「これですべてが終わる……我の復讐も、この因果も……全て……」
凛夜は、立ち上がろうとする。しかし膝が砕けた。
カガリも、地を這おうとするが、思うように動かない。
(くっ……ここまでなのか……)
(凛夜……儂は……儂は……!)
ふたりの心が、闇に呑まれかけた、その時――
「……なに……やってやがる……バカ弟子ども……」
それは、虫の羽音ほどに小さく、かすれた声だった。
けれど、誰よりも強く、ふたりの魂に響いた。
「何を……見てやがった……」
美奈子が振り返る。
その声の主――紅明は、血に塗れたまま、意識を取り戻していた。
喋れる状態ではない。生きているのが不思議なほどの重傷。
それでも、紅明は「生きる」覚悟を、声に変えて放った。
「言った……筈だぜ……強さってのはな……覚悟だ……想いの……輝きだ……」
その言葉に、凛夜とカガリの脳裏に、数多の記憶が蘇る。
修行の日々。
師の背中。
そして、紅明が遺した教え。
「……覚悟を決めろ。絶対に……負けないって、そう決めたなら……!」
紅明は、再び沈黙する。
美奈子が手早く脈を診る。
「……大丈夫、生きてる……!」
紅明は、まだ生きている。
その命の輝きが、ふたりの心に灯を灯した。
(そうだ……何を諦めようとしてたんだ、俺は……!)
(儂は、また……同じ過ちを繰り返すところじゃった……! もう……二度と、諦めぬ!)
冥道は、そのふたりの変化を、黙って見ていた。
その瞳の奥――一瞬、何かが揺れた。
それは、かつて人であった者が、微かに抱く感情。
懐かしさか、羨望か、それとも……。
だが、冥道はそれを押し殺し、呪を紡ぐ。
「貴様らの“想いの輝き”とやら……見せてみるがいい」
その声が落ちると同時に、冥道の手が虚空に印を結ぶ。
「――下天燻りて天を望む。覇道渡りて、修羅へと堕ちる。
六道九相巡りて朽ちよ」
冥道の周囲に、黒雷が奔り、呪紋が空間を灼く。
その一語一句が、空間の理を裂いていく。
対して、凛夜とカガリも立ち上がった。
瞳は恐怖を超え、信念で燃えていた。
ふたりは声を揃えて、術を詠じる。
「――陰を転じて陽と成す、陽を転じて陰と成す。
木が燃ゆり、土を育み、金を生み出し、水が溢れる!」
冥道が、力ある言葉を放つ。
「――冥天外道ッ!!」
黒い光が咆哮のようにほとばしり、地を裂き、空を呑み込む。
この世ならざる力が、ふたりを襲う……その刹那。
「――七天滅殺ッッ!!」
凛夜とカガリの術が解き放たれた。
七つの理を司る術式が、天より降臨するかの如く冥道を包み込む。
凛夜の陽の気、カガリの陰の気が完全に調和し、ひとつの大術式として完成した瞬間――
光が、爆ぜた。
けれど、それは破壊の閃光ではない。
世界そのものを「浄化」する、静かな力だった。
空間が歪み、色彩が消え、音が止む。
すべてが収束し、静けさが訪れた。
そして、光が収まった。
そこには、凛夜とカガリが、並び立っていた。
ふたりの息は荒く、足元はふらついている。
その前方――血に伏している男が一人。
冥道だった。
もはや立ち上がる力も、術を紡ぐ力も、残ってはいない。
その瞳には……初めて、「終わり」が映っていた。
けれど、それは敗北ではなかった。
彼の中に生まれた、かすかな――“問い”。
冥道の瞳が、空を見上げた。
(……強さとは、覚悟……か)
(我が捨てたはずのものが、貴様らにはあったのか……)
凛夜とカガリが、ゆっくりと冥道に歩み寄る。
その心に、恐れも、憎しみもなかった。
あるのは、ただ――“人としての想い”だけ。
ここに、「決着」は訪れた。
だが、物語は終わらない。
冥道の中に残った、最後の“何か”。
それはやがて、運命の奇跡を導く鍵となる――




