第七十五話:屍を越えてゆけ
風が唸り、木々がざわめく。
久遠凛夜たちは、山奥にある古寺――すなわち紅明が待つ決戦の地へと、ただひた走っていた。
かつて十人いた仲間は、今や四人。
それぞれが冥道の仕組んだ妖魔の迎撃を買って出て、後方に残った。
生きているか、命尽きたか――霊力の気配が残る者もいれば、すでに消えた者もいる。
凛夜は、唇を噛み締めすぎて血を滲ませていた。
「……クソッ……!」
その声を聞き、並走するカガリが凛夜の背にそっと手を置いた。
「凛夜よ……落ち着くがよい。あやつらの想い……儂らが無駄にしてはならぬ」
「……ああ、分かってる……でも……っ」
「ならばよい」
カガリの声は、老いた巫女のように穏やかでありながら、凛夜の焦燥をしっかりと受け止めていた。
二人の前方、山々を覆う瘴気の渦。その中心に、異界の門がある。
そこからは、紅明の火焔の気配と、それを圧する邪悪な気――冥道の力がぶつかり合っていた。
「じいさん……死ぬなよ。今、行く……!」
そう呟く凛夜の眼差しに、決意の光が宿る。
残された四人――
久遠凛夜。
久遠カガリ。
癒しの術に長けた逢魔の女性陰陽師、日下部美奈子。
そして、かつて逢魔対妖部署を率いた歴戦の陰陽師、現副長官・忌部楓馬。
白い狩衣を翻しながら、楓馬が口を開く。
「凛夜、カガリ、美奈子。異変を感じたら即座に言うがよい。今は、お主たちが決戦の要じゃ。力を無駄にするな」
「はい、……私たち、絶対に!」
「うむ、心得た、忌部殿」
美奈子とカガリが応える。
そしてその瞬間――空気が震えた。
咆哮と共に、道を塞ぐように現れたのは、巨大な異形の鬼。
全身を赤黒い筋肉で覆い、額には不気味に蠢く“第三の目”。
二本の角からは瘴気が放たれ、周囲の霊気を腐らせていく。
その名は――暴乱鬼。
凛夜は歯を食いしばる。
「やっぱり……すんなりとは行かせてくれないか……」
すぐさま三人が臨戦態勢に入ろうとしたその時――
楓馬が、静かに一歩、前へ出た。
「こやつは儂が相手をする。お主らは、先へ行け」
「何を言う、楓馬殿! これほどの鬼を一人でなど……!」
カガリの声に、楓馬は振り返らずに言った。
「老いたとはいえ、儂はかつて逢魔対妖部署の長。暴れたお主を止めたのは誰だったか、忘れたとは言わせんぞ?」
カガリは言葉を失った。
かつて自らが妖と化し、暴走した過去――それを止めた者の顔が、目の前にあった。
「……ゆけい。お主らの戦場は、もっと先にある」
「……そして、死ぬでないぞ。必ず、生きて帰れ」
楓馬は振り返らず、静かに印を結ぶ。
暴乱鬼が唸りを上げた瞬間、周囲の霊気が轟音と共に爆発した。
結界の端が火花を散らし、空間そのものが歪む。
「……副長官……武運を。御免!」
凛夜が叫び、走り出す。
カガリも、静かに一礼し、彼に続いた。
「忌部殿……儂は、忘れぬぞ」
「楓馬さん、絶対に……生きてくださいね」
美奈子もまた、涙を堪えて走り出す。
三人がその場を去った直後、楓馬はようやく目を閉じ、微かに笑った。
「……勝てよ。そして……次世代よ……生き抜け」
背後で、暴乱鬼が咆哮を上げた。
空が割れ、大地が軋む。
楓馬は、最後の戦場へと歩を進めた。




