第七十四話:両雄激突
風が、血の匂いを運んできた。
霊脈の乱れが集束する、山奥の古寺のさらに奥――
この世と異界を繋ぐ「門」の封印地点。
そこに、一人の男がいた。
安倍紅明。
かつては蒼き風を自在に操り、千年を越えて名を刻んだ大陰陽師。
今は、霊薬の効力が尽き、老いた身体に鞭を打って立っている。
「……くっ、言うことを聞け、このポンコツの身体が……!」
紅明は膝をつきそうになるのを、拳で地を打ち、耐えた。
霊薬の副作用は激しい。
若返りの力を振り絞りすぎた代償が、骨と肉と臓腑を蝕んでいた。
だが、彼の結界は、未だ門を抑えている。
わずかに、不安定ながらも異界の門が揺れを止めていた。
「……縁みたいには、いかねぇな……だが、これで少しは……時間を……」
紅明は苦笑した。
その顔には、血と汗、そして無数の戦いの記憶が刻まれている。
その時――空間が裂けた。
「……ッ!? 空間転移……!」
現れたのは、黒衣の男。
その瞳は血のように紅く、存在自体が瘴気をまとっていた。
「フフ……随分と苦しそうではないか、紅明」
その声に、紅明は顔をしかめた。
「……ちっ。冥道……てめぇ、空間転移の術まで……」
「もはや、人としての枷は捨てた。時間も空間も、我の歩みに障壁ではない」
冥道はかつての面影を残しながらも、もはや“人”とは呼べぬ存在だった。
人の理を超え、ただ“力”のために存在する者。
紅明は、痛む胸を押さえながら立ち上がる。
「……抜かせ。今の俺でも、お前を捻じ伏せるくらいはできる」
冥道は冷ややかに目を細めた。
「……哀れだな。老いを引きずり、死にかけの体で門を守るなど、何の意味がある?」
「意味……?」
紅明は、短く笑った。
「あるさ。あの門が開いたら……今の妖魔どもなんか、序の口。
本物の“地獄”が、日本中を食い尽くす。
なら――俺の命ごと、押さえ込んでやるよ」
「……まだそんな幻想を抱いているのか、“人間”よ」
冥道の声に、僅かに痛みが混じる。
「何も守れぬまま、あの時代は終わったのだ。縁も、宗雅も、お前自身も。
それでも、なお“守る”と口にするか?」
紅明の目が、細く鋭く光った。
「守れなかったから、今度こそ守りてぇんだよ」
冥道は一歩、足を踏み出した。
周囲の気配が瞬時に変わり、瘴気が荒れ狂う。
「ならば――見せてもらおう。千二百年越しの、決着を」
紅明もまた、空気を裂くように指を振るい、術式を起動する。
「上等だ……冥道! お前の幻想もろとも、この風で吹き飛ばしてやる!」
結界が軋み、地鳴りが起こる。
空が鳴動し、風が吠え、瘴気が爆ぜる。
――激突。
ここに、二人の獣が咆哮を交わす。
安倍紅明、最後の意地。
芦屋冥道、失われた魂の代償。
1200年の因縁が、今、火花を散らす。




