第七十三話:冥道 ―動く―
――空気が、変わった。
凛夜とカガリが逢魔に戻り、粗方の準備を終えたのは、、夜明け前のことだった。
いつもは静謐なその庁舎に、奇妙な熱が満ちていた。
誰もが感じ取っていた。
近づく決戦の足音を。
世界の終わりか、それとも救いの始まりか――分岐の刻を。
凛夜たちが情報共有室に入ったときには、既に逢魔の中枢が動いていた。
各班が構成され、それぞれの任務が決められていた。
一つは、逢魔本庁を守る防衛班。
冥道がこの砦を放置するはずがない。必ず、陽動あるいは殲滅を狙ってくる。
この地を落とされれば、現代陰陽師の“柱”は潰える。ならば、守り抜くしかない。
そしてもう一つは、冥道の元へ向かう進撃班。
こちらは、凛夜とカガリを中心とした少数精鋭。
冥道が直接従える妖魔たち――それらに対抗するには、並の兵では足手まといとなる。
選ばれたのは、異能・呪術において傑出した者たちだけだった。
「……冥道の目的は、久遠凛夜だ」
上層部の一人が、低い声で言った。
「凛夜の血と力を取り込み、自らを完全体とする……それが、やつの計画の中核だ」
その言葉に、重たい沈黙が落ちる。
本来であれば、凛夜は決して近づけてはならない存在だ。
だが、凛夜抜きで冥道の野望を砕けるかといえば――答えは否だった。
これは賭けだ。
一国の命運をかけた、最後の勝負。
準備室では、最後の確認作業が続いていた。
呪符、霊薬、護符、式具、そして特別製の霊刀。
戦いに耐えうる装備を整え、それでもなお、不安は消えない。
そんな中で、凛夜がゆっくりと振り返る。
仲間たちの顔を順に見つめながら、静かに問う。
「……みんな、準備はいいか?」
カガリが真っ直ぐに凛夜を見返し、重みのある声で答えた。
「うむ。儂らの手で、決着をつけるのじゃ。もはや、退く道などない」
他の者たちも、それぞれに覚悟を示した。
「凛夜、信じているぞ。お前の力と、想いを」
「我々が、冥道の元へと必ず届ける。道は任せろ」
「凛夜さん、カガリさん――負けないでくださいね!」
「わたしたちの術力、全部使ってください。先輩!」
言葉は交わされたが、もはや心は一つだった。
凛夜は深く息を吸い込み、小さく頷く。
「……行こう。終わらせるんだ、すべてを」
「「応!!」」
仲間たちの声が、決意を乗せて響き渡る。
最終決戦の火蓋が、今、切って落とされた。
* * *
――その頃、遥か離れた漆黒の空間にて。
虚ろな空間に、一人、冥道が佇んでいた。
まるで石像のように動かず、ただ深い沈黙に包まれていた。
だが、次の瞬間。
――朱の瞳が、ゆっくりと開かれる。
「……来るか。逢魔の者ども……」
その声は、地の底から這い上がるように低く、不吉に響いた。
冥道は、口元をわずかに歪めた。
「来るがいい……久遠凛夜。
お前が来ることを、俺は待ち望んでいた。
お前の血、お前の力――お前の“宿命”を喰らって、俺は完成するのだ」
その声には、狂気だけでなく、どこか哀しみに似た色も宿っていた。
「そして……俺の復讐もまた、果たされる。
裏切られ、奪われ、嘲られ、貶められたこの“宿命”に、終止符を打つためにな」
冥道はゆっくりと笑い出す。
その笑みは静かに、やがて哄笑へと変わっていく。
「フフフ……フハハハハハッ……!」
朱に染まるその瞳は、もはや人のものではなかった。
だが――その奥に、わずかに揺れる人間の“情”が、確かに残っていた。




