第七十二話:決戦前夜、ふたりの誓い
決戦の刻は、刻一刻と迫っていた。
凛夜とカガリは、国営陰陽機関「逢魔」の本拠地へと戻っていた。
いつもの喧騒は薄れ、隊員たちは皆、言葉少なに持ち場へと散っていた。
緊張の色が、空気にさえ滲んでいた。
静かな倉庫の中、二人は黙々と準備を進めていた。
呪符、霊薬、封印具。斬魔の刃、破妖の香、五行の印。
選び抜かれた道具の数々が、木箱の中から手際よく並べられていく。
「……凛夜、大丈夫かの?」
手元を動かしながら、カガリがふと問いかけた。
その声は柔らかく、それでいてどこか、深い思いが滲んでいた。
凛夜はふっと目を細めて笑った。
それはどこか少年のような、安らいだ笑みだった。
「ああ。俺は平気だ。……お前こそ、無理はするなよ? 辛くないか、過去のこと」
手を止めず、だがその言葉には確かな温もりがあった。
カガリはその問いに一瞬、表情を曇らせ――
やがて、小さく笑った。
「辛くないと言ったら……嘘になるのう。じゃがな、今の儂にはお主がおる」
カガリはゆっくりと顔を上げ、凛夜をまっすぐに見つめた。
「お主は儂を、受け入れてくれた。過去の罪すらも、全て。それだけで、儂は……救われたのじゃ」
「……カガリ」
カガリは語る。平安の世、癒しの巫女であった日々。
冥道の罠に堕ち、人を喰らう妖魔となった忌まわしき過去。
紅明、晴明――そして宗雅に命を狙われ、封印されたこと。
「……たとえ冥道が糸を引いていたとしても、儂が罪を犯したことに変わりはない。
晴明たちが儂を祓おうとしたのも、当然のことじゃ」
「でも、それでも――宗雅はお前を封印する道を選んだんだよな」
凛夜がぽつりと呟く。
カガリは、静かに頷いた。
「うむ。あやつは、最後に儂の瞳を見て……泣いてくれた。
『お前を祓うなどできぬ』と、儂のために、涙を流してくれたのじゃ。
いつか、お前を救う者が現れますように――そう言って、のう」
カガリは目元をぬぐい、照れくさそうに笑う。
「……そして儂を救ってくれたのが、宗雅の子孫とはの。
これは、奇跡というものかもしれんな」
凛夜もまた、微笑を返す。
「久遠宗雅……俺も一度、会ってみたかったな」
そう言って、凛夜はそっと目を伏せる。
思いが胸に溢れ、ゆっくりと、彼の心を満たしていく。
(カガリ……お前は、自分が救われたと言ってくれたけど――
救われたのは、俺の方だ)
かつて、胸の奥に巣くっていた憎しみ。
師匠すら拭い去れなかった、血と呪いへの怒り。
それを、カガリが溶かしてくれた。
(お前の声が、温もりが、俺の中の闇を――消してくれたんだ)
凛夜はそっと作業の手を止め、カガリを静かに、抱きしめた。
「り、凛夜……!?」
不意を突かれたカガリの声が、少しだけ裏返る。
だがその身体は、凛夜の腕の中で拒むことなく、自然に寄り添った。
凛夜は、彼女の耳元で囁く。
「ありがとう、カガリ。お前のおかげで、俺は……芦屋の血に呑まれずにすんだ」
カガリの瞳が揺れる。
儂は、そんなに大層なことをしただろうか。
ただ、そばにいたかっただけなのに。
「……儂のほうこそ、礼を言うべきじゃな。お主が儂に、心をくれたのじゃから」
そうして、カガリも凛夜をそっと抱き返した。
静かな倉庫の片隅で、二人の鼓動だけが、確かに響いていた。
やがて、凛夜が言う。
「勝とうな、カガリ。……そして、皆を守ろう。一緒に」
「うむ。お主と儂ならば、きっと……できる」
二人は静かに手を取り、もう一度、準備へと戻っていく。
その歩みは、もう決して揺るがない。
これは、宿命に挑む者たちの、最後の前夜。
共に歩むと決めた、ふたりの確かな絆が――
今、未来を切り開こうとしていた。




