第五十九話:宗雅の章 5――冥道と血の証明――
夜が深まる。京の空を雲が覆い、星はその姿を隠していた。
だがその闇よりもなお深い影が、地に満ちようとしていた。
「……来たか」
宗雅は、静かに呟いた。
その声には怒りも焦燥もない。ただ、深い覚悟と静謐な気配だけがあった。
そこに現れたのは、黒き衣に身を包んだ男。
血のように赤い瞳が、宗雅を見下ろすように細められていた。
「芦屋の血……。我が半身よ」
その男――冥道が、不気味に笑う。
「貴様が“正道”を選んだのは、滑稽だな。あの力を前にして、なぜ自らを縛る?」
「力は、人を守るためにある」
宗雅の声は揺るがなかった。
「私は――破壊ではなく、調和のために生きる」
「調和だと?」冥道は口元を歪める。「それは、弱者の幻想だ。己を律し、衝動を殺すなど、結局は恐れに過ぎぬ。見ろ、この世は欲望と力に支配されているではないか」
宗雅は目を伏せ、そして言った。
「だからこそ……私は、そうであってはならぬと思った」
冥道は一歩、宗雅ににじり寄る。
「貴様と我は、同じ芦屋の血から生まれた。“浄”と“穢”――陰と陽の双極。いずれ貴様も我に堕ちる。否、己の中の“闇”に気づいた時、その願いこそが我となる」
宗雅の瞳が、わずかに揺れた。
「……私は、否定せぬ。己の内にも、闇があることを知っている。だが、だからこそ抗うのだ。人を救いたいという想いを、手放したくない」
「愚か者が」冥道は嗤った。「貴様の“正しさ”が、どれだけの血を流すか――いつか知ることになる」
黒き波動が奔る。周囲の木々が根こそぎ薙ぎ払われ、大地が軋んだ。
宗雅は印を切り、冥道の闇を押し返す。力と力の激突――しかし宗雅の術は、封じと鎮めを旨とする静の術式。対する冥道の力は、呪と滅を軸に据えた動の魔。
真逆の性質がぶつかり合い、空間そのものが軋んだ。
「ならば見せてみろ。貴様の“調和”とやらが、この世に何をもたらすのかを!」
冥道の叫びと共に、無数の呪霊が地を這い、空を裂いた。
宗雅は目を閉じ、深く息を吸った。
「……私は、貴様を祓わぬ。貴様を殺せば、己の中の“それ”もまた喜ぶだろう」
「なに?」
「だが――私は、見届けよう」宗雅はまっすぐ冥道を見た。「もし私の道が誤りであれば、いつか必ず破滅しよう。だが、もし貴様が滅びる時が来たなら、その時は――この“調和”が、真に人を守る力であると証明されるのだ」
冥道の瞳が、初めてわずかに動揺を見せた。
「……ほう。貴様、なかなか面白いことを言うではないか」
冥道はそれ以上、何も言わなかった。
闇の中へと姿を消すその背に、宗雅はただ、静かに言葉を投げかける。
「この命が尽きる時まで、私は、調和の中に立ち続ける。己の闇を殺さず、誤魔化さず、受け入れた上で……人を、守りたいと願うのだ」
返事はなかった。ただ、空気に残った気配だけが、答えだった。
冥道――闇を喰らう者。
宗雅――静かに闇と共に生きる者。
彼らは確かに同じ血を持ちながら、決して交わることのない存在だった。
――そして、この対話はやがて訪れる悲劇と決断の序章に過ぎなかった。




