第五十八話:宗雅の章 4―堕ちゆく者を、祓うことは―
森の奥、静謐な気配の中で、一陣の風が葉を揺らした。霧がたちこめる中に、黒き衣を纏った女が立っている。
カガリ――かつては白鐘篝と呼ばれ、人々を癒やした巫女。
今やその名は妖魔として恐れられ、禁忌として語られる存在。
その前に、三人の男が現れた。
「……来たか」
カガリが静かに呟く。
安倍晴明。
安倍紅明。
そして、久遠宗雅。
「……ここで終わらせるつもりか、カガリよ」
紅明が一歩前へ出て、牙を噛みしめる。
「兄者、やめとけ。あいつは……もう、人じゃねぇ」
紅明の声には、怒りと、哀しみと、諦めが滲んでいた。
「……いや。人でなくなったからこそ、私はここに来たのだ」
宗雅の声は静かだった。静かだが、決意を帯びていた。
カガリはその言葉に、かすかに笑みを浮かべた。
「……優しき陰陽師よ。哀れみを向けるな。妾は……妾は救われなど、望んでおらぬ」
「ならば」
晴明が鋭く一歩を踏み出す。
「お前の罪、ここで終わらせる」
「ならば見せてみるがよい。おぬしらの“正義”とやらを」
風が止まり、そして始まった。
天地を揺るがすほどの術式の応酬。
晴明の結界が空を裂き、紅明の火焔が大地を穿ち、カガリの術が空間を捻じ曲げる。
宗雅は、ただその中に在り続けた。
その目で、カガリの魂を見つめ続けた。
「……何故だ」
紅明が血を流しながら叫ぶ。
「何故、お前はそんな顔をするんだ……カガリ!」
カガリの瞳に、憎しみも狂気もなかった。
あるのは、ただ……深い哀しみ。
そして、決着の刻。
カガリは、朽ちた衣を纏い、膝をついていた。
晴明と紅明が最後の詠唱に入ろうとしたその時、宗雅が前へ出た。
「待て」
その声に、二人が止まる。
宗雅は、カガリの前に立ち、その瞳を見つめる。
「お前は……救いを拒むようでいて、本当は誰よりも救われたかったのではないか」
「……何を……」
カガリの声が、かすかに揺れる。
「お前の絶望が、私には分かる。何故かは、わからない。だが……お前が哀れで、ならぬ」
宗雅の目から、涙がこぼれた。
「お前を祓うなど、できぬ……。せめて、いつかお前の魂が救われる日が来るように」
宗雅は晴明と紅明に振り返り、告げた。
「…封印で頼む」
紅明はしばし沈黙し、口を歪めたが――
「……しゃあねぇな」
晴明は静かに頷いた。
「…宗雅」
宗雅は術式を展開し、カガリを深き封印へと誘う。
「せめて……せめていつの日か……お前の魂が救われる日が来ることを。お前を救ってくれる者が現れることを」
その最後の瞬間、カガリが口を開いた。
「……優しき陰陽師よ。妾が……人であったなら……」
言葉は、霧の中に溶けていった。
――こうして、妖魔カガリは、封印された。
彼女の魂は、静かなる闇にて、いつか来るかもしれぬ“救い”を夢見ながら、眠りについた。




