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第五十二話:篝の章6 ―篝は、カガリとなる―

志晴の墓の前に、どれほど膝をついていただろうか。

朝は幾度も巡り、空は幾度も朱く染まり、やがて星を宿した。


白椿は、散ってはまた咲き、静かに季節を告げる。


だが篝の時間だけは、止まっていた。


彼の墓に手を添えたまま、ただ、ぽつりぽつりと語りかける。


「……わたくしは、まだ……ここにおります、よ」


もう、誰も返事はしないと知っていながらも。

それでもなお、語ることだけはやめられなかった。


そうしなければ、妖の力が暴走する。

そうしなければ、己を繋ぎとめるものが何一つ残らなかった。


どれほど経ったろうか――。


やがて篝はその場を離れ、深い山の奥、人気のない場所に身を隠した。

妖魔として追われる立場になりながらも、自ら進んで争いを望むことはなかった。


ただ――。


「愚かなることじゃ……人とは、ようも脆く……浅ましいものよ」


その声には、もはや若々しい張りはなかった。

穏やかで柔らかく、それでいて深い淀みを孕んだ妖女の声。


時の流れに反して肉体は衰えずとも、心は老いたのだ。

人としての死を経て、妖魔としてなお存在する彼女にとって、年齢などもはや意味を持たなかった。


「……白鐘篝などという人の名も、もういらぬ。……そうじゃな」


ぽつりと、彼女は呟いた。

亡き恋人の名を呼ばれるたびに、胸の奥が焼けるように痛んでいた。


過去を、断ち切らねばならない。


それが、せめてもの供養だった。


「……カガリ。ふむ、そうじゃ……“カガリ”でよい……」

己の心に灯った最後の篝火を、ただ、名に変えて残すのだ。



炎を篝火に込めるように、自らの魂をその音に託す。

かつて“篝”と呼ばれ、癒やしの巫女として多くを救った女は、

今ここに、“カガリ”という新たな名を持つ妖魔となった。


世に語られ始める「白鐘の妖魔」。

人の世に災いをもたらす存在と、陰陽の者たちに認識され、記録されるようになる。


だがその記録のどれ一つとして、彼女の“祈り”を語るものはなかった。

かつて命を癒やし、罪を背負い、たった一人の人を愛し続けた存在であったことなど、誰も知らなかった。


だからこそ、カガリは笑う。

皮肉に、寂しげに、老いた口調で。


「……まあ、ええんじゃ。儂はもう、過去に生きてはおらん。……生きて、おらんのじゃからな」


この日を境に、“白鐘篝”という名は、彼女自身の中で完全に封印された。

そして――『月下に契る』の物語は、現代へと静かに繋がってゆく。





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