第四十九話:篝の章3―悔恨―
処刑から、幾日が過ぎただろうか。
かつて篝の微笑に癒され、傷を癒してもらった村人たちは、まるで憑き物が落ちたかのように正気を取り戻していた。
静かな境内。風が吹き抜け、苔むした石畳の上を、誰かの嗚咽が這うように響く。
志晴は、一人、篝がいつも祈っていた社の前に跪いていた。
両手を地につき、額を石にこすりつけるように伏している。
「……すまなかった……すまなかった、篝……」
「なぜ…何故、私はあの時……っ!!」
その声はもう、誰に届くものでもない。
思い出すのは、あの柔らかな声。
くすぐるような笑み。
夏の終わり、涼風の吹く中、木陰で並んで飲んだ冷やし茶。
祈りの合間にふと手を取り、袖の陰で指を絡めた、あのささやかな秘密。
「志晴様は、少し優しすぎるところがありますね」
「優しいのは、君だよ。……君がいるから、私も、強くなれるんだ」
今はもう、誰も答えてくれない。
志晴の記憶に残るのは、篝が笑っていた景色ばかりだった。
彼女が怒ったところも、泣いたところも、見たことがなかった。
その彼女に、自分は――
「私が、手を下したんだ……私が……篝を、殺したんだ……っ」
喉が焼けるように熱く、胸が軋む。
手が震え、呼吸さえできなくなる。
あのとき、何かがおかしいと気づいていた。
篝の目を見たとき、声を聞いたとき、心のどこかが叫んでいた。
――違う。篝がそんなことをするはずがない。
――信じろ。篝を、信じてやれ。
けれど、その声は届かなかった。
心にかかった靄が、それを押し込めてしまった。
誰かが囁いていた気もする。
黒くて、冷たい声だった。
まるで何かの意思が、自分を操っていたかのように。
「違う……こんなこと、したかったわけじゃないのに……」
目の前が、歪む。
ひとつ、またひとつ。篝との日々が、泡のように浮かび、消えていく。
彼女が夜遅くまで祈っていた背中。
村の子どもに渡す薬草を、自ら手で摘んでいた指先。
疲れたときにだけ見せる、年相応の、少し拗ねたような笑顔。
「……愛していたんだ。心から、愛していたんだ……」
声にならぬ叫びが、喉を突き破ろうとする。
志晴は立ち上がり、ふらつく足取りのまま、篝の処刑が行われた広場へと向かう。
そこにはもう誰もおらず、ただ風だけが、何も語らず吹いていた。
地面には、愛した人が焼かれた…自らの手で焼いた跡だけが残っている。
「どうして、信じてやれなかった……」
拳を握りしめ、地を打つ。
血が滲んでも、痛みなど感じなかった。
「もう一度だけでいい。……あのときの言葉を、今こそ伝えさせてくれ」
手を伸ばしても、誰もそこにはいない。
志晴はその場に座り込み、膝を抱えて小さくなった。
やがて日が落ち、月が昇る。
その白い光の下で、志晴の瞳は静かに濡れていた。
嗚咽のように、小さく、囁く。
「……すまなかった……篝……愛している……」
その声は、夜風にさらわれ、空へと昇っていった。
けれど、篝に届くことは――まだ、なかった。




