第四十二話:凛夜の章③ ― 焔を抱く者 ―
それは、灰の中から生まれた焔のような日々だった。
久遠凛夜が安倍紅明の庇護のもとに入ってから、既に三年の月日が経っていた。陰陽術の基礎――結界術、符術、霊視、式神の扱い。その全てを紅明は、静かに、時に厳しく教え続けた。
「力だけじゃ、闇は討てねぇ。だけどな、心がこもってねぇ正義ってのは、闇に呑まれちまうもんだ」
幾度となく、紅明はそう言った。
凛夜は、食い入るように学び、稽古に臨んだ。傷だらけになりながらも、倒れることはなかった。
幼い体には重すぎる術と真理。それでも凛夜は立ち上がる。
憎しみがあったからではない。悲しみに飲まれたまま終わりたくなかったからだ。
自分を守るために命を賭した両親。あの夜、助けに来てくれた紅明。
あの時の自分の無力さと、彼らへの想いが、焔となって胸に灯り続けていた。
「……じいさん」
ある夜、凛夜は庭で焚かれた火を見つめながらぽつりと呟いた。
「俺は……“あれ”を忘れない。父さんと母さんが、俺を守ってくれた姿を」
紅明は、振り返らなかった。ただ、そっと火をくべながら答えた。
「だったら、忘れんじゃねぇぞ。その痛みも、哀しみも、全部お前の力になる」
「俺は……妖魔を討ちます」
焚火の焔が揺れた。
「奴らを、見つけ出して、必ず」
その言葉はまだ、未熟な声だった。だが――確かだった。
紅明は静かに目を閉じる。凛夜の瞳に、かつての己が見える。
「だったら、そのうち“逢魔”へ行くことになるだろうよ」
「……逢魔?」
「今の陰陽師たちが集まってる場所さ。闇に抗う奴らの根城だ」
「そこに行けば、妖魔を操っていた奴にに繋がる何かが……?」
紅明は頷いた。
「奴は、今も裏から逢魔の世界を歪めてやがる。正面切って見えてくるもんじゃねぇ。けど、お前の因縁ってのは、そこで待ってるだろうよ」
凛夜は拳を握った。
その時だった。
ふいに風が吹き、焚火の炎が激しく揺れた。
どこか遠くで、何かが啼いている。
「……結界が、揺れてやがるな」
紅明の声が、わずかに鋭さを帯びた。
その瞬間、夜の帳の向こうに、妖気の奔流が走った。
凛夜の肌が粟立つ。初めて感じる“本物”の殺気だった。
「じいさん――!」
「試練の時だぜ、凛夜。お前が“術者”として立てるかどうか、今夜試されるってこった」
紅明が手をかざし、結界を開く。
その先――薄闇の向こうに、獣のような影がいた。一体の、妖魔。
「お前の力、見せてみな」
凛夜は唇を噛み、深く息を吸い込む。
逃げることは簡単だ。けれど、あの夜の自分には戻らない。
「……俺が、やる」
そう言って、凛夜は初めて結界の外へと、足を踏み出した。
一歩。その一歩は、あの夜に取り残された自分を超える一歩だった。
彼がまだ知らないこと。
この夜の出陣が、やがて彼を“カガリ”へと導くことになるということ。そして、この日初めて交えた刃の気配を、カガリもまた、遠くで感じていたことを――。




