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第三十九話:― 癒やしの家の噂 ―

次回から、各キャラのエピソードを書いていきたいと思います。

いつからともなく、逢魔の内で「癒やしの家」の話題が広まっていた。


曰く――なぜか、あの家にいると心が安らぐ。

曰く――見えない誰かに優しく守られている気がする。

曰く――心が沈んでいても、気づけば前を向けるようになる。


引っ越しを手伝った職員たちが、こぞって語るようになったのだ。

「妙に空気が柔らかくて、あそこだけ時が緩やかに流れてるみたいだった」

「帰るとき、なんか……ちょっと名残惜しかったんだよな」

「正直、また行きたい」


参加できなかった者たちは羨ましげに耳を傾け、気づけば「じゃあ今度誘ってくれよ」と声を掛けるように。

やがて、癒やしの家にはぽつぽつと逢魔の陰陽師たちが顔を出すようになった。


手土産片手に、時には仕事の相談、時には何気ない世間話。

誰もが一様に、ひとときの休息を求めてその門をくぐる。


不思議なことに、その家は決して煩わしそうな気配を見せなかった。

むしろ、どこか――喜んでいるようにさえ感じられた。


凛夜とカガリは、そのことを知る由もなかったが、きっと当然のことなのだろう。


なにせ、この家は――

1200年もの時を、孤独に、ひたすらに耐えてきたのだから。


忘れられ、置き去りにされ、それでも待ち続けてきた。

誰かがまたここに来てくれる日を、誰かの笑い声が響く日を。

温もりの記憶をもう一度、宿せる日を。


だからこそ、今。

ここに人が集い、笑い、語らい、涙すら流せる場所になったことを――

家は心から喜んでいる。


それは、もはや誰のものでもない。

すべての人に、ひらかれた「居場所」になりつつあった。


――その様子を、遠くから静かに見つめる人影があった。


高台からそっとその家を眺め、微かに目を細める。


「……良かったな、縁」


その声は、あくまで静かに風に溶けていく。

その笑みは、普段の彼からは想像もできないほど、穏やかで――

まるで過去の罪と痛みを赦すかのように、優しかった。


――小話:家に名前をつける日――


その日、カガリの一日はなかなかに厄日だった。


戦った妖魔は妙に相性が悪く、妙なスライムのような粘着系で、髪も服もドロドロになり、

さらに同僚の陰陽師には「妖怪ってこういうの慣れてるんですよね?」などと半笑いで言われ、

極めつけには休み時間もまともに取れず、凛夜の顔すら見られなかった。


一つ一つは些細なこと。だが、積もれば雪崩。

もやもや、ぐつぐつ、ぷんすか。


帰宅すると、誰もいない家の中で、カガリは縁側にちょこんと座ってこう言った。


「というわけじゃ、縁!今日はほんに、つらい一日じゃったんじゃああああ……!」


――誰に話しかけているか?

答えは明白。家である。


そこへちょうど帰ってきた凛夜、戸を開けて見た瞬間、固まる。


「……カガリさん? 一体、何を……」


「おおっ、凛夜!おかえりじゃぞ! いま縁に今日の愚痴を聞いてもらっておったのじゃ」


「……家にか?」


「うむ!」


「……それに、“縁”?」


カガリは満面の笑みで自信たっぷりに言い放つ。


「うむ、この家の名じゃ!『ゆかり』! なんとなくそう思ったのじゃ!」


凛夜、口を半開きにしたまま静止三秒。


「……家に名前をつけたのか……?」


「そうじゃ!カッコよかろう!」


凛夜はしばらく沈黙し、縁側に腰を下ろすと、ぽつり。


「ゆかり……縁、か。悪くないな。なんだか……しっくりくる」


「じゃろ!縁じゃ!」


「……ああ、改めて、よろしくな。縁」


ふと、家の木の柱が微かにきしんだ。


まるで、誰かが「よろしく」と笑って頷いてくれたような、そんな音だった。

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