第三十話:死の伽藍からの帰還 ―そして、再び歩き出す者たち
今日は4話いけました!
死の伽藍――
命を削り、魂すら摩耗する極限の試練を超えたふたりは、静かに膝をついた。
その瞬間。
「ほう? やればできんじゃねぇか」
涼しげで、どこか馴染み深い声が背後から響く。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
凛夜とカガリの師――紅明。
鬼の如き修練で弟子を叩き上げた、あの苛烈なる師匠である。
驚きも賞賛も浮かべず、ただ口元をわずかに吊り上げたまま、彼は呟く。
「見せてもらったぜ。お前らの“覚悟”ってやつをな」
軽口のようでいて、その眼差しには確かな評価と――弟子たちへの、ほんのわずかな慈しみがあった。
やがて、彼の案内で一軒の小屋へと戻ったふたりは、用意された食卓につく。
並べられた料理はどれも素朴で、飾り気はない。
だが一口噛めば、深く優しい味わいが、身体の芯まで染み込んでくる。
「……師匠が、これを?」
凛夜が驚いたように呟く。
「フン。食わせるなら毒にも薬にもなるもんを、ってだけだ。感謝なんざいらねぇよ」
そっぽを向く紅明。
その仕草に、どこか照れが混じっているのを見て、カガリは思わず口元を綻ばせた。
夕食後、ふたりは順に湯を使うことに。
凛夜が先に風呂を終え、部屋に戻ってしばらくすると、カガリが湯上がりの姿で入ってきた。
タオルを肩にかけ、濡れた髪を無造作にまとめながら、ぽそりとつぶやく。
「ふぅ~……良い湯じゃった」
上気した頬。肌からはまだ湯気が立ちのぼり、濡れた髪の隙間から覗くうなじが、あまりに無防備だった。
その姿に、凛夜の理性が音を立てて崩れる。
気がつけば、彼はカガリを抱き寄せていた。
「!? り、凛夜!? ど、どうしたのじゃっ!?」
戸惑う彼女の声を遮るように、唇が重なる。
――言葉はいらなかった。
理由も、境界も、もうどうでもよかった。
ただ、生きていることを、互いの体温で確かめたかった。
その夜、ふたりはそっと肌を重ねた。
*
そして、朝。
薄明かりが差し込む室内で、凛夜は重たいまぶたを開ける。
横には、頬をふくらませたカガリが正座していた。
「……ん? どうした……?」
問いかけると、カガリは無言でポカポカと凛夜の胸を叩き始めた。
「ちょ、カガリ!? 痛いって! なんなんだよっ」
「黙れ、この大馬鹿者っ! 昨日……昨日は……乱暴すぎたのじゃ!
儂、壊れるかと思ったのじゃ……! バカ、ほんとに……っ!」
怒りと羞恥が混ざったその顔は、真っ赤に染まっていた。
凛夜は、困ったように苦笑しながらも、そっと彼女を抱き寄せる。
「……悪かった。でも……お前が、生きててくれたのを……確かめたかったんだ」
その一言に、カガリの顔はさらに赤くなる。
もう、何も返せなかった。
「……ふぅん?」
唐突に、鼻にかかったような声が入口から響く。
振り返ると、そこには腕を組んで立つ紅明がいた。
ニヤニヤと、実に楽しげな顔。
「クックック……昨夜は随分とお楽しみだったようじゃねぇか?」
「~~~~っ!!」
羞恥の極みに達したカガリは、またしても凛夜を叩き始めた。
「いや、なんで俺を叩くんだ!? 師匠、覗くなよ!」
「覗いてねぇよ。たまたまだ。たまたま」
軽く肩を竦めた紅明だったが、次の瞬間、ふっと表情を引き締める。
「……で、こんなとこで、いつまでもいちゃついてていいのかね?」
空気が、急激に張り詰める。
「お前さん方の古巣――逢魔。あそこ、何やらきな臭ぇ気配がするぜ?」
凛夜とカガリの顔色が変わった。
紅明が「異常」と口にする。
それは即ち、ただ事ではないという意味だ。
「ほう……ちったぁいい顔になったじゃねぇか。ほれ、さっさと行った行った」
師匠の声に、ふたりは慌てて支度を整える。
「じいさん、すまない! また顔を出す!」
「世話になったのじゃ! 本当に感謝を!」
そう叫びながら、ふたりは駆け出していく。
紅明の元を離れ、逢魔の地へ――。
「……もう来んな。めんどくせぇ」
背後で呟きながら、紅明は肩をすくめた。
だが、その口元には、照れ隠しのような笑みが滲んでいた。
ふたりの姿が見えなくなったあと、彼はぽつりと呟く。
「さてと……バカ弟子たちにしては、気張ってみせたしな。ちったぁサービスしてやるかね」
腰を上げ、遠く逢魔の方角を見る紅明。
風が吹いた。
――物語が、再び動き出す音だった。




