第三話:邂逅の兆し
幾夜か前の激闘の余韻は、今なお風の中に残っている。
――あの夜、凛夜とカガリは剣と術を交えた。
互いに容赦なく、殺意すら交えた真剣勝負。
だが結果は、決着のつかぬまま終わった。
以来、二人は顔を合わせていない。
「ふん……陰陽師め、なかなかに骨のある奴じゃった……日毎に強くなりおる。しかし…あの強さは…」
山奥の古びた社にて、カガリは身体を休めていた。肌の白さが月光に浮かぶ。
胸に手を当て、戦いの際に凛夜の術がかすめた箇所を撫でる。
ーまた、終われなかったー
カガリは現世に甦り、一度としてその力を十全に解き放ったことはなかった。
眠りから目覚め、幾つもの記憶を失っていた。いや、本人は自覚していないのだろうが、封じられていた。
それは罰か、あるいは赦しなのか。
しかし、カガリの心の奥底で、消えぬ想いは燻り続ける。
悲しき想いが。
カガリは1人の陰陽師を思い出す。
幾度も戦い、引き分けた、久遠凛夜という名の陰陽師。
「……だが、あの眼が気に食わぬ。あれは、人のそれではないのう……」
冷たく、鋭く、すべてを切り捨てるような瞳――それでいて、微かに滲むあの光。
(……同じじゃ。かつて、儂が……失う前の)
思考を振り払うように首を振ると、カガリは気配を感じて立ち上がる。
“穢れ”が、近い。
――同じ頃。
夜の農村に、奇怪な気配が満ちていた。
畑を覆う霧、草木が枯れる異音、動物たちが一斉に逃げ出す。
「……出たな。赤餓鬼か」
村の周辺に霊符を設置していた久遠凛夜が、呟く。
彼の周囲には、一片の迷いもない。すでに術の準備は整っており、結界は張られていた。
今夜、災いはここで断たねばならない。
だが――
「ほう、また会うたな。これは奇縁かのう?」
聞き慣れた声が背後から響く。
凛夜は振り向かずとも分かった。
そこに立つのは、炎のような妖力をまとう女――カガリ。
「……ここは人の地。妖の貴様に、口を挟む権利はない」
「冷たいのう。共に戦った仲ではないかえ? ……まあ、あれは“戦い”かのう?」
「勘違いするな。あれは殺し合いだ」
「ふふ……じゃが儂は、まだ生きとるぞ?」
妖魔の咆哮が空気を裂いた。
時間はない。言葉はここまでと、凛夜は結界を一気に展開。
妖魔――赤餓鬼が突撃してきた瞬間、凛夜の符術が閃く。
だが赤餓鬼は先のものとは異なる。
成長していた――否、力を蓄えて“変質”していたのだ。
「こやつ……!」
凛夜の式神が破壊される。地を揺らす咆哮とともに、妖魔は霊符を一気に焼き払う。
「……さすがに一人では荷が重いようじゃのう」
カガリが肩をすくめ、踏み出す。
「ここは手を貸してやる。儂の分も残しておいてくれるなよ」
「……勝手にしろ」
二人の術が交差する。
陰陽術と妖術。異なる力が、奇妙に調和し、赤餓鬼に襲いかかる。
凛夜の水属性の術が妖魔の動きを封じ、カガリの炎が焼き尽くす。連携は意図せぬものながら、見事に噛み合った。
――だが。
異変は唐突に起きた。
カガリの炎が揺らぎ、足元がふらつく。
「っ――!」
激しい咳。喉から、紅い血が零れる。
「カガリ……!」
赤餓鬼の爪が、カガリの背に迫る。
それを見た瞬間――凛夜が動いた。
結界を破って飛び出し、彼女を抱きかかえ、その場を離脱。
咆哮と共に、地面がえぐれる。
「……なぜ……なぜ助けたのじゃ、貴様……!」
荒い息を吐きながら、カガリは凛夜を睨んだ。
その眼に映るのは、冷徹な瞳――だがその奥に、確かにあった。
かつて自分が人であった頃に、幾度も見た、あの悲しみの色。
「……目障りだった。死なれたら、こいつとの戦いが面倒になる」
凛夜は吐き捨てた。
だがカガリは気づいていた。
その言葉が、嘘ではないにせよ、すべてでもないことに。
(あの瞳の奥にあるのは……哀しみと、優しさ……?)
意識が霞んでいくなか、カガリは思った。
(儂は何を見た……いや、何を……思い出したのじゃ……)
夜は、なお深く。
次なる決戦の時が、迫っていた。