第二十六話:影を裂く者
夜が明けたはずなのに、光は届かない。
重く垂れ込めた霧のような気配が、周囲を覆っていた。
いや、それは気配ではない。“何か”が、確かにここにいる。
「来る……!」
凛夜が空気の揺らぎを感じ取ったのと、カガリが護符を構えたのは、ほぼ同時だった。
風もないのに、木々がざわめく。
――シュッ
一陣の風が、すれ違うように背後をかすめた。
「っ……!」
すでに遅い。
凛夜の頬に、一筋の切り傷が浮かぶ。いつの間にか斬られていた。
「……今のが、“空羅”か」
「まるで影じゃな……姿すら見えん」
その存在は、まるで空間そのものに溶け込んでいた。
輪郭すら曖昧な黒。まるで“動く影法師”。
“跳躍”するように移動し、出現の瞬間すら感じさせない。
ただ、斬撃の軌跡と、残された血痕だけが、それを現実と証明していた。
「……っち、やるじゃねぇか」
凛夜は顎を拭いながら、冷静に空間を見渡す。
「気配も音もない……でも、必ず“出現ポイント”がある。連続跳躍には、わずかでも空白が生じる」
「つまり……」
「見切る。それしかない」
だが、その“わずか”を捉えられなければ、意味はない。
空羅はすでに数回、跳躍を繰り返し、周囲をなぶるように斬撃を飛ばしてきていた。
だが――
「凛夜! 次、三時の方向じゃ!」
カガリが叫ぶ。
彼女の瞳が、ほんのわずかな“霊流の乱れ”を捉えたのだ。
凛夜は反射的にそちらへ掌を向け、結印する。
「――『縛鎖・結界紋』ッ!」
一瞬だけ、跳躍してきた空羅の足元が鈍る。
その刹那――
「もらったッ!」
凛夜の拳が、闇を切り裂くように炸裂した。
空羅の体が地に転がる。
だが、それすら残像だった。
「くっ……やはり一撃じゃ無理か……!」
「凛夜、今じゃ! 今のうちに“追い式”を!」
カガリが、数枚の護符を指で裂くように弾き飛ばす。
「『封符・追風刃』ッ!」
護符が風に乗り、空羅の影を追う。
その刃がかすめた瞬間、空羅がわずかに動揺した。
そこへ――凛夜が再び踏み込む。
「──見切ったぞ。“跳ぶ”前には、必ず“ため”がある」
その“半拍”を、凛夜は掴んだ。
「『影縫・連式陣』ッ!」
地面から影が延び、空羅の足元を穿つ。
叫びもなく、ただ淡く光を残し、空羅が崩れ落ちた。
その体は霧のように揺らぎ、地に染みるように消えていく。
「……一体、だったのか?」
「いや。擬似妖魔ゆえに“本体”は存在せぬ。だが、“核”はあるはずじゃ……」
凛夜は倒れた空羅の中心に手を伸ばす。
そこには、微かに光を宿した“核晶”が残されていた。
彼はそれを掌に取り、静かに握りしめる。
「一つ、超えたな」
「うむ……だが、これは始まりにすぎぬ。次は……“地権摂”。おそらく、比べ物にならん重圧が来るぞい」
「それでも……やるしかない。生き残るために、強くなるために」
二人の瞳に宿るのは、もう迷いではない。
一つの“地獄”を越え、彼らはまた一歩、真実の力に近づいた。
次なる戦い――地を揺るがす巨獣との対峙が、待っている。




