第二十話:――古寺の座敷にて
今日は2話分です!
茶をすする音だけが、静かに響く。
ほの暗い灯りの下、三人は静かに卓を囲んでいた。
古びた茶室の空気には、香ばしい茶の香りと、どこか肌寒い沈黙が満ちていた。
紅明は湯の温度を確かめるように小さく息を吐き、茶器をゆっくりと置いた。
その指先が微かに止まる。
――視線の先にいる女を、彼は知っていた。
いや、忘れようとして、忘れきれなかった存在。
かつて“白鐘篝”という名を持ち、妖魔に堕ちた女。己らの前に立ちはだかった者。
そして、「誰よりも多くを守ろうとした」少女。
(……まさか、こんな形で再び会うことになるとはな)
彼女はすでに“篝”ではなかった。
妖魔としての力を纏いながらも、紅明の目には、かつてのあの眼差しが微かに残っていた。
けれど、その双眸は、彼を見ても何の色も宿さない。
――思い出していない。
いや、思い出せないのだろう。
千年前、あの夜。
彼女を封じた時に用いた結界と封呪は、記憶そのものを深く封じるものだった。
憎しみでも罰でもなく、ただ、彼女を――救うために。
(俺を覚えちゃおらんか。そりゃあ……その方が、今はいい)
紅明は湯を注ぎ、凛夜に差し出した。
そして、カガリには言葉ひとつ、視線さえも向けずに。
(だが、凛夜よ。
この女を選んだのが、お前であるなら……
俺は、すべてを見届けよう。再び、あの過ちを繰り返さぬようにな)
紅明は静かに、茶を口に運んだ。
すべてを語らぬまま。
封じた者として、そして、今もなお見守る者として――。
三人は座卓を囲んでいた。
張り詰めた空気の中、紅明は正面に座る凛夜をじっと見据えている。
「……それで、あの時おれが言った“憎しみは自分を焼く”って言葉――ようやく意味がわかったって言ったな?」
「ああ。……ずいぶん遅くなったが」
「それを教えたのは、その“あやかし”か」
「……違う」
凛夜はゆっくりとカガリの方を見やる。微笑を浮かべながら。
「教えたのは“俺自身”だ。だが、そのために――この女が傍にいてくれた。それだけだ」
その言葉に、カガリの耳がほんのりと赤く染まる。
「……ま、まあ……ふふん、当然じゃな……わらわは、凛夜の嫁じゃからのう……!」
紅明が小さく鼻を鳴らす。
「は。のろけか。……随分と丸くなったもんだ。前のお前なら、そんなこと口にするような奴じゃなかったろ」
「変わったよ、俺は。あんたに叩き込まれた力に、意味を与えてくれた人がいたからな」
凛夜の眼差しは真っすぐだ。迷いも曇りもない。
「今の俺は、誰かを守るためにこの力を使う。それが、“あの時”あんたが言いたかったことなんじゃないのか?」
紅明の目が細められる。
その口の端が、わずかに持ち上がった。
「……まァ、ようやく“人”になったってことだな。あの頃のお前は、ただの化け物だった。憎しみに突き動かされる、“呪い”みたいなガキだった」
「……否定しない」
紅明は一度、目を閉じると茶を置いた。そして――
「で? その“嫁”の方はどうなんだ。“あやかし”が人の中に混じってるなんざ、おれの肌にはどうにも馴染まん」
カガリがぴたりと動きを止める。
だが、凛夜がすかさず言った。
「彼女は、俺の命の恩人で、今の俺の支えだ。それだけだ。……“人”とか“妖”とか、そんなもんは関係ない」
紅明は茶器を静かに置き直すと、カガリに視線を向けた。
「……で、お前。“凛夜の嫁”って言ったな。……おれの弟子の女房になるってのに、挨拶もなしか?」
「ふえっ!? あ、あい、あいさつ……!? い、いきなりじゃな……!? ど、ど、どうすればいいのじゃ!? う、うにゃ~~!!」
カガリが真っ赤になって、手をばたばたと振り回す。
凛夜「(……だろうな)」
紅明は相変わらずの無表情――だが、その目は明らかに楽しげな色を湛えていた。
「ふん……まあ、いい。凛夜が選んだんなら、文句はねぇ。……だが、お前が本気でこいつの“嫁”を名乗るつもりなら――試してやる」
「た、試す……!?」
「明日の朝、おれについてこい。“あやかし”の力がどれほどのもんか、確かめてやる」
カガリが凛夜を振り返る。
その瞳には、不安と――それを上回る覚悟が宿っていた。
凛夜は、ゆっくりとうなずいた。
「大丈夫だ、カガリ。お前なら、やれる」
「……う、うむっ……! やってやるのじゃっ!」




