第二話 憎しみの影と月の瞳
呪陣が発動し、霊獣・白澤が顕現する。
月光を受けたその姿は威厳に満ち、カガリの放つ妖気を正面から押し返した。
「白澤まで使うとはの……そこまで儂を恐れておるか、人の子よ」
「恐れてなどいない。……ただ、これ以上、お前のような存在を見逃せないだけだ」
凛夜の声は冷え切っていた。しかし、カガリは薄く目を細めた。
「ほう……その目じゃ。まるで、すべてを憎んでおるような……」
白澤が吼えた。その隙に凛夜が踏み込む。
結界内での術式展開は、凛夜の独壇場だ。彼は矢継ぎ早に式神を放ち、カガリを封じる。
だが、カガリは一歩も引かない。封印陣の上で微笑み、彼の目をまっすぐ見返す。
「おぬし……大切な者を失ったな」
その言葉に、凛夜の眉がわずかに動いた。
「……黙れ」
「儂にも、そういう時があったのじゃ。誰かを想い、誰かに裏切られ……そして、全てを失うた」
その語りは、もはや嘲りではなかった。
だが、凛夜は首を横に振った。
「貴様に、語る資格などない……!」
白澤が突進し、カガリを地に伏せさせる。
術式が完成する。凛夜の掌に、封呪の印が灯る。
「――これで、終わりだ」
しかし、カガリは抵抗しなかった。
その紅い瞳に、微かな諦観が宿る。
「……そうじゃな。それでええ。おぬしの目の奥にあるそれ――儂と同じじゃ。何もかも、失うた者の目じゃ」
凛夜の動きが、一瞬だけ止まる。
「……!」
その隙に逃れられるはずの瞬間、カガリはただ瞳を閉じた。
ー早く私を終わらせてー
「祓うがよい。おぬしの手で。どうせ儂は、もうとっくに人ではない」
その姿に、凛夜は言いようのない感情を覚えた。怒りでも、哀れみでもない。
似ている。
自分と。
両親を妖魔に喰われ、誰にも救われなかった夜。
ただ怒りだけを握りしめて、ここまで来た。
なのに、目の前の存在に、自分と同じ『痛み』を見る。
「……っ……何故……」
封呪の印が震える。白澤が彼を見上げた。
カガリは目を開く。
「それでも、儂を祓うのじゃな。構わぬ。そういう結末を、望んでおった」
その瞬間。
凛夜は印を、収めた。
白澤が霧散する。
凛夜は、手を差し出していた。
「……ならば、今から変われ」
カガリの瞳が大きく開かれる。
「なにを……?」
「この世界に“後悔”を抱えたまま生きている者など、掃いて捨てるほどいる。だが、だからこそ……」
「……おぬし、何を言っておる……」
「俺も……失った。誰にも救われなかった。だが、お前を見て……俺は、お前を斃しても、自分を救えない気がした」
それは、凛夜の独白だった。誰にも言ったことのない本音。
その言葉に、カガリの胸奥に、確かに何かが触れた。
妖魔としての自分が囁く。
「このまま、その手を取れば……儂はもう、戻れぬぞ」
それでも、彼女の手が、わずかに動いた。
初めて、自らの意志で。
凛夜の手に、触れた。