第十七話:月下の誓い
結婚式の準備は、静かに、しかし着実に進んでいた。
式場は、逢魔庁の中でも限られた者しか使えない神域――霊力の集まる古の社を模した神聖な空間。桜の花びらを象った結界が張られ、満月の加護を受けるように設計されていた。
式の当日。早春の冷たさがまだ残る朝、カガリは白銀の髪を結い上げ、薄く桜色を帯びた白色のウエディングドレスに袖を通していた。繊細なレースと刺繍が施され、透き通るような白い肌に溶け込むように馴染むその姿は、まさに幻想の姫のようだった。
血のように紅い瞳が、白の中でひときわ鮮やかに輝いていた。
「……ど、どうじゃ……似合って……おるかの?」
鏡越しに立つ凛夜は、タキシード姿で現れた。
淡く微笑んだ。
「――ああ、似合ってる。綺麗だよ、カガリ」
その一言に、カガリの頬がふわりと桜色に染まる。
「う、うぬぅ……またさらりとそういうことを……。嬉しい、のじゃがのう……」
言葉に照れ隠しが混じるのを、凛夜はただ優しく見つめていた。
やがて式が始まる時刻を迎える。
多くの逢魔庁職員――それぞれがこの日を祝福するように集い、席についた。かつてカガリの妖としての力に怯えた者たちも、今では皆、彼女の歩んできた道を理解し、認めていた。
カガリのエスコート役として歩くのは、逢魔庁副長官・忌部楓馬だった。
白髪混じりの髪を後ろに束ね、黒の礼装に身を包んだ彼は、かつては対妖部署の長を務め、暴走しかけたカガリの鎮静に関わった過去を持つ人物だ。
だが今、その手は静かに、あたたかく彼女の手を取り、儀式の場へと導いていた。
「……今日のおぬしは、まるで神話の姫君じゃな」
苦笑気味にそう呟いた声に、カガリは思わず目を見張った。かつては一言も笑わなかった彼のその言葉が、何よりも嬉しかった。
「……忌部殿、ありがとう、ございます」
「礼など要らん。おぬしが今日という日を迎えられたこと――それが何よりの証じゃ」
そのやりとりを交わしながら、ゆっくりと歩みを進めるカガリの目に、神前に立つ凛夜の姿が映る。
ゆっくりと歩みを進めるカガリの目に、凛夜の姿が映る。
神前に立つ彼の視線は、まっすぐにカガリを見つめていた。
祭壇の前に並ぶ二人。沈黙の中、儀式が進む。
「久遠凛夜――そなたは、この者を妻とし、愛し、守り抜くことを誓いますか?」
「誓う」
低く、力強い声が響く。
「白鐘篝――そなたは、この者を夫とし、寄り添い、生きていくことを誓いますか?」
カガリは一瞬だけ目を伏せ、そして真っ直ぐに顔を上げた。
「――誓います。命に代えても」
声が震えていた。けれど、瞳は揺るぎなかった。
拍手がわき起こる。
そして――
「では、誓いのキスを」
ゆっくりと、凛夜がカガリに顔を寄せる。
カガリはそっと目を閉じた。
二人の唇が重なるその瞬間、天の月が雲間から顔を出し、神前を静かに照らした。
月明かりの祝福の中、ふたりの永遠の誓いが、そっと静かに結ばれた。
厳かな空気の中、祭壇の傍らに立っていた忌部楓馬が、ふたりを静かに見つめていた。
その瞳に浮かぶのは、誇り、そして少しの安堵だった。
ふたりにだけ聞こえるような声で、ぽつりと呟く。
「――これでようやく、あの時の選択にも意味があったと思える」
振り返り、歩き出すその背中は、何も語らずとも多くを物語っていた。
そして扉の外へと消えていくその姿に、カガリはそっと頭を下げた。
「……忌部殿、ありがとうございました」
拍手と祝福に包まれる中、ひとり静かに去っていったその姿は、誰よりもこの日を祝っていたのかもしれない。




