第十六話:幸せが、怖かった
「カガリ、明日――暇はあるか?」
いつものように任務を終えた帰り道、夕焼けに染まる空の下で、凛夜がふいに問いかけた。
カガリは、きょとんとした表情を浮かべる。
「暇…じゃが? 何じゃ? また妖が暴れたのか?」
「いや、そうじゃない。遊びに行こう。――デートだ」
「……で、でぇと……!?」
顔を真っ赤に染めて動揺するカガリを見て、凛夜は静かに微笑んだ。
「行ってみたい場所があるんだ。お前と一緒に」
◆
翌日。
カガリが連れて来られたのは、都心から少し離れた大型遊園地だった。
「こ、ここが……“ゆうえんち”…という場所か!?」
煌びやかなゲート、浮かぶ風船、楽しげな音楽、色とりどりの衣装を着た子どもたちやカップルたち――
その光景に、カガリの目が輝きを帯びていく。
「すごいのう、すごいのう! 見てみよ、凛夜、あれが“じぇっとこーすたー”というやつか!? まるで龍の背に乗るが如し!」
「……あれは確かに、龍より速いかもしれんな」
次から次へと現れる非日常の光景に、カガリは終始、目を輝かせていた。
射的、メリーゴーラウンド、シューティングゲーム……どれも初めてなのに、夢中で楽しんでいる。
凛夜は、そんなカガリを優しく見つめながら、常に隣に寄り添っていた。
昼には、園内のレストランで食事を取る。
「な、なにゆえこのように食べ物が“顔”をしておるのじゃ!? この“お子様ランチ”とやら、侮れん…!」
「気に入ったか?」
「うむ! …凛夜と一緒に食べておると、どれもこれも美味でのう…」
◆
午後も日が傾き始めた頃、凛夜は少しだけ席を外した。
「すぐ戻る。少しだけ待ってろ」
「うむ、わかったのじゃ!」
ぽつんと残されたカガリは、ベンチに腰かけ、ひとり空を仰いだ。
「……幸せじゃな……ほんに、幸せじゃ……」
口元には微笑が浮かんでいたが、その目はどこか切なげだった。
「……良いのかのう……儂が……この様な幸せを享受して……多くのものに不幸を振りまいた儂が……」
その独白に、応える者はいない――はずだった。
「おいおい、嬢ちゃん、一人か? こんなトコで待ちぼうけ?」
突如現れた、ガラの悪い男たち。二人組はカガリににじり寄る。
「どっかで見た顔だな? モデルか? 芸能人? …なあ、俺たちとちょっと遊――」
「……いね……小童どもが……」
カガリの表情が、凍りついた。
普段見せる柔らかさとは程遠い、氷のような眼差し。
しかし、男たちはそれを“演技”とでも思ったのか、引くことなく近づこうとした。
――その時。
「……俺の女に、何か用か?」
背後から、低く鋭い声音が響いた。
男たちが振り向くと、そこには凛夜が静かに立っていた。
その眼光は、妖を一睨みで封じる陰陽師の“それ”だった。
「ちっ、なんだよ…! 行こうぜ!」
男たちは慌てて逃げ出した。
カガリは胸を撫で下ろしながら、ふと凛夜を見上げる。
「……また……言うたの……『俺の女』と……」
「事実だからな」
さらりと言い放つ凛夜に、カガリは頬を真っ赤に染めた。
◆
夕日が沈み、園内がライトアップされる時間。
ふたりは最後のアトラクション――観覧車へと乗り込んだ。
「ふわぁあ……これが“かんらんしゃ”という乗り物か! 下がどんどん小さくなっていくのじゃ! 凄いのう!」
初めのうちは興奮気味だったカガリだったが、頂上が近づく頃には、次第に黙り込んでしまった。
「どうした? 怖いのか?」
凛夜が隣からそっと問いかける。
カガリは首を振り、ぽつりと呟いた。
「……高さなど、怖くはない。ただ……幸せが、怖いのじゃ……」
「……?」
「儂は……多くの罪を犯してきた。人を殺め、多くの幸せを奪ってきた化け物じゃ。そんな儂が、幸せなど……求めてよいのか……わからぬのじゃ……」
その声は、どこか震えていた。
凛夜は無言で席を移動し、カガリの隣に座った。
「……なら、俺も一緒に背負う。お前の罪も、悲しみも、全部」
その手が懐に伸びる。
「……俺は、お前が好きだ。誰よりも、何よりも愛している。――俺と、結婚してくれ」
差し出されたのは、小さな銀の指輪。
(お袋……いいよな)
それは凛夜の母の残してくれた、ただ一つの、形ある形見。
凛夜がそっとカガリの左手を取り、薬指へはめる。
不思議なほどに、ぴたりと合った。
「……いつの間に……?」
目を見開き、カガリの唇が震える。
「儂で……よいのか? 儂のような、化け物で……?」
「お前じゃなきゃ、駄目なんだ。……結婚、してくれるか?」
沈黙ののち、カガリの瞳から涙が零れ落ちる。
薬指にはめられた指輪から、不思議と温もりが伝わってくる。
次の瞬間、彼女は凛夜の胸に飛び込んでいた。
「……よろしくお願いします……貴方を……愛しています…!」
その言葉は、人間だった頃の口調。優しく、震えるような、誓いの言葉。
窓の外では、夜の空に浮かぶ満月がふたりを照らしていた。
月明かりに照らされて、胸元のイルカのネックレスと、薬指の指輪が、優しい光を反射する。
凛夜は静かにカガリの頬に触れ、唇を重ねた。
それは、二人だけの誓い。
そして――始まりだった。




