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第十二話:—海の底より深く—


逢魔の一室にて。

その日は、いつにも増してカガリの気分が軽やかだった。

晴れ渡る空のように、胸の内が澄みきっていた。


そんな彼女に、久遠凛夜が唐突に告げた。


「……今度の休みに、水族館へ行かないか?」


一瞬、空気が止まる。


「……へ?」


カガリの耳に届いた言葉は、まるで幻のようだった。

再確認するまでもない――が、それでも思わず聞き返した。


「……それはつまり……『でーと』とやらでは、ないのかの?」


「……ああ。そうなるな」


次の瞬間。


「ぼ、ボンッ!!!!!」


顔を真っ赤に染めたカガリから、効果音が聞こえてきたようだった。


──妖生はじめてのデート!!


カガリの心は、爆発寸前だった。


カガリは、速攻で女性陰陽師たちを召集した。

目的はただ一つ。


“デート必勝指南”である。


「儂はどうすればよい!? どうすれば凛夜に嫌われぬのじゃ!?」

「服装は!? 話題は!? 現代流の“でーと”とはどういったものなのじゃ!?」


彼女の必死の形相に、周囲は微笑みながらも全力でアドバイスを提供。


「髪はちょっと巻いたら可愛いですよ!」

「歩く時、ちょっと袖をつまむと男心にグッときます」

「水族館ならヒールよりも歩きやすい靴がいいですよ」

「あと、イルカは大体人気です。反応良くしとくと印象◎です!」


中には「最初に手を繋いじゃえ!」という猛者もいたが、

カガリは真剣にメモを取りながら頷いていた。


「ふむふむ、イルカ……イルカは重要……!」


そして迎えた、運命の日曜日。


普段の艶やかな和装ではなく、控えめながらも現代風のワンピースに身を包んだカガリ。

化粧も控えめに。だが、どこか初々しさの漂う装いだった。


水族館へ向かう道中、やや緊張していた彼女も――

中に入るや否や、目を輝かせていた。


「おおお……!? これは……水の中に、空が……!」


大水槽を前に、目を丸くする。

クラゲの展示では、手を合わせて見とれる。

ペンギンの餌やりでは、「ちいと……魚臭いのう……」と鼻をつまむ。


そして、イルカショー。


ジャンプと同時に飛び散る水しぶき、観客の歓声。


カガリは、目をキラキラさせて拍手を送っていた。


その横で、凛夜はずっとカガリを見ていた。


(こんな顔……するんだな)


気づけば、最近自分がよく笑っていることに、彼はまだ気づいていない。

だがそれは、カガリがいるからこそ。


自分が変わってきていることを、凛夜はほんのりと自覚し始めていた。


帰り道、空は薄紅に染まっていた。


水族館を出てしばらく歩いたところで、凛夜は足を止めた。


「……これ、渡しそびれてた」


小さな包みを差し出す。


開けると、中には銀のイルカのネックレス。

小ぶりで、さりげなく輝く一品。


カガリは、それを見た瞬間――固まった。


目を見開いたまま、微動だにしない。


「……好みじゃ、なかったか?」


どこか不安げに、凛夜が言いかけた時だった。


「~~っ!」


バッと、まるで奪うようにネックレスを受け取ったカガリ。

そして、それを胸に抱きしめたまま、ぽろぽろと涙をこぼした。


「う、嬉しすぎて……言葉が、出ぬ……っ」


凛夜が一歩近づくと、カガリは顔を上げ、涙をこぼしながら笑った。


「有難う……凛夜……! 大切にするのじゃ……っ!」


涙と笑顔が混ざったその姿は、まるで、かつて見た水中の光のようだった。


優しく、揺れて、きらめいて。


彼の胸に、ひとつ、確かな想いが灯った。


(……俺は、やっぱり――)


だが、その言葉はまだ口にはしない。


ただ、その横顔を見つめるだけ。


海よりも深く、静かに心が満たされていくような、そんな夜だった。

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