奪われた身体
私は有能な弁護士だった。
両親はともに弁護士であり、私も当然のようにその道を歩んできた。
学歴もキャリアも順調だった。公表されている判例だけでなく、両親やその知人たちが蓄積してきた事例データベースを活用し、AIとともに裁判に臨む。私は数々の重要案件で実績を積み、ついには「AI弁護士」として特集されるまでになった。
悠々自適な弁護士人生を送るはずだった。
──この事件を経験するまでは。
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X年X月X日。
事務所の電話が鳴った。
「はい、リブラ弁護士事務所です」
受付が応対する。予定通りの依頼だった。内容は典型的なもの──被疑者が「自分はやっていない」と主張する。しかし、そんな主張は日常茶飯事だ。犯人が責任を転嫁することは珍しくないし、相談者の関係者もどこか信じ切れない様子で、言葉を探しながら話していた。
これはよくある類の事件だ。
過去の事例を見ても、同様のケースは無数にある。被疑者の望む落としどころにいかに近づけるか──それこそ弁護士の腕の見せどころだ。
ただ、今回ひとつ気になる点があった。
被疑者は弁護人に私を指名したらしい。
理由は、依頼人自身も知らないと言う。
「私もついに、妄言の中に名前が出るほど有名になったのか?」
少しだけ自惚れながら、私は被疑者との面会に臨むことにした。
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X年X月X日。
私は留置所の面会室にいた。
机一つ隔てただけで、理の違う世界。
異世界とのコンタクト──私はそう思っている。
まもなくして、被疑者が連れてこられた。
その風貌は、まるで異国の人間だった。どこか遠い国の血を引いているかのような顔立ち、見覚えのない特徴。
「初めまして。私があなたの弁護を担当するリブラです」
沈黙。
「事件について、詳しくお話しいただけますか?」
沈黙。
「ご指名いただいた以上、最善を尽くしたいと考えています」
沈黙。
(指名しておいて何も話さない? 愉快犯か?)
そう考えたとき、被疑者はゆっくりと口を開いた。
「まず第一に──これは妄言ではない。それを信じてほしい」
「もちろん、弁護士としてあなたの話を信じます」
「建前ではなく、本当に信じてほしい。私の風貌、声、年齢……どれも偽りに見えるだろうが、それでも私は真実を語る」
私は彼を改めて観察しながら答えた。
「問題ありません。自分の神に誓って、あなたの言葉を信じましょう」
被疑者は頷き、静かに名乗った。
「私はジェミニ。お前の幼馴染だ」
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「冗談はやめてください」
私は思わず笑った。
「私の幼馴染を名乗るなんて。そもそも、年齢が違いすぎる。あなたの風貌は……失礼ながら、まったくの別人ですよ?」
「信じられないだろうが、これが真実だ。だからこそ、誓いを立ててもらった」
「そんな非現実的な話、信じられるわけ──」
「では、これはどうだ。XXXX年XX月XX日、病院」
私は息を呑んだ。
その日付は、私と幼馴染だけが知る秘密だった。
誰にも話したことがない。決して漏れるはずのない出来事。
私は弁護士を志すきっかけとなった、あの過去を思い出していた。
「……まさか、本当にジェミニなのか?」
「そうだ。だからお前を指名した。頼む、証明してくれ。私が私であることを」
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私は事件の経緯を整理した。
X月X日 午前。地元の有名な町議員の邸宅で警察が通報を受ける。現場には血まみれの刃物を持つ被疑者と、床に倒れ動かない議員の姿。
被疑者は即座に逮捕された。
だが、奇妙なことがあった。
連行される途中、突然の雷雨。
その瞬間から、被疑者の雰囲気が一変したという。だが警察は「ショック状態による錯乱」と判断し、そのまま事情聴取を進めた。
事件の構図は単純に思えた。
議員に恨みを持つ何者かが、殺し屋を雇った。
しかし、一つだけ決定的に違っていた。
──犯人の「中身」が、私の幼馴染に入れ替わっている。
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私は徹底的に調査を行った。
AIデータベースを駆使し、国内外の判例を調べ尽くした。
警察の鑑定結果も、外部の専門機関の検証も、被疑者の外見・声紋・指紋・年齢、すべてが「雇われた殺し屋」のものであると示していた。
通常ならば、ここで弁護方針を決める。
過去の事例をもとに、最も有利な戦略をAIと共に立案し、依頼人の利益を最大化する──それが、私の仕事だった。
だが、今回は違う。
私は、被疑者の「中身」がジェミニであることを証明しなければならない。
ありえないことを、証明しなければならない。
──私は弁護士人生で初めての挫折を感じ始めていた。