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契約4

 足もとに転がってきた箸を拾い上げ、キルクが桜子に手渡す。

 キルクは人間に交ざって行動するときは雪人という少年の姿をとるが、それ以外は本来の姿でいることが多かった。

 人間に交ざるときに少年姿になるのは、簡単にいってしまえば、魔族としての姿が目立ち過ぎるからだ。

 端正な容姿が目立つというのもあるが、それ以上に身にまとう空気が人間と言うには異様過ぎた。キルク自身は気さくで陽気な性格をしているのだが、やはり魔族というだけあって、心臓に刃を突き付けられているかのような、ぞっとする圧迫感があるのは否めなかった。

 メルクリーズは慣れているので、何とも思いはしなかったが。


「今さらなに驚いてんだよ。だから、ふつうの魔族は終生契約なんて交わさないんだって。俺ら、基本的に気まぐれだからさ。そもそも人間だって、気持ちなんて変わることあるだろ? 俺らは人間よりずっと長く生きるのに、命ある限り一人に縛られる終生契約なんて、ふつうは怖くて交わせないって」


「それは私とでも無理ってこと? 相手が死んだら……たとえば私が寿命で死んだら、契約は終了になるんでしょ?」


「まあ、そうだけど。桜がどうこうより、人間とじゃ契約は無理だ。終生契約ってのは心臓を交換するんだぜ? おまえ、心臓一個しかないだろ」


「そうね」と桜子は笑う。

 そのまま席を立った桜子は、落ちた箸を洗うためにシンクのほうに行った。

 キルクは話を続ける。


「最近は心臓を交換せずに、もっと簡易的な方法で終生契約を交わすようになってるみたいだけど、契約が意味するものは変わりないから、今も昔も終生契約を交わすやつは珍しい。契約違反の代償は自分の命だ。俺が違反した場合は自業自得だと思って納得もいくけど、桜が違反した場合は桜が死ぬんだぜ? 悪いが、俺は桜が心変わりしても桜に死んでもらいたくないんでね。たとえ桜が魔族だったとしても終生契約を交わすことはないかな」


 普段はぞんざいな態度をとっているが、キルクの桜子に対する愛情はほんとうに大きくて深いのだなと、メルクリーズは少し羨ましく思った。


 それにしてもキルクの話を聞いていると、終生契約というのはほんとうに呪いのように思えてしまう。

 メルクリーズだって、シエルが他に大切にしたい存在ができたなら、身を切るように辛くて悲しい思いはするだろうけれど、シエルが幸せになれる選択をしてくれればそれでいいと思う。だけど、終生契約とは絶対にその選択を許さない。


「ちなみに、逆でも契約違反で死ぬぞ」


「逆って?」


 戻ってきた桜子が席につく。


「相手を憎んだり殺意をおぼえたりしたら、ってこと」


「うわ……。それはかなりキツイかも。そんな瞬間なんて日常生活のなかであってもおかしくないじゃない? 一時的な感情で」


「だろ? だから、軽い気持ちでおいそれと交わせる契約じゃないんだって」


 桜子とキルクの視線が自然とメルクリーズに注がれる。

 

「ふたりとも、すごいわね……」


 ぽつりと桜子が呟く。

 何と返したらいいのか分からず、メルクリーズは黙っておかずの牛蒡を咀嚼した。


「ねえ、もしもまーくんが死んじゃったら、シエルも死ぬってことよね?」


「そりゃ、同一人物だからな」


「……そんなことってある? 魔族最強の王さまが、自分の意志とは関係ないところの恋ひとつで簡単に命を落とすとか……」


 キルクが苦虫を嚙み潰したような顔をする。


「そんなこと、あってもらっちゃ困るな」


 メルクリーズも慌てておかずを嚥下し、身を乗り出す。


「困りますし、嫌です。シエルさんがいなくなるなんて」


「じゃあ、何としても昌輝にリーズのこと好きになってもらわないとな」


 キルクが強い口調で言う。

 ふだんは他人の色恋になどまったく関心を示さないキルクでも、唯一無二の主と慕うシエルの命の危機とあっては、黙っていられないのも当然だろう。


「そ、そう言われましても……」


「大丈夫だって。シエルも昌輝も同じなんだから、そんな難しいことじゃないだろ」


 真剣な顔で言うキルクからの圧に耐えられなくて、メルクリーズは思わず肩を引いてしまう。


「本当にそうかしら。まーくんは本来のシエルがのびのび育った場合の人格と考えられるわけでしょ? 同じ魂といったって、環境が違えばシエルとまーくんみたいに性格だって正反対になるのよ? つまり、環境が違えば、好きになる人も違う可能性は十分に有り得るんじゃない?」


「おまえはまたそんな悪魔みたいなことを……」


「失礼ね。リアリストと言ってよ。そもそも雪人こそ魔族のくせに、なに頭お花畑みたいなこと言ってるのよ」


「おまえ、絶対に生まれてくる種族間違えただろ」


「それはこっちのセリフだわ」


「あ……あの、喧嘩は……」


 メルクリーズがおろおろしていると、桜子がふぅと息をついた。

 

「大丈夫、心配しないで。こんなの喧嘩のうちに入らないから。それより、今はまーくんのことよね。雪人はまーくんのそういう話、聞いたことないの?」


 キルクは頬杖をつき、記憶をたどるようにして視線を天井に向けた。


「まったくないな。あいつ、真面目で堅物だし」


「でも、まーくんって今17歳でしょ。お年頃じゃない?」


「んなこと、俺に言われても分からねーよ。人間じゃねぇんだから」


「はいはい、そうだったわね。まったくねぇ。魔族の王さまが、まるで人魚姫みたいじゃない」


「人魚姫?」


 メルクリーズがきょとんと桜子を見つめる。

 ああと、桜子が気づいて説明してくれた。


「人魚のお姫さまが人間の王子様に恋をしてね、魔女に頼んで人間の姿にしてもらうんだけど、王子様が人魚姫以外の人と結ばれると、人魚姫は泡になって消えてしまうっていうお伽噺があるのよ」


「でも、この場合、泡になって消えるのは昌輝とシエルだろ? 人間の姿にしてもらったのは昌輝で、リーズと結ばれないと泡になって消えるわけだから、記憶喪失の人魚姫だな。笑えねぇ」


 不機嫌そうな顔で言うキルクからは、ふだんの気安い雰囲気はなりを潜め、命を脅かされるような恐怖をおぼえる魔族としての本来の圧迫感が滲み出ていた。

 彼はシエルのためなら自らの命を懸けることも厭わない青年だ。

 おまえと交わした契約のせいでシエルが命の危険にさらされていると糾弾されるのではないかと、メルクリーズは息が苦しくなった。


「でもさ、シエルと昌輝は性格が正反対に見えるけど、俺には本質は同じに思えるんだよな。真面目で繊細で。だから、基本的に好みのタイプも同じじゃないかと思うんだけどな」


 テーブルに両肘をつき、組んだ手を口もとにおきながらキルクが言う。

 その表情は真剣そのもので、もう食事のことなど忘れているようだった。

 キルクに睨まれるのではないかとビクビクしながらも、シエルと昌輝の本質が同じと感じていたのは自分だけではなかったのだと、メルクリーズは少しだけ嬉しくなった。


「シエルの好みって?」


 桜子が訊き返す。


「リーズだろ?」


「具体的には?」


「んー。何だろ。見た目とか?」


「いえ、それは絶対にないと思います」


 メルクリーズは反射的に口を挟んでいた。

 だって、ただでさえ凡庸の域を出ない容姿をしているのに、シエルと出会ったときの自分は、かなりひどい見た目だったのだ。ガリガリに痩せていて、薄汚れていて、髪も鳥の巣になりそうなくらいの有り様で。そんな外見の自分に惹かれた可能性などまったくないと断言できる。それに──。


「あの……じつはシエルさん、そもそも私のことが好きだから契約を交わしたわけじゃないんです。ただ単に死にかけていた私を助けるために心臓を交換してくださって……。それで、結果的に契約を交わしたことになってしまっただけでして……。なんというか、その、意図していなかったというか……」


「え……」


 桜子が絶句したのが分かった。


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