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契約3

 日がすっかり暮れたころ、約束どおり桜子が訪ねてきた。

 メルクリーズの外見よりもほんの少し大人びた容姿をしている桜子は、22歳ということだったが、まとっている雰囲気はもっと年上の落ち着きがあった。もちろん実年齢で言えば、圧倒的にメルクリーズのほうが年上なのだが。

 頬にかかる栗色の長い髪を耳にかけ、桜子は玄関に並んでいる靴に視線を落とした。


「まーくんはまだ帰ってないの?」


「あ、はい。今日はお友達と外で食べて来られるそうで」


 昌輝から預かっていたタッパーを桜子に渡し、メルクリーズは答えた。

 桜子はタッパーをそのままバッグに入れると、優しい笑顔をメルクリーズに向けた。


「そっか。リーズは夕食どうするの?」


「私はそんなに食べなくても大丈夫ですので」


「えっ、食べないつもりなの!?」


 何気なく返した言葉に大袈裟なほど驚かれ、メルクリーズは戸惑った。

 そんなに毎日三食きっちり食べる習慣など、物心ついたときから囚われの身だったメルクリーズにはなかった。シエルもあまり食事をしないので、ふたりで暮らしていた頃も一日三食など摂っていなかったのだ。

 だから、それほど驚かれるとは思わなかった。


「じゃあ、私と一緒に食べない? あ、キッチン借りてもいい?」


「それはもちろん構わないですが、雪人さんは大丈夫なんですか?」


 桜子は恋人の雪人といっしょに暮らしているのだ。急に桜子が夕食を外で摂ることになったら彼が困るのではないだろうか。


「雪人もこっちに呼べば平気よ。何か食べたいものある?」


 そう言われても、メルクリーズにはとくに思いつくものがなかったので、桜子がひとまず冷蔵庫の中身を確認してくれることになった。

 少し前までこのキッチンで主に料理していたのは桜子だったし、メルクリーズに料理を教えてくれているのも桜子なので、なにか至らない点を指摘されるのではないかと少し緊張してしまう。

 けれど、桜子はそんなことは何も気にしていないようだった。


「野菜はなんとかなりそうだけど、肉か魚が欲しいわねぇ。ちょっと買い物に行きましょ」


 言われるままに桜子と外出することになったメルクリーズは上着を羽織って外に出た。

 昼間はまだ暖かいが、日が暮れた今は空気が少し冷たくなっていて、メルクリーズは思わず空を見上げた。ちょうど煌々とした明かりを投げかける上弦の月が藍色の空に見えた。

 

「キルク」


 桜子がその名を紡ぐと、すぐさま空気が陽炎のように揺らぎ、黒髪の青年が現れた。萌黄色の瞳が周囲を確認するように素早く左右に動いたかと思うと、彼は華奢な肩で大きく息をついた。


「何だよ、大した用もないのに呼ぶなよ」


 桜子は腕を組み、傲然と顎を上げた。


「あら、あなたの大切なご主人様の奥方の夕食を準備するのよ。十分に大事な用でしょ?」


「はあ?」


 片眉を上げ、青年が桜子の隣に立っているメルクリーズに視線を向けた。


「……あの、すみません」


 メルクリーズは思わず反射的に謝った。


「あー、いや、いいよべつに。気にすんな」


 うなじをさすりながら、少し気まずそうに言う。

 男らしい整った容貌をしているのだが、口もとだけが女性的なやさしい印象を与える不思議な青年だった。


「……で、なに。俺にどうしろって?」


 とつぜん呼び出された青年は、ふたたび桜子に視線を向けて言う。


「今から買い物に行くから付き合ってちょうだい。それから三人で食事しましょ。まーくんは今日、友達と外で食べるんですって」


「ふぅん?」と気のない返事をしたキルクの周りの空気がふたたび揺らいだかと思うと、次の瞬間にはそこにちょうど昌輝と同じくらいの年の頃の少年が立っていた。

 彼が桜子の恋人であり、昌輝ともっとも親しい友人である雪人と呼ばれる少年だった。

 雪人はそれ以上はなにも文句を言わずに、桜子と同じ方向を見て歩き出す。


「桜子さんはどうして名前を呼ぶだけでキルクさんを呼び出せるんですか?」


 雪人というのは、シエルの片腕として付き従うキルクという魔族の仮の姿だった。

 対する桜子は純粋な人間だ。

 ただの人間である桜子が、なぜ魔族のキルクを呼び出せるのか、メルクリーズは不思議で仕方なかった。


「それが私にはよく分からないのよね。雪人も正確なことは分からないんでしょ?」


 そう言って、桜子が少し後ろを歩く雪人のほうを振り返る。


「ああ。なんでか知らないけど、出会ったときから桜子が俺の真名を呼ぶと、そこにしるべができちまうんだよな」


 標というのは、魔族が空間を移動するときに必要とするもので、いわゆる出口を示す目印のようなものだ。


「あ、もしかして、それで普段は桜子さん、キルクさんのことを真名で呼ばないんですか?」


「そう。名前呼ばれるたびに頭に響くからさ、うるさくてかなわないんだよな」


 雪人は顔をしかめて言うが、その声音にはどこか少年らしい無邪気さと愛らしさがあって、メルクリーズの頬が思わずゆるんだ。

 彼は日中は昌輝に合わせて少年の姿をとり、昌輝と同じ高校に通っているが、桜子が言うには、昌輝と違ってかなり気まぐれな登校具合らしい。



 買い物を終え、あっという間に夕食を作り終えた桜子の手際よさを目にしたメルクリーズは、感心すると同時に、早く自分も桜子のようになりたいと心底思った。


「まーくんとの生活はうまくいってる?」

 

「はい、たぶん……。昌輝さんがどう思っているかは分からないですけど」


 テーブルいっぱいに並べられた夕食を桜子やキルクといっしょに囲んでいるのは、なんだかとても新鮮で、あたたかい感じがした。

 

「まーくんって、けっこう思ってることが顔に出るから、イヤそうな顔してないなら大丈夫なんじゃない?」


 メルクリーズが見ているかぎり、昌輝は気を遣っている様子はあるものの、機嫌よく笑っていることが多いような気がするので、いちおう大丈夫ということだろうか。

 冷蔵庫の奥で眠っていた牛蒡と買ってきた鶏肉を甘辛く煮たおかずを口にしながら、これの作り方もまたちゃんと教えてもらおうと思うメルクリーズだった。


「そういえばシエルとリーズが交わした終生契約って、契約を交わした相手以外と恋仲になったら死んでしまうのよね? シエルは問題ないだろうけど、まーくん、大丈夫? あのコ、リーズとの記憶ないんでしょ? 他のコに惹かれたりしたらまずいんじゃない?」


「平気だろ。リーズはあのシエルの心を掴んだくらいなんだし、昌輝もリーズ以外には見向きもしないだろ」


 さも当然というようにさらっと答えるキルクに、メルクリーズは慌てた。


「い、いえ……ですが……あの、たぶん昌輝さんは私のこと、そんなふうに見ることはないと思います」


 自分とシエルの出会い方が特殊だったから奇跡的な現在があるだけということくらい、メルクリーズは理解していた。

 桜子とキルクのように、出会ったときから真名を呼べば標になるなどという特別な縁を感じる運命的な関係とは、わけが違うのだ。

 記憶のない昌輝にとって、自分は同族から虐げられる可哀想な存在という以上のものにはなり得ない。


「なに言ってるのよ。そんな弱気なことでどうするの。あなた以外のコと恋仲になったりしたら、まーくん死んじゃうのよ?」


「いや、正確には恋仲になったらじゃないぞ。契約相手以外に好意を持った時点でアウトだ」


「えっ、なにそれ。厳し過ぎない!?」


 大きな声を出した桜子の手から、勢い余ってポロリと箸が落ちた。




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