悪夢との遭遇4
メルクリーズはちらりと後ろを確認して、そばに昌輝がいないことを確かめる。
「あの……じつは今日遭遇した魔族っていうのは、昔私を幽閉していた魔族なんです」
「なんだって?」
カーテンを閉めていたキルクが振り返って、まじまじとメルクリーズを見る。
「私、もう簡単に見つけられちゃいますよね……」
「見つけられるのは確かにそうかもしれないけど。…いや、っていうか、見つからないようにいま結界張ったばっかりだし。それより、なんで今さら? しかも、なんでわざわざ人界まで追いかけてくるんだ?」
「分かりません。でもきっと、腹を立ててるんだと思います。私のような存在に逃げられて、馬鹿にされたと」
「いやいや、だとしたら執念深すぎだろ。何百年前の話だよ。俺がシエルに逢うよりも前の話だろ? リーズがシエルと契約したのって」
眉間にシワを寄せ、キルクがくしゃりと前髪を掻き上げる。
さっぱりした性格の彼には、信じがたい話なのかもしれない。
「ですが、彼らなら有り得るかと……」
むしろ、シエルやキルクに出逢うまで、メルクリーズはそれが当たり前だと思っていた。残忍で執念深いのが魔族の当たり前だと。
キルクはどうしようもないなとでも言いたげに、肩をすくめて首を左右に振った。
「マジかよ。そんなやつらのとこにいたなんて、リーズってほんとツイてないな」
ツイてない。そんな言葉が出てくるほど、少なくともキルクの中では有り得ない案件なのだろう。
「相手が異常に執念深いやつなのは分かったけど、シエルの行動範囲に入ってくるとか頭おかしくない? ましてやリーズはシエルの伴侶だぞ? 心臓まで交換してておもいっきり所有権主張してるのに、それでも手を出してくるか? リーズを傷つけてたやつなんて知れたら、シエルの怒りを買うのは火を見るより明らかだぞ。怖いもの知らずにもほどがあるな」
「シエルさんを直接知らない魔族だったら……どうですか? 私もシエルさんに初めてお会いしたとき、とても力の強い方だとは思いましたが、王だとは思いもしませんでしたから」
「それ、よほどの世間知らずだと思うけど。ってか、相手の程度が知れるな。リーズは魔族としての力がないから分からなくても無理ないけどさ。王がどうこう関係なしに、シエルの気に触れて何かおかしいと思わないなんて普通はないぞ? 何百年も王の称号を持ち続けてるシエルの気も力も、普通の魔族とは比べ物にならないほど洗練されてるからな」
キルクは手を腰において、息をついた。
「とりあえず、シエルに相談すべきだな。必要なら、昼間は俺が護衛につくからさ」
「はい……。でも、シエルさんを困らせてしまわないでしょうか……」
「なに言ってんだよ。黙ってたら、そっちのほうがシエルは困ると思うぞ」
「ですが、シエルさんは日中なにも手出しをできないわけですから、もどかしいだけでは……」
「だから、日中は俺が面倒見るって言ってるだろ。俺はシエルの片腕なんだから、それくらい当然だ。言いにくいなら、俺がシエルに話してやるよ。とにかく絶対にシエルには言っておかなきゃダメだ」
強い口調でキルクが言い切る。
メルクリーズはうつむいた。
「私、皆さんに迷惑ばかりかけてしまって……すみません」
「そんな水くさいこと言うなって。俺はシエルの役に立てたら、それでいいし。シエルも絶対に迷惑だなんて思わないから。ってか、またリーズが殺されでもしたら、それこそ惨劇になるぞ。以前、シエルが自分の配下を皆殺しにしたのは、リーズが殺されたせいだからな。俺はもうあんなシエルは二度と見たくないんだ」
だから、ちゃんとシエルに話しなと、いくぶん声をやわらげてキルクは言う。
メルクリーズはまだ躊躇いながらも、キルクの真剣な眼差しに押されて頷いた。
「それより、顔色よくないけど大丈夫か? 今日は疲れただろうし、無理しなくて大丈夫だぞ? 話なら俺がシエルにしといてやるから」
「いえ、平気です。シエルさんには私から話しますので」
そこまで甘えるのは狡いし、厚かましいとしか思えなかった。
自分のことなのだから、きちんと自分で伝えなければ。
「キルクさんは優しいですね。桜子さんに嫉妬されそうです」
「そうか? そんなこと言われたことないけど。ってか、桜はメンタル強すぎて、マジで怖いくらい俺を必要としないし、すげぇ自信家だから嫉妬なんかしないと思うわ」
謙遜している様子もなく、キルクが言う。最後はぼやきのようになっていたが。
そのとき、すっと空気が急に澄んだ気がして、メルクリーズは何気なく振り返った。
「今日はキルクまでいるのか。珍しいな」
そこには目眩がするほど美々しい黒衣の青年が凛然と立っていた。
人間では持ち得ない、異形であるからこその秀麗さ。彼が身にまとう空気そのものが、あたりの澱んだものを容赦なく薙ぎ払ってしまう。
「今日はずいぶん入れ替わるのが早いな。昌輝のやつ、もう寝たのか?」
驚いた顔でキルクがシエルを見やる。
「そのようだな。俺に何か用でもあるのかと思ったが、キルクまでいるということは、俺の思い違いではなさそうだな」
「当たり。…な?」
そう言って、キルクはメルクリーズの背をかるく押した。